読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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『誰にでも、言えなかったことがある。 脛に傷持つ生い立ち記』 山崎洋子

最近、ちょっとした(本人からすれば重大な)失敗をした。私は後ろ向きな人間なので、そのことについてくどくど考えている。出来るだけいろいろな視点から検討してみているのだが、気がつけば毎回同じような思考パターンにはまり、人生失敗したな、という結論に陥ってしまう。

私の人生は失敗だった。

この一文が浮かぶと、そこから先に考えが続かない。

私は、自慢じゃないが、まだ二十代だ。四捨五入すれば二十歳だ。
こんな年齢で人生の成功失敗が決まるわけがない。そもそも人生に成功なんてものはない、と私の合理的な理性は十分に理解しているのだが、どうも感情がついていかない。ダメな思考パターンを繰り返しているのは分かるのだが、それを修正できない。

で、どうするのか。

――本を読む。人生のサンプルを集める。

いろいろな人生を知りたいと思う。
レールに乗った、あるいは、社会的に成功した人生のサンプルは世の中に溢れている。
テレビでもネットでも、弛緩した顔の大人たちが偉そうに人生訓を垂れている。
本だってそうだ。貧しさ自慢の体験談も、現在の、本を書けるような立場までなった著者により語られている。
その影には、今も昔もずっと、陽のあたることのなかった人生があるはずなのだ。一般庶民の物語が。
私はそのような物語を知りたいと思う。
――でも、そのような物語は、物語にならないのかもしれない。自分の人生を振り返る。そこにあるのはありふれた、つまらない物語だ。まるで、売れそうもない。
いや、でも、トルストイだって言う。
「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」
下流社会や底辺層、ニート、派遣といった名詞にまとめられてしまった人々にも各々の人生があるのだ。個別の人生をつまらないと切り捨てたくない。私はやはり、一人ひとりの人生の物語を知りたいと思う。

しかし、他人の人生を知ることは難しい。
「人生、山あり谷あり」なので、出来れば年配の人の人生を知りたいと思う。
となれば、なんだかんだ言っても、本を探すしかない。

ご年配の方のエッセイは面白い。

個人の人生を知りたいといえば、エッセイだろう。山崎洋子『誰にでも、言えなかったことがある 脛に傷持つ生い立ち記』を読んだ。人生失敗したかもと思っている二十代の小童に、なんとぴったりな題名だろう。

読んで、驚いた。プロローグで著者はいう。

「私は自分と向かい合って生きたいです」
 とっさに出た言葉だったが、振り返ってみれば、真正面から自分を見つめ、「あなたはどういう人間?」と問いかけ、その答えを得ようとしたことは、一度もなかったことに気づいたのだ。  (p2)  

この本は、複雑な生い立ちを持つ著者の、子ども時代や父母との確執を中心に描いたエッセイである。
著者は私小説が書けないという。子ども時代のトラウマにより、どうしても筆が進まないのだと。
それもそうだろう、とこの本を読んで思った。
凄まじい人生だ。
レールを外れてしまった、どうすればよいのだろう、と思い悩んでいる私とは悩みのレベルが違う。
著者の前には、始めからレールなどなかった。

彼女は複雑な家庭で過ごす。幼児期は父方の祖父母と幸せに過ごしたが、それも座敷童が家から出ていってしまうまでだ。祖母は自殺し、祖父は再婚離婚を繰り返した。著者は、五人と結婚した父の二番目の妻、全く血縁のない「秋枝さん」に引き取られる。そして使用人のように使われる。小さな間借りで、時には他の住人にレイプされそうになったりもする。結局、中学生のときに家出をし、それまで全く会ったこともなかった実母の元へと行き、そこで母や義父、異父兄弟たちに気を使いながら成長する。
その後も結婚、離婚、再婚、金欠、作家デビュー、夫の貯金遣い込み、介護、とイベントは起き、人生は彼女のことを休ませない。

いやーすごい人生の物語もあるものだ。
何よりも、著者はずっと前を向いて歩いている。死にたいと思うこともあっただろうが、生きてこうして本を出している。
本書には自殺について述べた箇所がある。彼女はいう。「自殺した人を、弱虫と決めつけないでほしい」

 だからといって、自殺を勧めているわけではない。自殺は、死ぬためにある武器ではない。生きるための武器だと、私は思っている。
 辛くてたまらない時は、「大丈夫、いざとなれば、私には自殺という武器があるんだから」と考えることで、明日を迎える力を得た。  (p140)

こうやって生きていけばいいのか。いざというときも、自殺出来そうにないが、それはそれで健全なことなのだろう。もう少し、頑張ってみようと思わなくもない。

まだまだ私は、既成概念と世間の目でできた「成功した人生」というレールを壊せていない。
世の中の人は――毎日顔を合わせる同級生たちだって――それぞれ別の人生を歩いて、今、この世界にいるのだ。個別の体験をし、個別の悩みを持ち、死にたいと思った日もあっただろうが、もう少し生きてみようかなと思いながら、生きているのだ。

私はもっと、今ここに、存在することに感謝しなければいけないのかもしれない。

そんなふうに考えた読書体験だった。

誰にでも、言えなかったことがある ―脛に傷持つ生い立ち記―