読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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退職まであと3日。

 転職する。そして明明後日が現職場の最終出勤日である。正式な退職日は12月末だが、来週からは有休消化に入る。  

 想像以上に感慨深くなく、相も変わらず代り映えしない毎日である。確かに業務は引継ぎや片づけついでの棚卸が中心になったが、毎朝起きて、会社に行って、働いて働いて、スーパーに寄って帰るというルーチンは変わらない。日常があまりにも日常すぎて、来週の今頃は平日の昼間に堂々と休んでいる、という事実がいまいち想像できないでいる。引越の準備も進んでいないし、今日と同じ明日が永遠に続いていく気もする。
 貴重な日々をただただ消費してしまっていると感じた日もあった。本当にただただ月日が経つを耐えている、と感じたこともあった。仕事上でも私生活でも特に目標を持つこともなく、毎日を過ごしてしまったからだろう。ふと、この3年間(今の職場は3年目だ)の意義を考えてみたりもする。私にとって、私の人生にとって、この3年間はどういう意味を持っているのか。

 確かに学ぶことは多かった。
 学生時代とは、意識や物の見方が変わったことも確かだ。
 例えば、社会人になることが私はとても怖かった。大人になることが、と言い換えてもいい。自分のダメなところは自分が一番知っている。自分が社会人(あるいは大人)にあたいする人間だとはとても思えなかった。しかし実際に社会人になると、「社会人」といっても一人の人間であることには変わりがないことがいやでも分かった。よい人もいれば悪い人もいるし、社会人の大半はよくも悪くもない人であることを知った。気づけば私も社会人にカテゴライズされていた。
 例えば、世の中にはいろいろな人生があることを知った。本が好きだったので知っている気になっていたのだが、それでも文章の中で知るのと、実際に会って話すのとは違う。変な話、学生時代までは、40代以上の未婚の男女と知り合う機会はまったくなかった。私が大学生時代までに出会った人々は、いかに均質化されていたことか。ある意味、恐ろしくもある。
 例えば、社会人になる前は金を稼ぐことが、なんとなく汚いものに思えていた。この意識は180度変わった。金を稼ぐことは、お金を循環させること。稼ぐこと、使うことに肯定的になれたと思う(稼げているわけでも、十分に使えているわけでもないのだけど……)。うん、お金欲しい。

今の生活が特別幸せとは思わないが、特に不幸とも思わないので、もしかしたら今の私はものすごく幸せなのかもしれない。

 しかしいつまでも続くかと思われたこの生活も、来年からは一遍するはずだ。
 引っ越し、転職、結婚相手との二人ぐらし。
 良くも悪くも忙しくなるだろう。一人暮らしの自由気ままさ( ex)はてブを見ながらストロングゼロをあおる)を捨てるのは惜しいが、自分だけのために生きることに飽きたことも事実だ。趣味も生きがいもない人間には人生90年は長すぎる。