読書録 地方生活の日々と読書

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悪夢な短編集 ブライアン・エヴンソン『遁走状態』

新潮クレストブックスに面白そうな題名を見つけた。

『遁走状態』。表紙は、頭と顔を包帯でぐるぐる巻きにした男のイラストである。
裏表紙には「どこまでも醒めた、19の悪夢。」「ホラーも純文学も超える、驚異の短編集」とのコピー。
さらに、決めてとなったのは古川日出男(ええ、好きですよ)の感想文。

目次は以下の通り。ピンとくる題名が一題でもあれば、是非、書店か図書館へ。

年下
追われて
マダー・タング
供述書
脱線を伴った欲望
怖れ 絵/ザックサリー
テントのなかの姉妹
さまよう
温室で
九十に九十
見えない箱
第三の要素
チロルのバウアー
助けになる
父のいない暮し
アルフォンス・カイラーズ
遁走状態
都市のトラウブ
裁定者

(「怖れ」は漫画になっている。本書の表紙や短編毎の扉絵も漫画を描いたザックサリーによるもの。気味悪い素敵さ)

読んでみた。以下、ネタばれ有り。

短編に、個人的な好みで順位をつけてみる。

一番好きなのは「父のいない暮し」
目の前で父に死なれた少女の話である。少女の目線で物語は進む。
子どもと大人、警察官や母親との間の会話のすれ違いの妙。
少女は嘘はついていない。認識も間違っていない。
大人の勝手な省略や早とちりで、物語は妙な方向へと転がっていく。

二番目は「第三の要素」
男は妙な任務を律儀に遂行している。一見真面目そうだが、物語の進行と共に、私たち読者はアレと思う。
男もアレと思っている。でも、男は自分の認識が間違っているとは思わない。
主人公の男の認識と客観的な事実の差。
精神病者から見た世界、といった感じの小説である。リアリティーがすごい。

三番目は「九十に九十」
短編集の中でも、この話は少し毛色が違う。
舞台は出版社。主人公は文学の編集者。
アメリカでも文学作品は売れないらしい。良い文学を売りたいと思っても、「ターゲットの読者層は?」と編集者会議で却下される。彼は、ボスにもっと売れる作品を出版しろと脅される。
そこで困った主人公は同僚に相談し、飲みながら売れそうなミステリーシリーズを捻り出し、適当な作家に書かせ、マイノリティー作家として売り出す。これが大当たり。主人公は一気にやり手の編集者となる。
しかし彼はその現実に納得できなくて……
なんかもう、世の中いろいろ不条理。出版の世界も金なのか。
人気シリーズのでっち上げの部分が面白い。

本書には「第三の要素」のように、主人公の認識が通常と違うという設定の物語が多い。
日常生活が歪み、狂っていくような、奇妙な感覚。
SF的な世界、例えば、妙な伝染病が流行っている世界や死者が乗る船なども出てくる。
しかし、人間は人間であり、悪夢はすべて人間の脳髄に詰まっていることに違いはない。

単純なホラーとは一味もふた味も違う。
純文学というには生々しすぎる。
私は本当に私であろうか。私の認識は、正しいのだろうか。

幼い頃、私は夢を見ているのに過ぎないのではないか、と考えたことがある。
今、この感覚も思考も、夢の中でのことではないか。
私はまだ、生まれてすらいないのではないか。

デカルトを知ったのは、ずっと後のことだった。
きっと、このような感覚は多かれ少なかれ誰しもがもっているのだろう。

日本では初めての翻訳書となる本書の『遁走状態』(Fugue State)というタイトル自体、記憶や人格を失って徘徊したりする状態を意味する医学用語であり、「私」の危うさが作品の関心事であることがはっきり表れている。  (p342 訳者あとがき)

すべての悪夢は、我が小さな脳髄による認識に帰結するのである。

読書録

『遁走状態』
著者:ブライアン・エヴンソン
訳者:柴田元幸
出版社:新潮社(新潮クレストブックス)
出版年:2014年

遁走状態 (新潮クレスト・ブックス)

暴力描写有り。苦手な方は注意!