読書録 地方生活の日々と読書

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60年前のニューロティック・スリラー『悪魔に食われろ青尾蠅』ジョン・フランクリン・バーティン

あとがきや解説は本編を読み終わってから読む派である。

本編を読み終えて解説を読み、驚いた。
本作が書かれたのは60年近くも前であった。本編読書中、まったく古さを感じなかった。
ニューヨークの街中で、タクシーと馬車が共存していたが、きっとアメリカでは馬車も現役なのだろうなと思っただけであった。馬車は札幌にもあったし。
内容も今日的である。好きな人は好きだと思う。逆に、本格推理ものを求める人は手に取らない方が良いだろう、という物語。私は好き。
以下、ネタばれ注意。

『悪魔に食われろ青尾蠅』を読んだ

物語は主人公エレンの認識に沿って進められる。
この「認識」という所がポイントだ。

エレンが精神病院での2年間の入院から退院する所から物語は始まる。
無防備な読者である私たちは、語り手の認識は正しいもの、矛盾のないものという前提を疑わず文章を追う。
けれども読み進めるうちに、読者はエレンに対し、危うさを感じ始める。
例えば、楽器(ハープシコード)の鍵に拘り、延々と引き出しを探したり。
鍵を見つけた夫に手をあげたり。

読んでいると、エレン、大丈夫?、その考え方はまずいよ、と言いたくなる。

エレンは精神科医に教わった通りに、自らの認識を正そうと努力する。
けれども、どこか、ずれている。被害妄想的である。

そして物語は一直線には進まない。夢の断片や過去の光景が入り混じる。
「死んだはず」の昔馴染みに再開する。
記憶が飛び、気が付いたら隣に死体があったりする。
エレンは、しかし、決して感情的ではない。
朝起きたら隣にあった死体に対し、どうやら私が殺したらしい、と冷静に認識する。冷静さが怖い。
だが、彼が何故死んでいるのかは分からない。冷静に記憶を追うが、記憶が消えている。

オチ、というか結末は、現代の創作物に慣れた読者にとってはありきたりなものだろう。
あまり先を考えずに読み進めていたので、そうきたか、まあそうだろうな、といった感想。
だがその唐突さには驚いた。
読んでいるといきなりネルという人物があらわれる。しかもラストまで五分の一を切った時点で。

本書は創元社推理文庫であるが、純粋なミステリではない。
どのようなジャンルになるのだろう、と考えていたら解説に書いてあった。
「ニューロティック・スリラー」、というものに分類されるらしい。

neuroticとは神経症的という意味。神経症は精神障害の一種で、目の前に具体的な危険が迫っているわけではないのに、理由の分からない強迫概念や、正体不明の不安に苦しむといいます。  (p250 解説)

このような小説や映画が増えてきた原因として、松浦は、第二次世界大戦と心理学の浸透の二点を指摘する。
確かに、小説内でエレンが精神科医に夢の診断をされるシーンがある。なるほど、フロイトの影響か。
解説は松浦正人。この解説、なかなか詳しくて読んで面白い。

「Blue Tail Fly」について調べてみた

また題名にもなっている「悪魔に食われろ青尾蠅」は「青尾蠅」という曲の中の歌詞である。
アメリカ南西部の民謡?You Tubeに上がっているのを聞いたが(「Blue Tail Fly」で探してみてください)、つい口ずさみたくなるようなリズムの素朴な歌だった。
主人公エレン、実は音楽家。夫も指揮者。
私は音楽の素養が皆無なのでアレですが、作中の音楽に着目して読んでも面白いと思います。
エレンが演奏する楽器、ハープシコードとはチェンバロのことみたいです。今調べました。
チェンバロ?よく分からないですが、二段ピアノのような鍵盤楽器
彼女が好きなのは「悪魔に食われろ青尾蠅」とバッハのフーガ。
最終的な物語の結末にも、音楽とその才能が深く関わっています。

で、さらに気になって調べてみた。
何がって「青尾蠅」。どんな蠅なのだろう、みたいな。
簡単にだが探してみた。しかし「Blue Tail Fly」なる英名の蠅はいなさそう。
曲しか出てこない。ちなみに画像検索するとトンボが出てくる……それから「blue blow-fly」という蠅はいた。
以上、どうでもよい情報でした。

読書録

『悪魔に食われろ青尾蠅』
著者:ジョン・フランクリン・バーティン
訳者:浅羽莢子
出版社:東京創元社創元推理文庫
出版年:2010年

悪魔に食われろ青尾蠅 (創元推理文庫)