私はあなたを理解している、という傲慢さを暴く アガサ・クリスティ『春にして君を離れ』【読書感想】
私の中のアガサ・クリスティランキング1位は『アクロイド殺し』であった。シェパード先生大好き。
が、まさかの非ミステリ小説がこの座を奪おうとしている。『春にして君を離れ』、めちゃくちゃ面白い。
人は死なない、探偵も出てこない、イベントすら起きない(基本的には主人公が砂漠の中でひたすら考え事をしてるだけ)。にも関わらず、物語世界に引き込まれなかなか戻ってこられなかった。何がこんなに面白いのか。裏表紙の内容紹介には「ロマンチック・サスペンス」と書かれてあるが、まずロマンチックではない。むしろ主人公が、リアリスティックに今までの人生を振り返る物語だ。
サスペンスでもない。いや、主人公にとっては、自分自身が気づいていなかった自分、自己中心的で愚かしい自分を知ってしまうので、サスペンスかもしれない。
私たち読者は、主人公ジョーンが愚かしい人間であるということを早々に気づいてしまう。彼女は自分の尺度でしか物事を測れない。尺度から外れたものは認識できない。肝心のその尺度は偏見に満ち、想像力に欠けている。ジョーンは40年以上生きていて人生や世界について、なんにも分かっていないのだ。
読者は、ジョーンが自ら愚かしさに気づいていく過程、つまり主人公が自らが無意識に隠していた謎――自分は自分の見たいものしか見ていなかった――を解く課程をハラハラしながら見つめるのだ。ある意味、冒頭で犯人が明かされる型のミステリに近いのかもしれない。そして謎を解く課程を魅せるのは、クリスティーの専門分野だ。
そう考えれば面白くないわけがない。が、本書の魅力はそれだけではない気がする。人間誰しもが知らず知らずに育ててしまう思い込みや自己満足、それらが積み重なってできた生活の危うさをこの物語は暴いている。この物語は他人事では済まないのだ。
主人公ジョーンは満ち足りた生活をしていた。中流家庭に生まれ育ち、弁護士の夫と成人した三人の子供を持つ。彼女は理想の家庭を築き上げることに心をつくした。そしてその甲斐あって彼女の過程は完璧だった。完璧な妻であり母である自分、そんな自分が作り上げた完璧な家庭。彼女は夫と子供を愛し、夫と子供は彼女を深く愛しているはずだった。なんせ彼女は子供のためにすべてを尽くし、夫の仕事がうまくいくよう賢く立ちまわったのだから。
ある日、バグダッドに嫁いだ病気の末娘を見舞った帰り道、ジョーンは砂漠の真ん中の鉄道宿泊所で足止めをくらう。話し相手も読む本もない環境で、彼女の思考は過去へ過去へと巡っていく。そして砂漠の明るすぎる太陽のもと、彼女が見ないようにしていた彼女自身が照らされていく。
以下ネタばれあるかも。
相手のためと思ってやって来たことは、相手を苦しめているだけだった。自分自身の満足のために、愛する人を不幸にしてしまっていた。砂漠の真ん中でジョーンは気づいてしまった。いや、気づかないふりをしていたことを、正面から突きつけられた。
生まれて初めての自省。そして自己嫌悪。知恵の実を食べてしまった今、彼女はもう事実から目を反らすことができない。
「それに結局のところ、エイヴラルのことは、わたしの方があなたよりずっとよく知っていますわ。母親なんですもの」
母親だから知っている、妻だから知っている、その言葉に潜む傲慢さ。今までの彼女は、夫のことも子供のことも何も見ていなかったのだ。
私はハラハラしながらページを捲る。自分が何も見ていなかったことに気付いたジョーンはどうするのか。
普通の作家なら、ジョーンに、今までの過ちを夫や子供の前で懺悔させるだろう。
が、クリスティーはもっともっと残酷な結末を用意している。砂漠からイギリスへと帰ってきたジョーンは決して謝らなかった。人前で自らの非を認めなかった。自分を変えようとはしなかったのだ。自らの過ちに気付き自覚しながらも、何も気づいていない無知で愚かだけど綺麗な奥様を演じることを選んだのだ。
ジョーンは罪悪感や彼女の生の感情を押し殺し、自分が望んだはずの「こうあるべき」理想の世界で生きるのだ。
衝撃的だった。とても哀しい物語だ。彼女は夫と分かりあえる機会を永遠に放棄した。
が、まだまだ衝撃は続く。エピローグ。最後はジョーンの夫ロドニーの視点で語られる。私たちはジョーンが愛してやまない夫ロドニーの胸の内を知ることになる。そして更なる哀しみを味わう。
ロドニーも確かにジョーンを愛していた。しかし、ロドニーはロドニーでジョーンのことは何一つ分かろうとはしていなかった。
夫、妻のことは私が、俺が一番よく知っている。
この物語は一方的な思い込み、傲慢さがもたらす悲劇だ。人は変わるもの。それを考えないで、彼はこうだから、彼女はこうだから、こう思っているに違いないと思いこむ。妻が夫を、夫が妻をもうとっくの昔に諦めていたのだ。
普通ならどこかで破綻しそうな関係性だが、この物語の悲劇的なところはジョーンとロドニーの仲が破綻しそうにないところだろう。客観的には彼女たちは相変わらず完璧な家庭で過ごしている。良い仕事、良い夫婦、良い子供たち。何一つ、不足はない。ジョーンが望んだ生活だ。
死ぬまで続く、泥沼にも似た平和な家庭で二人は本心を通わすことなく生きていく。いや元から通っていなかったが、砂漠から帰ってからは、本心が通いあうことが決してないことを自覚しつつ生きていく。
とても哀しい結末だ。だけどこの結末を選んだのは紛れもなくジョーンとロドニーなのである。
だから私たちに出来ることは、せめて二人が見た目だけは完璧な家庭で平穏に生きていけますようにと祈ることだけだ。読者である私たちは知っている。彼女たちの住むイギリスに、第二次世界大戦の足音が迫っていることを。
ところでこの本を読んでいた先日11月22日は良い夫婦の日。ジョーンとロドニーは傍から見れば完璧な良い夫婦だ。良い夫婦って何なんでしょうね。