『死をポケットに入れて』 チャールズ・ブコウスキー、老年期の日々。
読んでまず驚いたのが、主人公である著者が老いていたことである。
予備知識を持たずに、文庫本後ろのあらすじも読まずに、著者の名前と題名だけを確かめてページを開いたのが悪かったのだが。いや、予想もしなかった文章に出会えたという意味では幸運か。
チャールズ・ブコウスキーの本はこれで二冊目だった。一冊目に読んだのは『勝手に生きろ!』。著者の20代のころをモデルにした小説(?)であった。その印象が強すぎて、本書の主人公もまだ若く、破天荒な酒飲みだとすっかり思い込んでいたのである。
時間は誰にでも平等に流れる。
時は21世紀目前。彼は71歳だった。
本書は老いた作家による日々のエッセイである。
そうだ。たしか『勝手に生きろ!』の舞台は、第二次大戦中から終戦後であった。
定職を持たず、かと言って文章では食っていけず、広大なアメリカの地でふらふらしていた青年は、今や、大きな家に住み、世界中からインタビューの申し込みを受ける老作家となっていた。結婚だってしているし、家にはジャグジーもあるし、猫も9匹飼っている。その文章が紡がれるのも、タイプライターではなくて、マックのパソコンだ。
けれども、というべきか。彼はそれでも孤独を好み、大衆に迎合することを拒み、日中は競馬場に通い続ける。そして夜。衰えることない文章を書くことに対する情熱を、パソコンにぶつけ続ける。神を信じないし、同世代の作家の作品はくだらないと切り捨てる。いや、この本の最後の一行なんてもっとひどい。
てめえなんかくそくらえ、この野郎め。それにわたしはトルストイだって嫌いだ! (p223)
詩や死、人や自分に関して、あっけからんに書き連ねられた文章は、自然と読者の私を引き込んでいく。
たぶん地獄というものがある。そうだろう? あるのだとしたらわたしはきっとそこに行くことになるだろう。そこがどんなところかわかるかな?
詩人たちはみんなそこに行くことになっていて、そこでは誰もが自分の詩を朗読していて、わたしはそれを聞かなければならないことになるのだ。わたしはやつらのこれ見よがしの虚栄心や溢れ出る自尊心にまみれて、溺れてしまうことだろう。 (p152)
強烈な酒のようなエッセイである。しかし残念なことがある。私はブコウスキーの詩をまだ読んだことがないのだ! 彼は書くことで
生きていたような人間だ。だから多作だった。未翻訳の作品もまだ多い。詩は翻訳されているのだろうか。いや、されてはいるだろうけど、この田舎町で手に入るだろうか・・・・・・