読書録 本読みの貪欲

地方在住三十路女の読書日記。趣味が読書と言えるようになりたい。本のほかには犬と魚が好き。

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「知ること」「考えること」について考える。『華氏451度』(レイ・ブラッドベリ著)【読書感想】

華氏451度』(レイ・ブラッドベリ著)を読んだ。

 有名な作品なので題名のみ知っていた。
 近未来を書いたブラッドベリの中長編である(解説には中編とあったが長編でいいと思う)。
 テーマは「焚書」。ディストピア小説である。後半は戦争も出てきて、なかなか重い内容である。

「本の所持」が「法律違反」となった世界。

 本好きにとって、それはとても恐ろしい世界である。
 一部の本、ではなく、すべての本が焚書の対象となる世界だ。そして人々は、そのことに何の疑問も抱かない。
 そして主人公は「ファイアマン」。本を焼くことを職業としている。彼にとって本を焼くことは、単なる楽しい作業であった。けれども、ある日、その「楽しさ」に違和感を覚える。彼が自らの頭で考えることをはじめた時、世界はまったく別の様相を示し始める。

 さらっと読めるが、本書は間違いなく傑作である。
 恐ろしいのは、想像上のデストピアである作中世界が、私たちが生きる現代社会にオーバーラップすることである。

 作中の人々は幸せなはずであった。
 その国は裕福であり、生活には困らない。
 本がなくともテレビやラジオからは24時間娯楽番組が流れている。テレビの向こうの「家族」と楽しいおしゃべりをすればよい。
 選挙はみんなと同じくイケメン候補に投票すればよく、キリストは楽しいテレビドラマの主人公だ。
 文学部や教養はとっくの昔に廃止され、詩や小説は死滅した。自然に耳を澄ますなんて、馬鹿げたことをする人もいなくなった。

 対立や矛盾など、難しいことは考えない。考えたところで混乱するだけ。

 無駄を排除し、効率と快を極めた世界である。
 不快を極限まで排した世界だ。
 「戦争」や「貧困」などを知る必要はないのだ。知ったところでどうなる?

 しかし、その幸せに満ちた世界でも、人々は自殺をする。
 物語の冒頭、主人公の妻もオーバードーズで自殺を図った。

知ること、そして、考えること

 本を不必要とする世界において、人は知ることを放棄した。
 知ることの放棄は、考えることの放棄でもあった。

 知らないこと、考えないことは幸福である。

 私は無駄にいろいろと考え込んでしまうところがある。
 悩んでも仕方のないことに悩んでしまう。
 この性格を直さないことには幸福にはなれないであろうことを自覚している。

 人は幸せになることを望む。
 なので現代社会には思考停止の装置がたくさんある。
 例えば、「学業」。
 「受験のために、勉強しないといけない」この言葉は確かに正しい。
 けれどもこの言葉の裏には、思考停止が潜んでいる。「受験のため」の一言は、「本当に受験が必要か」「何を学びたいのか」「何故学ぶ必要があるのか」という思考を殺す。
人生をよりよくするための学業が、受験のため、成績を上げるための学業になる。
 思考停止は幸せである。
 「何のために学ぶのか」という問いを徹底的に考えることは、問題集をこなしていくことよりもずっと辛い。
 「学業」が「就職活動」や「金稼ぎ」でも同じだろう、と思う。
 しかも考えることは他者から評価されにくい。
 私たちの社会では、自分の人生について考えるよりも、こなした問題集の冊数の方が評価はされるのだ。
 考えることは、日本人が大好きな「努力」ではないらしい。

 思考停止のまま、一生を終えることができれば、それはそれで幸福だろう。
 でも、きっと、人間はそのようにはできていない。

 ふと、人生について考え込んでしまったとき。
 娯楽に身を浸し、スポーツにふけり、忘れた振りをするのもよい。
 でもとある疑問が頭の底にこびりついて離れないとき。
 そんな時はじっくり考えてみるのも良いだろう。
 私たちの世界には本がある。
 同じように思い悩んだ先人たちの残した記録が考える自我の支えになるだろう。
 最新の科学技術の本から「人間とは何か」を考えることもできるだろう。

 それに、知ること、考えることは、社会を良くする原動力でもある。
 物語のラスト。幸せなはずの都市は、戦争により一瞬の間に灰となった。
 一方主人公は森の中で、一冊の本を暗記することで「自らが本となる」ことを選んだ人々に出会う。
 主人公は彼らと共に、一冊の本として放浪することを選ぶ。
 世界は本を必要とするはずだ、との強い信念をその胸に抱いて。

 私も、知ること、考えることを放棄しない。不幸な人生を存分に味わおうと思う。

華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)