読書日記が続かない
自分は極度のめんどくさがり屋で飽き性ある。
それでも何とか3年続いてきた読書記録が、ここ一月ほど停滞している。
読み終わっただいたいの日付と題名を書くだけのものなのに続かない。
最近出歩くことが多く本を読み終わった時に記録ノートが手元にないことが一番の要因だ。
もう一つ要因をあげるとすれば全体的なモチベーションの低下か。
ときどき無意味に死にたくなる。
理由なく朝が辛い。
不安はないのに、妙に焦る。
きっと誰もが上記のように感じているのだろう、ということを学生のうちに理解できたのは幸いだろう。
生きることは辛いことだ。仏教の教えは正しい。高校の倫理の時間で習ったときはピンとこなかったけど。
辛いとき、人は各々のやり方でやり過ごす。
私は本を読む。
今週は新書店で3冊古本屋で2冊買って、図書館で6冊買った。ハイペースだ。
やけ食いならぬ、やけ読み。
いつの間にやら本が嗜好品となり、消費物となる。
不安を紛らわせるため、現実から逃避するために読むなんて、きっと、絶対良くない。
悪い読み手に当たってしまった本たちに申し訳なく思う。
でも、今の私には本たちが必要だ。
切実に。友人よりも。恋人よりも。きっと。
私の嗜好品と成り下がった本たちは、読書という消費と共に忘れ去られる。
せめて題名だけでも残しておこうと、三年ほど前のある日、読書記録をつけることを思い立つ。
文房具好きなので、記録媒体はアナログにした。ノート選びは楽しかった。
はじめから、月日と書名だけを記す形式にした。
著者名や出版社名や出版年、そして感想を共に記すべきなのだろうとは思った。
けれども面倒なことは続かないだろうことは、簡単に予想できた。
題名だけでも、効果は絶大だった。
一年後、私は生まれて初めて、自らの年間読書量を把握した。
意外と読んでるな、とも、読んでないなとも思った。
そして何よりも、年に何冊かは、読んで良かったと心から思える本に出会えていた。
ここ一カ月に読んだ本、ちゃんと私は覚えているだろうか。
まだ、大丈夫。覚えているはず。
明日にでも、まとめてリスト化してしまおうと思う。