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ロスジェネ小説 『ロス男』平岡陽明【読書感想】

ロストジェネレーション世代の作家が書いた、ロストジェネレーション世代の男を主人公とした小説『ロス男』(平岡陽明著)を読んだ。
生まれ落ちた世代で規定されてしまうほど、人生というものは単純ではない。「ロストジェネレーション世代」と一言で言っても、その世代の方の人生は多様であることは容易に想像できる。むしろロストジェネレーションの本質をそれまでの世代が乗ってきた人生のレールというものが消失したとことだと考えると、ロストジェネレーション世代の人生はそれまでの世代と比べ、多様なルートを辿り今という時代に至っているのではないかという気もする。(これはきっと気のせいだ。やはりどの時代でも、個々の人生は多様性に満ちている。)
それでも世代論というものがこれだけ世間で流行っているのは、一種の説得力があるからだろう。「時代の空気」というものは確かに感じる。それに多くの人々にとって「どのように働くか」ということは、人生を大きく左右するファクターである。そして「どのように働くか」という選択を左右するのが、初職時の景況感なのである。だからこそロストジェネレーションという言葉で規定される世代が生まれたのだろう。ロストジェネレーション、失われた世代。就職活動時にバブル崩壊に伴う不況が重なり、働き方、働く先の選択肢が極端に少なくなった世代。それに伴い、その後の人生の選択肢もロストさせられた世代。

『ロス男』の主人公は、アラフォー、非正規、独身彼女なしでキャッシング常習者という「いわゆる」ロスジェネ世代的属性を持っている。母子家庭で育っれた彼が、母親を看取った数ヶ月後から物語は始まる。客観的には幸せとは言えない境遇だが、しかし読んでいて不思議と彼に悲壮感は感じない。これは、お人好しでどこか優柔不断で、「そろそろ本当の自分の人生を起動したい」と思いながらも流されるように日常を送っている主人公吉井くんの約1年間の物語である。

物語を通して主人公は、団塊の世代の元同僚の「死ぬまでにしたい10のこと」リストの作成を手伝ったり、「全てに色がついてしまう」女性に恋をしたり、サラリーマンを辞めてヤクザライターになった同級生と再会したり、婚活で苦戦したり、美味しい日本酒を連日連夜飲んでみたりする。
なかなかにイベントの多い人生である。これだけイベントが起こるというのは、彼が驚くほど「いい人」で、周囲の人に恵まれているからである。
彼に配られた「ロスジェネ世代」という手札の割に、彼に悲壮感がないのも頷ける。彼は社会で生きていくのに十分な自己肯定感があり、そのため他人に優しく接することができるため、周囲の人に恵まれている。さらにいえば相続した住居(ちなみに平屋だ。首都通勤圏に平屋!)もある。フリーの編集者としての仕事もある。運の悪い時代に生まれてしまったことは自覚してしているが、だからといって社会を恨んで捻くれることも、必要以上に自己嫌悪をすることもない。現実をあるがままに受け入れているようにみえる。口に出さない口ぐせ「本当の人生を起動したい」という言葉にも切実感はそれほどなく、私が月曜日の朝に「早く帰りたい」と思いながらも仕事に取り掛かるのと同じような軽さである。
結局のところ、人生を楽しく送るためには、多くのものは必要ないのである。等身大の自分を受け入れ、ありのままの世界を見つめ、自分にも他人にも嘘をつかず、周りの人に優しくできれば、良い人生は送れるのだろう。

しかし問題は、私もそして多分あなたも、そんなに優しい人間ではないということだ。
だからこそ、欲をいえば、主人公吉井くんのもっとドロドロとした面を見たかった。過去についてもっと悔恨して欲しかったし、未来について思い悩んで欲しかった。何だかんだいって、現実を生きすぎだよ、吉井くん。わたしは性格が悪いのだ。だから君のもっと惨めでみっともなくて恥ずかしい姿、もがき苦しみながらもながらも生きていく姿を見たかった。人に優しくできなくて、自己嫌悪する姿を見たかった。この小説の文体に求めすぎかな。

この本は長編小説だが、それぞれのイベントごとに章が分かれており、連作短編集のようにさっくり読める。章立ての効果なのか、物語仕立てのビジネス書や自己啓発本を読んでいるかのような、不思議な読書感だった。

ロス男

ロス男