読書録 地方生活の日々と読書

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『朗読演奏実験空間”新言語秩序”』amazarashi

 ディストピアものの物語が好きだ。ディストピア世界は、本や映画、あるいはアニメなどで数多く描かれてきた。それをライブで表現したアーティストがいる。私の大好きなバンド『amazarashi』である。

 『amazarashi』は2020年6月9日に、活動10周年を迎えた。10周年に合わせYouTubeに限定公開(6月16日19時30分までの公開とのこと)されたのが、「検閲」をテーマにしたライブ『新言語秩序』である。『新言語秩序』が描き出すディストピア世界は、市民の自主的な検閲により、誰も傷つけない「テンプレート言語」がスタンダードとなり、それ以外の自由な言葉を使う人間は「テンプレート逸脱」として「再教育」施されるという世界である。「新言語秩序」とは、「テンプレート逸脱」を取り締まる自警団を表している。
 このライブ『新言語秩序』には『朗読演奏実験空間』という副題がついている。武道館で行われたそれはamazarashiの普段のライブとは大きく違った。

 まずライブ会場に赴いた我々ファンは「新言語秩序」に抵抗する名もなき人々だ。客席に着いた私たちは開演までの時間、『リビングデッド』『独白』という曲を聞いて待つことになる。この2曲は「新言語秩序」によって「検閲済み」なので歌詞がはっきりと聞こえない。歌っているのは分かるのだが言葉のひとつひとつがはっきりとしないのだ。歌詞の言葉をはっきりと聞くためには、検閲解除行う必要がある。検閲を解除するためのアプリは「新言語秩序」に抵抗するレジスタンスたちである「言葉ゾンビ」たちが制作し配っている。私たちは自分のスマホにそれらをダウンロードすることができる。このアプリだが今回のYouTube上の公開に合わせ改良され、自宅でライブ動画を見ながら楽しむことができる仕様となっている。
 やがてライブが始まる。ギターがかき鳴らされる。キーボードの音が響き渡る。ボーカルの声が、待ちに待った「言葉」が耳に飛び込んでくる。一曲目はワードプロセッサー』

歌うなと言われた歌を歌う 話すなと言われた言葉を叫ぶ
燃やすほどの情熱もないと いつか流したあの敗北の涙を
終わってたまるかと睨んだ明日に
破れかぶれに振り下ろした苛立ちの衝動を
希望と呼ばずになんと呼ぶというのか

 そして私たちは検閲を解除する。そこで流れたのは、検閲が解除され、歌詞がしっかりと聞こえるようになった『リビングデッド』。朗々と歌い上げられる歌に一気に「新言語秩序」の世界観に飲み込まれた。

絶対なんてないくせに 絶対なんて言葉を作って
何故為せぬと 見張りあう我ら
劣等感も自己嫌悪も 底まで沈めたら歌になった
死に切れぬ人らよ歌え

 ちなみに『リビングデッド』は公式YouTubeチャンネルに検閲済み、検閲解除済の2パターンの曲(MVもそれぞれ違う!)が公開されているので、ぜひ聴いてみて欲しい。

 ライブ『新言語秩序』はamazarashiの曲の演奏とボーカル秋田ひろむによる朗読によって成り立っている。朗読では、言葉に傷つけられ言葉を狩る側の人間となった少女・実多と、言葉ゾンビのリーダー的な存在であり自警団に追われる少年・希明の物語となっている。彼らの物語に合わせ選曲された歌が、力強く演奏され歌いあげられる。
 amazarashiは顔出しをしていないバンドなので、武道館の中央に設置された舞台に立つ彼らを取り囲むように、四方にスクリーンが張り巡らされている。曲に合わせ、スクリーンには映像(もちろん「新言語秩序」世界の映像だ)と言葉が次々と表示されていく。言葉は、景色に投影されたり、SNSのツリーや新聞のなかの文字として表現される(例えば新聞であれば、「出版事業社一斉摘発」などニュースを伝える言葉の間に歌詞が書いてある)。なかには彼らのYouTube公式チャンネルの画面をライブ用に編集したものもあった。言葉や歌詞が流れていき、そしてその表示された歌詞が検閲されたり、検閲から解除され表示されたりしていく。
 言葉を巡る少女と少年の物語だが、これは自由な言葉に傷つき言葉を憎む少女が、それでも自分の心を伝えるために自由な言葉を取り戻す物語となっている。少年や「言葉ゾンビ」たちの合言葉、「言葉を取り戻せ」。それに呼応するようにライブは盛り上がっていく。そして最後は、少女の人生を辿るような歌である『独白』が演奏された。独白はこんな歌詞で終わる。

奪われた言葉が やむにやまれぬ言葉が
私自身が手を下し息絶えた言葉が
この先の行く末を決定づけるとするなら
その言葉を 再び私たちの手の中に

 そして、幕が下りる。
 ちなみにアンコールは無い。なぜなら映画のようにエンドロールがあるからだ。ちょっと斬新だと思った。

 『新言語秩序』の動画を、公開日に公開時間に合わせて自宅で見たのだが、実際のライブに行きたかったなと心底思った。当時は東京まで行く元気はなく、今回の視聴が初めての『新言語秩序』体験だった。ディスプレイを通して体験しただけなのに、これだけ熱く語ってしまうほどに、ものすごく良かった。
 趣向を凝らした新しい体験だった、現代社会に対する風刺が効いたディストピア世界を歌と語りで表現した、というところもよかったが、普通のライブとしてもよかったと思う。
 個人的に嬉しかったのはまずamazarashiの曲の中で今のところ1番好きな『命にふさわしい』の演奏があったこと。やっぱり好きな歌がライブで演奏されると単純に嬉しい。3番目に好きな『空洞空洞』の演奏もあった。アレンジ、かっこよかったなあ。
 それからセットリストの順番の話なのだが、アルバム『世界収束2116』に連続して収録されている『吐きそうだ』『しらふ』という2曲が、アルバムに収録されているこの順番のまま2曲続けて流れたのが、すごく嬉しかった。アルバムでは『ライフイズビューティフル』『吐きそうだ』『素面』という順番に収録されているのだが、それぞれ、「友人と夜通し飲んで楽しい」、「二日酔いで辛い生きる意味とは何だ」、そして「素面で直面する現実が辛い」という曲なのである。amazarashiらしく皮肉が効いたこのアルバムの順番が大好きだったので、それがライブでも再現されていて嬉しかった。
 また選曲についてだが『ライフイズビューティフル』のような友人との楽しい語らいや故郷について歌ったもの、明日への前向きな希望や恋人との関係を歌ったものが選曲されておらず、人生とは何か、言葉とは何かといったことをテーマにした曲が中心に選曲されていた。この選曲も他のライブとはひと味違う雰囲気となっていた一つの要因だろうなと思う。また2010年6月9日に発表されたメジャーデビューミニアルバム『爆弾の作り方』に収録されている『カルマ』という曲が入っており、昔の曲も好きな一人のファンとして嬉しかった。

 自宅でライブ映像を見ただけなのになんだかものすごく満足してしまった。映像視聴後、実はまだ持っていなかったミニアルバム『0.6』を勢いで購入してしまった。多分これでamzarashi のアルバムは全部手に入れた。満足。そして翌日になっても熱が冷めず、こんなエントリを長々と書いている。
 あとはコロナウイルスの影響で延期している2020年のライブツアー『ボイコット』が、無事開催されることを祈るのみ。大阪公演を見にいく予定にしている。楽しみすぎて楽しみという言葉しか出てこないくらい楽しみだ。

 もしこの記事を読んで一人でもamazarashiに興味を持ってくれたらとても嬉しい。一度でよいからライブ映像でもMVでも見てほしい(amazarashiはとてもMVに力を入れているバンドだと思う。YouTube公式チャンネルで多く公開されているので見てみてほしい。おすすめMVは『穴を掘っている』『フィロソフィー』。ちなみに『穴を掘っている』は、無人の樹海の木の上に設置されたプリンターがひたすら鬱ツイートを印刷している、というMVです。アニメMVの『ラブソング』も何十回と見ている)。


↓amazarahi関係の過去エントリ。amazarashiが好きだとしか言っていない。

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