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『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(大木毅著)【読書感想】

 独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(大木毅著)を読んだ。
 岩波新書から出版されており、第二次世界対戦におけるドイツとソ連の戦争についてコンパクトにまとめられた一冊である。
 以下、目次。

はじめに 現代の野蛮
第一章 偽りの握手から激突へ
 第一節 スターリンの逃避
 第二節 対ソ戦決定
 第三節 作戦計画
第二章 敗北に向かう勝利
 第一節 大敗したソ連
 第二節 スモレンスクの転回点
 第三節 最初の敗走
第三章 絶滅戦争
 第一節 対ソ戦のイデオロギー
 第二節 帝国主義的収奪
 第三節 絶滅政策の実行
 第四節 「大祖国戦争」の内実
第四章 潮流の逆転
 第一節 スターリングラードへの道
 第二節 機能しはじめた「作戦術」
 第三節 「城塞」の挫折とソ連軍連続攻撃の開始
第五章 理性なき絶対戦争
 第一節 軍事的合理性の消失
 第二節 「バグラチオン」作戦
 第三節 ベルリンへの道
終章 「絶滅戦争」の長い影
文献解題
略称、および軍事用語について
独ソ戦関連年表
おわりに


 1941年から1945年まで続いた独ソ戦では、数千キロにも及ぶ戦線で、百万人単位の軍隊が激突した。この本によれば、損害の大きかったソ連軍では1158万5057人の軍人がなくなったという。第二次世界大戦での日本軍の死亡者数が210万から230万人というのだから、その死者数の多さには驚くしかない。しかし独ソ戦の特異さはその規模の大きさだけではない。「独ソともに、互いを妥協の余地のない、滅ぼされるべき敵とみなすイデオロギーを戦争遂行の根幹に据え、それがために惨酷な闘争を徹底して遂行した点に、この戦争の本質がある」。
 しかしこのような本質については、日本では専門家以外にはほとんど知られていないという。
 確かに私は、独ソ戦の戦争の本質どころか、独ソ戦自体もほとんど知らなかった。ここまで大きな戦争をドイツとソ連は行っていたのか。例えばフィクション作品『卵をめぐる祖父の戦争』(デイヴィッド・ベニオフ著)レニングラード包囲戦を初めて知るといった具合で、この戦争について体系的に学んだ記憶がない。
 軍事の専門家である著者が、私のような素人にも分かるようにと書いたのがこの一冊である。非専門家向け(一般向け)の入門書という位置付けだ。そのため、一読してとても丁寧に作られた本であると感じた。専門家が一般読者向けに書いた近現代の戦史というのは、意外と珍しいのではないかと思う。

 この本は通史ということで、少し引いた視線で独ソ戦を俯瞰する。個々人の悲惨さではなく、もっと大きな視野で悲惨さが生じたメカニズムを解説していく。両国が戦争に向かう時代背景や独ソ両国の内政外政の状況も丁寧に書かれており、つまづくことなく読み進めることができた。軍事用語も多く使われているが、簡単な単語集もついている充実ぶりである。

 この本の面白いところは、「以前はこのように考えられていたが、現在ではこのように解釈されている」といった記述が多くあるところである。過去(冷戦時代)と現在では、独ソ戦の研究が大きく進歩しているという。著者は読者に易しく知識のアップグレードを促す。残念ながら私にはアップグレードの元となる知識がなかったのだが、それでも過去の解釈と現在の解釈の違いを知ることは興味深かった。
 また、この本では独ソ戦自体だけではなく、戦後独ソ戦が、どのように政治のプロパガンダに使われていたかということにも言及しており、興味深かった。政治というやつは、これだけ人が亡くなった戦争ですらも、自らの主張を通すための道具にしてしまうのかと薄ら寒い思いをした。

 この本を読んで、改めて戦争というものを恐ろしく感じた。人間はなんと愚かな生き物なのだろう。
 ところで、国家という概念が大きく変容しつつある現在において、戦争というものはどのような形をとるのだろうか。「テロ化」や「外注化」が進むであろう未来の戦争では、戦時国際法は果たして守られるのだろうか。戦時国際法よりイデオロギーが優先された独ソ戦の悲惨さは、現在を生きる私たちに、重要な教訓を残している。

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書)

  • 作者:大木 毅
  • 発売日: 2019/07/20
  • メディア: 新書