読書録 地方生活の日々と読書

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『死にたくないが、生きたくもない。』 小浜逸郎

世の中には秀逸なタイトルを冠した本がある。
『死にたくないが、生きたくもない。』、この題名を見た時、まさしく衝撃を受けた。自らの心情をぴたりと表わす言葉がそこにはあった。
「死にたくないが、生きたくもない」
思わず口の中で転がしたくなる。語呂がいい。
このような心もちで日々を生きている人間は、私だけではないだろう。

序章 あと二十年も生きなくてはならない
第1章 「生涯現役」のマヤカシ
第2章 年寄りは年寄りらしく
第3章 老いてなおしたたかな女たち
第4章 長生きなんかしたくはないが

内容は小浜逸郎氏の「老い」に関するエッセイである。
世に溢れる「アンチエイジング」やら「がんばる老人」への違和感を書いたものである。
正直20代前半の私は、そんなものか、まあ確かにそうだろうな、と思っただけであった。
せいぜい、醜く歳をとりたくはないものだ、と思ったぐらいだ。
少なくとも本書が大学生向けに書かれたものではないことは確かである。
大人になってから児童書を読んだ時のような、分かるのだけど違和感がある、といった場違いな読後感であった。

以下、ただの愚痴です。

それでもこのタイトルはずるい。
私は「死にたくないが、生きたくもない」。
死ぬのは怖い。
生きるのも怖い。
現状維持のぬるま湯に浸かっていたいが、世の中は刻々と変わり、私も周囲も歳をとっていく。
何人も時の変化には逆らえない。
ここ数年、人は変化を望まないという意味が実感として分かるようになってしまった。

もしこのまま眠りそのまま死んでしまったとしたら、きっとそれなりに幸せな人生だったと周囲からは思われるはずだ。

悔いの残らないように生きよう。
十五歳の私は生き方の方針を立てた。
十八歳の時、どのような選択をしても後悔するだろうという岐路に立っている自分を発見した。
モラトリアム。
一つの目標を定めそれに向かって一心に努力する、ということができなくなった。
人生における目標を定めることの難しさ。人生八十年?長すぎる。
迷いだけが次から次へと生じる。十年先の自分も見えない。
そしてその迷いは、決められないのもただの甘えなのではないかとの、新たな迷いを生む。
幼いころのように、真剣に生きられないのが辛い。
目標が決まってしまえば、あとは努力するだけなのに。
これも甘えか。
しかし私は目標、目的の強さを知っている。
無意味、無目的の破壊力、虚無感の深さを知っている。
だから思わず自問自答してしまう。
「私の人生に意味はあるのか」
生物学の知識をもって、私は私自身を慰める。理系で良かったと少し思う。哲学的な答えは知らない。

「死にたくもないが、生きたくもない」
決定的な出来事があったわけではない。
むしろ今の自分は、客観的にも主観的にも幸せだ。
しかし、だからこそ自分の人生が、これ以上良くなるとも思えない。
徐々に坂を下りていく感覚。
もう戻れない。
残りの人生、迷い続けながら、後悔しながら生きていくしかないのだろうなと思う。
吹っ切れるほど強い人間ではない。

本書のメッセージは「老いを受け入れる」ということである。
私にできることは「辛い生を受け入れる」ということなのかもしれない。

読書録

『死にたく」ないが、生きたくもない。』
著者:小浜逸郎
出版社:幻冬舎(幻冬舎新書)
出版年:2006年

死にたくないが、生きたくもない。 (幻冬舎新書)