読書録 本読みの貪欲

地方在住三十路女の読書日記。趣味が読書と言えるようになりたい。本のほかには犬と魚が好き。

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『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』J.D.ヴァンス

 アメリカという国は近くて遠い国だ。太平洋を挟んで隣国であり、我が国の社会経済に多大な影響力を持っている。テレビをつければ毎日のように大統領の名前が登場するし、ホワイトハウスニューヨーク証券取引所の映像もよく目にする。それだけ身近な国でありながら、いわゆる普通のアメリカ人の生活の様子というものが、私には上手くイメージ出来ないでいる。政治家やハリウッドの有名な俳優やITベンチャーの成功者たちの姿や、アメリカ死にかけ物語』(リン・ディン著)で取り上げられているような経済的弱者の姿は何となく想像出来るが(もちろんこの「想像」も現実とは大いに異なっているのだろうが)、その中間たる「ふつうの人」の姿は想像すら上手くできない。
 しかし今回、一人の青年の自伝であるヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』という本を読み、アメリカにおいては日本以上に「普通の生活」というものが存在しないのだろうな、と思った(尤も、日本にも「普通の生活」なるものは存在しないのだが)。そこにあるのはよく言えば「多様性」であるが、そこには外側からは見えにくいが確実に存在する多段階の「格差」である。

ヒルビリーとは誰か。

 ヒルビリーという言葉は、この本を読んで初めて知った。ヒルビリーとはどのような人を指す言葉か。著者による「はじめに」により少し長いが、言葉を引こう。

 民族意識の強いアメリカ社会では、往々にして、肌の色のちがいをあらわす言葉ーー「黒人」「アジア人」「特権的白人」が大きな意味を持つ。
 この分類は、ときには役に立つこともあるが、私の人生の物語を理解するには、さらに深く掘りさげて考える必要がある。
 私は白人にはちがいないが、自分がアメリカ北東部のいわゆる「WASP(ホワイト・アングロサクソンプロテスタント)」に属する人間だと思ったことはない。そのかわりに、「スコッツ=アイリッシュ」の家系に属し、大学を卒業せずに労働者階層の一員として働く白人アメリカ人のひとりだと見なしている。
 そうした人たちにとって、貧困は、代々伝わる伝統といえる。先祖は南部の奴隷経済時代に日雇い労働者として働き、その後はシェアクラッパー(物納小作人)、続いて炭鉱労働者になった。近年では、機械工や工場労働者として生計を立てている。
 アメリカ社会では、彼らは「ヒルビリー(田舎者)」「レッドネック(首すじが赤く日焼けした白人労働者)」「ホワイト・トラッシュ(白いゴミ)」と呼ばれている。
 だが私にとって、彼らは隣人であり、友人であり、家族である。

 著者は、そんなヒルビリーの貧しい一家に生まれた。物心ついたときには、両親は離婚しており、母親はアルコール依存症である。少年時代には、目の前で母親が逮捕されたこともあった。そんな境遇にも関わらず、愛情深い祖父母の支援や海兵隊にて生活習慣を獲得したことにより、大学へ進学し、遂にはイェール大学のロースクール(大学院)を卒業し、上流階級の仲間入りを果たす。まさにアメリカン・ドリームの体現者である。
 そんな著者が、一市民の目線で見た現代アメリカ社会の姿を赤裸々に書き出たのが、本書ある。それは私の知らなかったアメリカ市民の姿であり、とても興味深かった。ヒルビリー以外のアメリカ人にとっても彼らの生活や彼らからみたアメリカの姿は興味深いらしく、この本はアメリカでもベストセラーとなっているらしい。

アメリカンドリームの裏話

 特に私は、ヒルビリーたちが感じている希望の無さからくる仕事に対する態度について書かれた部分を興味深く読んだ。

 著者は大学院入学前に地元のタイル工場でアルバイトしていた。重労働ではあるが、安定した賃金を得られる職場で、長年働いている従業員も多いのだが、著者の出会った若者は、無断欠勤や遅刻、トイレでのサボりを繰り返し辞めたり、辞めさせたりしていった。

 あまりにも多くの若者が、重労働から逃れようとしている。よい仕事であっても長続きしない。支えるべき結婚相手がいたり、子どもができたり、働くべき理由がある若者であっても、条件のよい健康保険付きの仕事を簡単に捨ててしまう。

 著者は、田舎の衰退は、仕事がないからだけではなく、人々の仕事に対する態度も原因のひとつであるという。あくまで著者の体験と自説なので、ヒルビリー全体に当てはまることなのかどうかは分からないが、人々の仕事観の断絶の存在は面白いなと思った。貧困層の実態をよく知る著者が、福祉重視の政策に批判的なことも興味深かった。

 また、全米トップクラスの大学院生の就活事情について記述された部分も興味深い。求人を探して履歴書を出して面接して、というよくある一連の流れではなくて、リクルーターとの食事会(もちろん高級レストラン)にて、学生はスカウトされていく。「社会関係資本」の効果が、実体験として語られると、貧乏人の私としては、何も言えなくなってしまう。住む世界が違う、という現実を前にして、個人でできることは少ない。そしてきっとこの現実は、アメリカだけの話ではないのだろう。

 この本はアメリカンドリームの体現者として、複数の階級を渡り歩いた青年の貴重な記録である。近くて遠い国、アメリカの複雑さ、多様さに目が眩むような読書体験だった。
 

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

  • 作者:J.D.ヴァンス
  • 発売日: 2017/03/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)