読書録 地方生活の日々と読書

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北欧×近代×ミステリ 救いようのない世界を生きる『1793』(ニクラス・ナット・オ・ダーグ)【読書感想】

 ブログの更新が滞っている。なぜか。本を読んでいないからだ。個人的な読書記録であるこの個人ブログの更新には、当たり前だがブログ主が本を読む必要がある。その肝心のブログ主はといえば、日常生活に忙殺され、情けないかな、まともに本も読めないでいる。

 けれども今日は違う。1日かけて1冊の本を読みきり、このブログを更新している。

 というのも遠方に住む友人から結婚式に招待され、出席すべく関西の田舎町から東北の某都市へとやってきたのだ。電車や飛行機による移動時間は格好の読書タイムだ。式は明日。それまでの時間は久しぶりに、私一人だけのものだった。移動時間を読書に費やし、さらには観光するつもりだった時間も気づけば読書に費やし、酒屋さんで買い求めた地酒を片手にホテルの部屋に引きこもり、そして1冊読破した。この文章は、明日の式に備えるべくシャワーを浴び、ベッドに潜り込む前に書いている。

 加齢し集中力が落ちた私が一日中飽きもしないで本を読み終えることが出来たのは、選んだ本が良かったからである。
 今回の東北行に選んだ本は北欧ミステリ『1793』(ニクラス・ナット・オ・ダーク著)。以前本屋で見かけ、その表紙のインパクト‐‐黒字に血のように赤いインクで描かれた「1793」の文字‐‐に惹かれ、手にとったことがある本だ。ミステリを単行本で買う習慣がないもので、本屋では迷った末に購入はしなかったものの、今回の旅程の前日、つまり昨日、衝動的に買い求めてしまった。電子書籍で。物理的なものとして『1793』を手に入れなかったことに後悔も少しあるのだけれど、旅行(しかも否が応でも荷物が増える結婚式への出席)に単行本を持ち歩く元気はさすがになかった。

 しかしこの本の購入は、正解だった。
 物語の舞台となっているのは、題名の通り1793年のスウェーデン。世界史に疎い私だが、1793年はフランス王女マリー・アントワネットが処刑された年だそうだ。つまり戦争と平和(物語は1805年からスタート)やレ・ミゼラブルジャン・バルジャンがパンを盗んだのが1796年)と同じような時代背景を有しているといえる。おお、私の好きな時代だ。しかし19世紀の偉大なる文豪たちと異なるのは、本書の著者が我々と同じく21世紀を生きているということだ。同年代を生きるニクラス・ナット・オ・ダーグは、現代社会ではつい忘れがちなことをその物語において、何度も読者に思い起こさせる。すなわち人生は悲惨であり、救いようがない。少なくとも物語の舞台となっている1793年のストックホルムでは、貧乏人は貧乏人として生まれ、貧乏人として死んでいく。街は浮浪者と酔っ払いに溢れ、暴力はありふれている。冬には凍死者が山となり、春には熱病が猛威を振るう。内湾や湖は汚物で汚染されており、人は簡単に死んでいく。

 そんな澱んだ湖から、1人の死体が見つかったことところから物語は始まる。被害者には両目がなく、四肢が切断されていた。私はこの描写で江戸川乱歩の『芋虫』を思い出したが、芋虫の彼と違うのは、この被害者の四肢は残忍な人間により故意に切断されていたことだった。いくら死がありふれた世界でも、その死体は異様だった。誰に、何のために、彼は殺されたのか。その謎に挑むのは、戦争で左腕を失った退役軍人、常に酔っ払ってる「引っ立て屋」のカルデルと、何よりも理性を重んじる法律家、しかし重度の結核で死の影がつきまとうヴィンゲの2人組。タイプの違うコンビがこの謎に挑んでいく。そして私たち読者はこの本を読み進めるうちに、この被害者の周囲に生きた人々の人生を覗き見ることになる。

 本屋さんで見かけた帯には「北欧歴史ミステリー」と書かれていたように思う。しかしこの本は謎解きに重点を当てたミステリではない。
 読了して印象に残るのは、決して恵まれた境遇ではない登場人物たちが、それでも必死に自分の生を紡ごうとしていく姿である。この世界は悲惨で、一人の人間の命は余りにも軽い。けれども人々は自らに与えられた生を必死に生きてきたし、そしてこれからもそうするだろう。そんなことを考えさせられる物語だった。

 訳者ヘレンハルメ美穂さんによれば、この本は3部作を予定しているそうだ。次回作の題名はもちろん『1794』。続きもぜひ読んでみたい。

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