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人間の速度で進む戦争映画。『1917 命をかけた伝令』(サム・メンデス監督)【映画感想】

『1917 命をかけた伝令』(サム・メンデス監督)を観てきた。すごい体験だった。出来れば映画館で見てきてほしい。今までにない映像体験が待っている。

 映画が始まってすぐに圧倒された。始まる前の予告編を眺めているときは寒いくらいだったのに、顔が火照っているのを感じた。ホラー映画でもないのに、血圧が上がり、心拍数が上がっていた。それが、分かった。

 第一次世界大戦中のフランス。イギリス軍とドイツ軍が塹壕戦を繰り広げているなかを、イギリス兵の主人公が、15、6キロ離れた友軍に伝令を伝えるというだけの映画である。最新の兵器も、特殊技能を持ったすごい人も出てこない。主人公はただの上級兵であるし、装備も銃剣に手榴弾だ。やたら重そうな軍服に、タライのようなヘルメットを装着している。課せられた任務も伝令といった地味なものである。伝令を伝える手段はもちろん自分の「足」。しかし、それらのことはこの映画の魅力を全くもって損なわない。
 前線からドイツ軍が撤退したのを見て、いまが好機と突撃をかけようとしている友軍に、「それは罠だ、攻撃を中止しろ」と伝えるのが、主人公たちの役目である。攻撃開始予定の翌朝までに伝えなければ、1600人もの仲間が犬死にしてしまう。15、6キロというと近いように感じるが、そこは戦場。有刺鉄線を抜け、泥道を進み、遺体だらけの放棄された塹壕を抜け、破壊された街を行かなければならない。そこは生と死が隣り合う場所であり、彼らは文字通り、多くの死者を乗り越えていく。

 この映画の凄いところは、ほとんどノーカットで2時間近くの映像を撮っているところだ。実際はどうなのかは知らないが、私には2カットしかないように感じた。超長回しだ。この効果がすごい。
 カットを切らないということは、ひたすらに主人公に寄り添うということだ。あるときは後ろから、あるときは正面から、カメラは主人公たちを映し続ける。そして必然的に、映像は人間の目線で、人間の時間軸で進むものとなる。この人間の目線、時間軸で進む映像というものが、自らの身体一つで敵地を進み伝令を伝える人間の物語に、素晴らしくフィットした。私たち観客はそれらの映像に飲まれ、主人公たちの感じる緊張感を共有することになる。映画館に座っている私たちは主人公らの疲労や痛みを感じることは出来ないが、同じ目線の映像を通して不安や恐怖は感じることができるのだ。戦場の緊張感は、この2時間を通して緩むことはない。

 そしてそんな映像から浮かび上がるのは、人間の目線で見た戦争そのものだ。個人の目線で見た戦争には、政治も大義も、正義も悪もない。敵と味方がいて、それらは同様の肉体を持つ人間で、ナイフで刺せばあっさりと死んでしまう生き物である。同じように祖国に家族が、帰りを待つ人がいる。主人公たちは多くは語らないが、それでも、戦争そのものが持つ虚しさというものが、ひしひしと伝わってきた。特にラスト近くの一斉攻撃のシーンは圧巻。ああ彼らは何をやっているのだろう。なぜ異国で殺し合っているのだろう。

 映画が終わり、明かりが灯った。にも関わらず、場内は沈黙が支配していた。同じ映画体験をした誰もが圧倒されていたことを感じた。自らの鼓動がうるさい。他の映画を観た後とは、明らかに違う心理状態だった。映画という客観的体験ではなく、敢えて言えばゲームのような主観的な体験、没頭感だったと思う(「第1次世界大戦」「塹壕戦」ということで『デス・ストランディング』が思い浮かんだ)。
 本当にあっという間の2時間だった。おススメです。そして圧倒的な映像体験をするために、ぜひ映画館に足を運んでほしい。