読書録 地方生活の日々と読書

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結婚してみた。人生の一大転機を経てみた感想。

いわゆる結婚生活を始めて早4ヶ月。引越し・転職と転機だらけの年末年始を経て、ようやく日常は日常らしく淡々と過ぎていくようになった。

結婚という人生でも一二を争う転機を経てみて、私という人間は何か変わったか。それが驚くほど変わらない。

もちろん変わったこともある。早起きするようになったし、多少は料理をするようになった。仕事の業界も職務内容も大きく変わったし、付き合う人も変わった。日々感じるストレスだって違う。最近は、毎日お米研ぐのとヤカンでお茶をつくるのとお弁当箱を洗うのと、定年退職後天下りした還暦過ぎの上司から小言を頂戴することがストレスの主な要因となっている。

しかしそれでも私は、私の本質は驚くほど変わらなかった。むしろ私の中にあった私自身の本質が、新婚生活により鮮やかに描き出された。

私は怠惰で、主体性のない人間だ。

大学生のころ、慣れないアルコールの勢いに乗って「私ってどんな人間?」と友人に尋ねたことがある。友人は「ふわふわしてる感じがする」と答えた。ふわふわしている。このやりとりがずっと頭の中から離れないのは、その答えが私の核心をついているからだろう。
主体性のなさ。
それが私の根幹であり、人生を形作ってきた。

いつも、ここではないどこかへ行きたかった。
「今」は常につまらなかった。
だけど、自分にとって面白いものは何かが分からない。どこへ行きたいのか、何をしたいのか。
進学や就職といった大きな選択は、悩んだ末に結局、いわゆる「レール」の上を歩くことを選択した。今思えば、選択した、というよりも、「常識」や「ふつう」に流されただけである。
なんとなく、死にたい死にたいと思い続けていた。人生に楽しみを見出せない人間は、人生が内包する虚しさに直面せざるを得ない。人生の意味と無意味さ、別の人生の可能性をずっと考えていた。きっとどこかで人生を間違えたのだろう、あのとき別の選択をしていれば、私は人生を賭けてでも熱中できる何か(職業なり趣味なり)を手にしていたのではないか。

結婚を決断したのだって、一人暮らしにも飽き、「ここではないどこか」で送る生活が人生を変える可能性に希望を感じたからでもある。もちろんそんな主体性のない願望によって人生が変わるわけがない。

ところで、私の夫は私とは大きく違う人間であり、主体的に自分のことを自分で楽しませることができる人間である。今日だって仕事終わりに映画館へ行き、帰宅後は
学生時代の友人が書いた論文を読み、ネット通販で買ったバイクのパーツを見ながらニヤニヤしていた。
楽しそうな夫を見るのは好きだが、その一方で、没頭できる楽しみを持つ彼をとても羨ましく思う。そんな彼と生活していると、Googleで「無趣味 暇」などと検索して時間を浪費する虚しさが一層際立つ。ああ、私ってこんなにつまらない人間だったんだ。もしかして、人生、楽しみ損してる?
もちろん夫の好きなことを徹底して楽しむ姿勢は結婚前から変わらない。そうだ、そういえば私は彼のそこに惹かれて結婚を決断したのだった。私も彼のように、自分で自分の人生を楽しませたい。

結婚というイベントでは私は何も変わらなかった。しかし結婚生活という何気ない日々の中で、私は自分の「主体性のなさ」というコンプレックスと向き合わざる得なくなった。これを転機にしなければ。私は一生、つまらないつまらないと思いながら、この先70年も生きていかなければならなくなる。
自分のことを変えられるのは自分だけ。人生のイベントが変えてくれるわけではない。今の私は、自分で自分を、自分の人生を変えるという転機の真っ最中にいる。



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