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『火星年代記』レイ・ブラッドベリ【読書感想】

有名なSFを読んでおこう読書の一環で、レイ・ブラッドベリ火星年代記を読んだ。年末年始のハヤカワSFフェアで大人買いした本の中の一冊。一泊二日の出張の間に読破した。

レイ・ブラッドベリさんの本を読むのは「未来の焚書」を扱った華氏451度』に続いて2回目。『華氏451度』は、有名SFにも関わらずすんなり読めてしまった、との印象があったが、その印象は本書でも同様だった。
本書は長編SFなのだが、「年代」ごとの短いエピソードの集積であり、エピソード同士の繋がりはほとんど無いため、短編集を読むようにサクサクと読める。最初はその作りに戸惑いもしたが(普通の長編SFだと思っていた)、そのうちに、次のエピソードはどんな人が主人公で、その主人公はどんな立場に置かれているのか気になって、ページを捲る手が止まらなくなった。そうしてエピソードが重なるうちに、火星の、火星人の姿が浮かび上がってきた。

著者が本書で書き出す火星の姿は独特だ。そこには酸素があり、火星人がずっと昔から文明を築いている。アンディ・ウィラーさんが『火星の人』で書き出した、荒涼とした生命感のない物理としての「火星」とは大きく異なる。なんといっても、地球人は宇宙服なしに火星で生きていくことができるのだ。
そんなファンタスティックな「火星」にアメリカ人(のみ)が入植してくる、というのがこのSFのストーリーだ。その入植の先駆けの探検隊や地球人入植以前の火星人夫婦のエピソードから始まり、ひょんなことから入植したアメリカ人たちが地球に帰ってしまい、その退去の後火星に取り残された地球人たちの孤独の様までを連作短編集のように書き出していく。どのエピソードにもどこか「可笑しみ」があり、リアリティがある物語というよりも寓話的である。
私は第4探検隊の失われた火星文明に対する憧憬に満ちた物語と、火星人に宣教しようとやってきた神父たちが出会った青い火の玉の物語と、後半の人々が去って見捨てられた街で生き残りを探す男女の邂逅が辿った滑稽な結末についての物語が特に印象に残っている。
華氏451』を彷彿させる焚書の仕返しに大掛かりな罠を仕掛けた男のエピソードも好きだ。罠は、エドガー・アラン・ポーの超有名作のオマージュになっており、「やっぱりそうなるのね」と楽しみながら読んだ。

しかしこの物語の魅力は、個々の物語の面白さだけではない。この本はあくまで「年代記」なのである。個々の物語が重なることで浮かび上がる「歴史」としての火星の物語、それが一番の本書の魅力なのだと思う。その歴史はどこかアメリカの開拓に重なり、その行き先は人間社会への風刺となっている。人間が歴史の中で重ねてきた愚かさをブラックユーモアを持って書き出しているかのようだ。国破れて山河あり。ああ、諸行無常
この年代記の「年代」の短さにもなんとも言えない物悲しさがある。この本が書き出した火星の歴史はたったの27年間なのだ。この短い歴史の中で、地球人は火星を征服し、火星から逃れ、そして文明の断片のみが残ったのだ。
我々人類が誕生してから地質学的時間では瞬く間に繁栄し、滅んでいくことを暗喩している、とまでは言いすぎだろうか。言い過ぎだろうな。読んだ後に、ついそんなことを考えてしまうような読書だった。

火星年代記 (ハヤカワ文庫SF)

火星年代記 (ハヤカワ文庫SF)