読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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蒲団読書、ベッド読書

今週のお題「布団派? ベッド派?」

大昔、本当に幼い頃は畳に蒲団で寝ていた。
幼稚園に通っていた頃、二段ベッドが我が家にやってきた。
よっぽど嬉しかったのだろう。マットレスを入れる前のベッドで、かくれんぼしたり階段を上り下りしたりして遊んだのを覚えている。
一人暮らしの部屋では畳ベッドに蒲団を敷いて寝ている。
結論から言えば、蒲団かベッドか、こだわりはない。

今の部屋に引っ越してすぐに買った物がある。
畳ベッドに取り付けることができるスタンドである。
3000円程の出費で、蒲団の中で本を読める自由を手に入れることができた。
照明のスイッチはベッドを置いた壁とは反対側にあった。

至福=蒲団読書

寝る前のひとときを、私はもちろん読書に使う。
一時期は、寝る前に読むのは小説、特に海外文学を優先して読むという自分ルールを課していたが、今は気にせず何でも読む。
でもあまり難しい本は読まない。せっかくの読書時間なのに、すぐ寝てしまうから。
もちろん怖い本も読まない。本を置き、スタンドの灯りを消した後、なかなか眠れないのが見えているから。

昨夜読んでいた本は平山亮『迫りくる「息子介護」の時代 28人の証言から』という新書である。
第一章、さわりの部分だけ読んで寝てしまった。そんな夜もある。
一昨日の夜はミラン・クンデラ『不滅』を読んだ。
今、三章を読んでいる。まだまだ序盤。章の構成も良く見えていない。しかし、それが楽しい。

ベッドで読む本は、外で読まない本が多い。
例えば、持ち運びが大変な単行本。基本的に文庫、新書、選書以外の本は重いので鞄に入れない。
あるいは、読んでいるのを見られたら思われたらちょっと恥ずかしい類の本。
後者は、例えば、昨晩読んだ『迫りくる「息子介護」の時代』である。
まったくもって理由はないが、友人たちに、介護の本を読んでいると思われるのが恥ずかしい。
私の祖父母は4人とも存命で、誰も介護を必要としていないから尚更だ。
同様の理由で飯島裕子著『ルポ若者ホームレス』なんかも自室で読んだ。ブルーバックスなんかは研究室の本棚に堂々と置けるのだけれど。

ベッド読書、蒲団読書の習慣がいつから身についたのか。実はあまり覚えがない。
高校生のときには夢野久作ドグラ・マグラを一昼夜で読んだ記憶があるのでベッドでも読んでたはずだ。
中学生の頃はどうだったか。ひたすらミステリを読んでいたが、ちゃんと机で座っていたか。
それとも今のようにベッドに寝ころんで本を開いていたか。寝る前に、森博嗣『捩じれ屋敷の利鈍』を始めから終わりで一気に読んでしまったことがあった気がするが。
さらに遡ってみる。昼寝の習慣のない子供だったので、小さい頃は寝ころんでだらだら過ごす、ということをあまりしなかった。「蒲団で横になる=夜、本当に寝る」という意識も強かった。
もしかすると蒲団読書の習慣は、ごく最近に後天的に作られたものかもしれない。(両親ともに蒲団読書派なので、先天性の可能性もある)
そういえば、今でこそ寝ころんで読むときは横を向いて読むようにしているが、かつては、仰向けやらうつ伏せやら試行錯誤していた覚えがある。(父親はうつ伏せで読んでいた…気がする)

さて。今夜は何を読んで寝ようか。
最近買ったり借りたりした本が溜まっている。
積読から適当に一冊を選び、スタンドの灯りをつけ、部屋の電気を消す。
暖かい蒲団にもぐり込み、栞を頼りにページを開く。
ときどき寝がえりをうちながら物語に没頭し、それでもやってくる自然現象、睡眠欲に身をゆだね、ああ今日はもう寝ようと思う。
栞を挟み、枕元に読みかけの本を置く。朝が来たら、起き上がる前に数ページほど読もう。きっと目も覚める。
灯りを消す。闇。目を閉じる。
そのとき私は、もう、何も考えていない。

迫りくる「息子介護」の時代 28人の現場から (光文社新書)