読書録 地方生活の日々と読書

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私は幸せなのか。アラン『幸福論』【読書と人生】

 入籍当日。遠距離の婚約者に会うため、バスと電車を乗り継ぐ中、アラン『幸福論』をパラパラと読んでいた。
 プロポ(哲学短章)というそれぞれ独立した小編が積み重なってできた本書は、どこからでも読めて、移動中に少しずつ読むのにはもってこいだ。岩波文庫で読んだが、小さな文庫本には93の幸福に関するプロポが収録されている。

 読んで驚いたことは、この本に書かれた内容が驚くほど、実践的だったことだ。哲学というととっつきにくい印象があるが、プロポが描き出しているのは、日常生活に根ざした人間の姿=すなわち私たちの在り様である。それが平易な言葉で書かれている。
例えば、「46、王さまは退屈する」

若干苦労して生きて行くのはいいことだ。波乱のある道を歩むことはよいことなのだ。欲するものがすべて手に入る王さまはかわいそうだと思う。神さまたちも、もしどこかに実在しておられたら、少しノイローゼになっているにちがいない。

何もしていない人間はなんだって好きになれないのだ。そういう人間に、まったく出来合いの幸福を与えてごらん。彼は病人がやるように顔をそむける。それにまた、音楽を自分で演奏するよりも聞く方が好きな者がいるだろうか。困難なものがわれわれは好きなのだ。

ところで、入籍の際に驚いたことは、たくさんの人から「おめでとう」と声をかけて頂いたことだ。それはもう、一生分の「おめでとう」を言われたのではないかと思うぐらい、「おめでとう」と言われた。
何もしていないのに、こんなに祝福されるなんて、なんだか違和感。
今の私は「おめでたい」のだろうか。

違和感といえば、高校時代の友人に婚約したことを報告した際に言われた「じゃあ、今は幸せなんだね」という言葉。私はその問いかけに即答できず、言葉に詰まってしまった。
そして正直に、未来に対する不安を口にした。マリッジブルーというわけではないが、そこに楽観はなかった。

「結婚=幸せ」と、純粋に信じられる人は、今の時代、そんなにいないだろう。
少なくとも結婚することで状況が変わる。その変化はよいこと続きとはいかないだろう。
大きく生活が変わることに対する不安。未来が見えないことに対する漠然とした不安。
この人となら不幸になっても構わないと思える人と結婚したはずだが、不安は不安だ。まったく、幸せってなんだ。

でも、もしかしたら、この不安にまみれた変化の中にこそ、幸せというものはあるのかもしれない。

幸福論 (岩波文庫)