読書録 地方生活の日々と読書

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夏に読む京極ミステリ『絡新婦の理』

 妖怪。妖怪ウォッチを持ち出すまでもなく、人々は妖怪が大好きなのだろうと思う。夏休みということもあってか、美術館も水族館も妖怪をテーマにした展示をしているようだ。
 妖怪をモチーフにした文学作品も星の数ほどある。
 私は怖がりなのでホラー小説は読まないのだが、それでも何冊かの題名が思いつく。

 最近、京極堂シリーズを呼んでいる。
 姑獲鳥の夏を筆頭に、妖怪の名を題名に掲げた京極夏彦のミステリーだ。
 しかし、このシリーズには妖怪は出てこない。主人公である憑き物落としの決め台詞は「この世に不思議な事など何もないのだよ」
 夏、妖怪と来れば怪談だが、これらの物語郡は怪談ではない。憑き物を落とされた読者が出会うのは、確かに不思議などはない、一つの筋の通った物語である。

 そしてこのシリーズの特徴は、基本的に「とても長い」ということである。昨日から今日にかけて読んだ『絡新婦の理』は1350ページ以上ある。
 で、これだけ長い物語。暑くて家に引きこもっているしかない休日にはぴったりだ。
 先週は狂骨の夢。読んだのは高校生以来だった。
 そして今週の『絡新婦の理』。読むのは初めてだった。
  扉絵にあるのは、一枚の妖怪の絵。絡新婦。『図画百鬼夜行・前編―陽』より。女の人の後ろ姿と蜘蛛たち。一枚めくると、蜘蛛にまつわる怪談話。まったく、凝ったつくりである。
 それでも読み進めるうちに、重層的に張り巡らされた謎――蜘蛛の糸――に絡めとられたかのように、いつの間にか夢中になっていた。

『絡新婦の理』

 本書の題名は、そのままこの物語を端的に表している。蜘蛛。そして理。
 絡新婦とは、女の妖怪なのだそうである。蜘蛛となった女が則っている理――理屈、論理――を解き明かしていく。それが今回の憑き物落としである。だが、物語はすんなりとは進まない。なんといっても文庫本1000ページ以上の長さである。物語のステージは、次々と変わり、読んでいる最中は着地点の方向はまったくもって分からない。
 大きく分けると2つの事件を平行して追っていくことになる。それぞれの事件で、第3、第4・・・の殺人がおきる。そしてそれらの事件はやがて一つに集約し、そこでまた新たな悲劇が起こる。死屍累々。ここまで登場人物が亡くなるミステリも珍しい。あまりの死にっぷりに、思わず『ハムレット』を思い出してしまった(ハムレット初読時の感想は、「うわー、登場人物死にすぎ」という身も蓋もないものだった)。

 この物語がすんなりとは終わらない理由はその長さ以外にもいくつかある。まずは、宗教、民俗学、心理学が次々と顔を出し、知的好奇心が嫌でも刺激されてしまう京極節がある。今回ももちろん京極堂は雄弁だ。事件の舞台の一つには、「黒い聖母」がいるミッション系女学校だ。もうそれだけで、物語への期待――どのような薀蓄が物語に絡んでくるのだろう――といった期待が高まる。
 そしてもう一点。この物語の根底にはジェンダーの問題がある。登場人物の何人かは女性運動家であるし、この物語の動機には、家―相続―血筋―の問題が深く絡んでいる。ジェンダーの問題、と、要約してみるものの、その内容は複雑であるし、時代背景ということもある。私はそのことについて語る言葉を持たない。が、この物語の中は、そのなんとも言えなさが、とても面白い味となっている。

 にしても、物語の核となっている「女系」という概念、面白いなあと思う。血筋、家系といえば父系ばかりが強調されるキライがある。父子の相克を描いたドラマも、少し見方を変えるだけで様相ががらりと変わるのではないか、そんな予感がする。

文庫版 絡新婦の理 (講談社文庫)