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『少女奇譚 あたしたちは無敵』(朝倉かすみ著)【読書感想】

 パトリシア・ハイスミス『キャロル』を読んでいる。
 ご存じ女性同士の恋愛を描いた切ない物語なのだが、結構な序盤から悲劇の予感が満ち満ちていて辛くなってしまい(だって、主人公である19歳のテレーズのキャロルに対する純度100%の恋愛感情が、擦れた読者である私には転落に向かう伏線にしか思えない……)、筆休め的に別の物語を摂取したくなってしまった。そこで手に取ったのが朝倉かすみ著『少女奇譚 あたしたちは無敵』である。いわゆる「少女小説」が読みたいな、という気分だったので、タイトルだけを見て選んだ一冊だ。

 少女、しかも12歳前後の年頃の少女を主人公にした物語が5つ収録された短編集である。
 一作目の『留守番』という物語を読んで、あれと思った。十一歳のウーチカが五歳の妹のタマゴンと共に、親戚のお通夜にいった母親と義理父の帰りを待つという小説である。が、始終「何か」が起こる、あるいは起こりつつあるという不穏な気配に満ちている物語なのである。思春期の女の子同士の淡い友情とか、そういう物語を期待してこの小説を手に取ったのに、何か違う。これはまるでホラーではないか。

 二作目の『カワラケ』を読み、その予感は確信に変わる。『カワラケ』は、十二歳ごろに顔の皮膚が硬くなる「カワラケ」という状態になるという奇妙な体質を受け継ぐ一族の物語である。「カワラケ」状態を迎える少女は「おほーばの家」にこもり、その硬くなった顔の皮膚が割れるのを待つ。カワラケを終えた一族の女は皆は色白で美しい。これは、主人公の少女藍玉が「カワラケ」を迎える物語だ。通過儀礼を描く物語なのだが、そこにちらつく母親の陰。かつて「カワラケ」を経験し美しい女となった母親が、まだ少女の藍玉に向ける視線が、実に恐ろしい。

 二作目まで読んで思わず奥付を確認した。短編の初出を見る。ああ、やはり。
 一作目『留守番』の初出の雑誌は「Mei(冥)」、どう考えてもホラー専門誌であろう(残りの小説はWebの「ダ・ヴィンチニュース」に掲載とのこと)。
 どうりでホラーテイスト、怪談テイストなわけである。

 ホラーテイスト、怪談テイストといっても、恐怖の対象が「怪異自体」ではない、というところがこの短編集のポイントである。怪異の周囲にいる人間、怪異に直面した際の人間の行動の方が恐ろしい、そんな書き方になっている。先に挙げた『カワラケ』でも、恐ろしいのは「カワラケ」という怪異現象自体ではなく母親の反応であった。
 表題作『あたしたちは無敵』は、ひょんなことから無敵の力を持ってしまった三人の少女の物語だ。たまたま力を持ってしまった少女らは、アニメのヒーローのように活躍することを夢見るが、危機的な状況はなかなか起こらない。しかし秘密の力を得てしまったという共通点は、三人の少女に友情を結ばせるのには十分だった。彼女らは秘密集会を開き、自らの決め台詞を考え、友情を深めていく。けれども物語は、その三人の友情が粉砕されるに違いないとある出来事の発生で、幕が下りる。どう考えても、この後三人は揉めるだろう。トラウマにもなるだろう。どうしようもない終わり方だった。が、ここでも彼女らが得た「力」は中立的で、起こってしまったある出来事に対して冷静に対応できない少女たちの人間らしい弱さが、この後の悲劇を予感させているのである。

 毎日一作か二作ずつ読んでいき、一週間ほどで読了。
 少女小説を読みたいという気分はいまだにあるが、普通に面白かったので満足。少女小説欲にはSFアンソロジー『アステリズムに花束を』でも買って対応しようかなと思っている。創元推理文庫『ピクニック・アット・ハンギングロック』(ジョーン・リンジー著)も女子寄宿学校の生徒が行方不明になる物語と聞いてから気になっている。
 著者の朝倉かすみさんの物語を読むのはこれがはじめてである。ホラー出身というわけではないようだ。著作リストをざっと眺める。著者の本だと、最近であれば『平場の月』という長編の名を聞くことが多い。山本周五郎賞受賞作か。今ネットでざっと確認したところ50歳の男性を主人公にした純愛小説とのこと。『キャロル』の気分にはこちらのほうがあっていたのではないか、と思わなくもない。機会があれば読んでみたい。

少女奇譚 あたしたちは無敵

少女奇譚 あたしたちは無敵