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ディストピア小説を読む 『侍女の物語』マーガレット・アトウッド【読書感想】

 ディストピア小説を読みたい。夏の終わりにふと思った。それから二ヶ月。ようやく一冊を読み終えた。カナダ人女性作家マーガレット・アトウッドによる侍女の物語

 初期のギレアデ政権時代に「侍女」として生きた一人の女性が残したテープを文書化したもの、それが「侍女の物語」である。

 ギレアデは、かつては「アメリカ」と呼ばれていた。合衆国政府はある日突然起こったクーデターで倒れ、その後に樹立されたのが、キリスト教原理主義政権ギレアデである。ギレアデ政府は、民主主義を否定し、徹底的な身分制度と情報統制と監視による社会を作り上げた。ギレアデは、深刻な出生数の低下に直面していた。子供がなかなか生まれない。生まれても五体満足ではない、あるいは、出生後すぐに亡くなってしまう。国の危機を前に作られた、出生可能な女性に与えられた身分が「侍女」である。彼女らの仕事は、高い身分の男性「司令官」たちの子供を妊娠・出産することである。子供を望めない「司令官」の「妻」たちに代わって。「侍女」たちは「司令官」の家に派遣され、個室と妊娠によいとされる食事を与えられ、そして定期的に「司令官」と性交する。妊娠し出産すれば別の「司令官」のもとに派遣され、もしも子供が産めずに年をとってしまったらーー「不完全女性」としてコロニーに送られる。コロニーでは年をとった女性や少数の男性たちが、核汚染物質の処理を素手でさせられている。侍女たちは子供を産むこと以外の一切を取り上げられる。文字も娯楽も与えられない。逃げ出すことは重罪だ。不満をこぼすことも、誰かと共謀することもできない。「目」と呼ばれるスパイがおり、反社会的と思われた人間は絞首刑にされて晒される。検問所は街のいたるところにある。

 そんな国に生きる一人が主人公で語り手であるオブフレッドである。アメリカで一時の母であった彼女は、国の崩壊と新政権の樹立を機に「侍女」にさせられた。物語は現在の彼女の送る息苦しい毎日と過去の追憶ーー友人がおり、恋人がおり、子供がいた自由だった頃のこと、国を出ようと試みたときのこと、センターと呼ばれる再教育施設で過ごした日々のことーーを交互に交えながら進んでいく。
 異様な世界観の中で進んでいく物語の中で、しかし、囚われの彼女を取り巻く状況はなかなか変わらない。それでも時間の経過と共に少しずつ状況は代わっていき、そして、とあるきっかけと共に、劇的な結末へと突き進む。そして彼女は自身の物語をこのように形容する。

この物語がもっと違った物語であればいいのに。もっと洗練された物語だといいのに。たとえ幸福でなくても、せめてわたしの良い面をもっと強調してくれる物語ならいいのに。そしてもっと逡巡の少ない、あまりささいなことで脱線したりしない、もっと活動的な物語ならいいのに。もっときちんとした形式をもった物語ならいいのに、愛についての物語、あるいは人が人生にとって重要な悟りを得る物語ならいいのに。せめて夕焼け、鳥、嵐、雪についての物語ならいいのに。

 これぞディストピア小説、という物語であった。一見突飛なように思える社会の設定も、読み進めているうちに、私の暮らす現実世界の延長であってもおかしくないと思えてくる。強い説得力をもって迫ってくるのは、この物語の舞台が平和な世界からある日突然ディストピアになってまだ数年しか経っておらず、語り手オブフレッドがかつては自由を謳歌していたからである。彼女は大卒のキャリアウーマンであり、不倫の末愛する男を手に入れ、自分の手で子供を育てていた。数年の後に、彼女は文字も仕事も子供も奪われる。恋愛も、自分で子供を育てることも禁止された。この落差が、生々しい。私たちの世界もちょっとした悪意ーーあるいは善意ーーによって、あっという間に変わってしまうかもしれない。そう思えるのだ。
 数年前、現在は社会の変革期にある、と唐突に思った。何かが、大きく変わっている。その変化は、昨日と今日とでは、目に見えないほど小さい。しかし、昨日と今日とでは、何かが徹底的に違っている。そんな感覚を持った。例えば、先日のハロウィン。ハロウィンのイベントがこんな一大行事になるなんて、5年前には思ってもいなかった。
 社会の変化の目まぐるしいスピードが、この物語の説得力をより強くしている。社会状況が悪化するときは、坂を転げ落ちるように一気に悪くなる。そしてそれは決して他人事ではない。そんな予感を背中に感じながら、そっと本を閉じた。


新潮社の単行本で読みました。訳者は斉藤英治さん。ハヤカワepi文庫でも出版されているようですね。