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至高の百合恋愛小説『キャロル』パトリシア・ハイスミス【読書感想】

 パトリシア・ハイスミス『キャロル』を読了した。これがすごかった。直球の恋愛小説だった。
 
 本書は1951年、今から70年近くも前にアメリカにて出版された女性同士の恋愛をテーマにした長編小説である。2015年にトッド・ヘインズ監督により映画化もされている。著者は太陽がいっぱい『殺意の迷宮』などのサスペンス・ミステリー小説で有名な女性作家であるパトリシア・ハイスミス。彼女がデビュー作『見知らぬ乗客』の次作として、別名義クレア・モーガンの名で世に出した物語が『キャロル』である。
 後年サスペンスを多く描くことになる著者らしく、『キャロル』は恋愛小説にも関わらず、冒頭から終幕までハラハラしっぱなしであった。

「好き」の感情に溢れた物語

 まず圧倒されたのは主人公テレーズの、一目惚れした年上の女性キャロルに対する恋心の強さである。物語は全編テレーズの視点で語られるのであるが、彼女がもう、ほんとキャロルのことが大好きなのである。
 テレーズは舞台美術家を目指す19歳。好意を寄せてくれている親友以上恋人未満の男友達リチャードがいるのだが、彼に夢中になることができないでいる。キャロルとの出会いはテレーズのアルバイト先であったデパート(「フランケンバーグ」という名前である)のおもちゃ売り場。テレーズは娘へ送るクリスマスプレゼントを買いに来たキャロルに一目惚れをする。プレゼントを発送する際にキャロルの住所を知ったテレーズは、その日のうちにカードを送る。

『フランケンバーグから感謝をこめて』署名の代わりに自分の従業員番号六四五-Aを書き添える。

 この圧倒的な行動力。テレーズの行動力は身を結び、キャロルから昼食に誘われたところから二人の関係はスタートする。しかしキャロルは10歳以上も年上であり、夫と離婚の条件で揉めている真っ最中の既婚者であった。
 それでもテレーズの恋心は萎えたりしない。キャロルから相手にされなくとも、リチャードから迫られても、キャロルの幼馴染アビーから手を引くよう暗に言われようとも、テレーズはキャロルに恋い焦がれ続ける。
 この純粋な恋心にクラクラすると同時に、悲哀の予感を感じてページを捲る手が止まらなかった。この純粋さが、世間擦れ、読書擦れした私には、不幸になる伏線にしか思えなかった。どうなっちゃうのだろう、絶対不幸になるに違いない、そんなことを思いながら読み進めていた。
 が、物語はそんなに単純ではなかった。テレーズとキャロルの関係は徐々に深化し、そして変化していく。二人対照的なところ――若く自由で何も持たないテレーズと成熟した大人で夫も子供も持っているキャロル、内向的で過去を切り捨てるように生きてきたテレーズと外交的で奔放であり自立しているキャロル――を軸に、二人の関係は色々な面を見せ始めるのだ。その過程で、テレーズはキャロルが憧れの素敵な人というだけではなく、ただの一人の女性であるということに気づいていく。
 また二人をとりまく人々――キャロルの男友達リチャードやフィルとダニーの兄弟、キャロルの夫ハージ、それにアビーといった人々が物語を彩っていく。
 特に、キャロルの幼馴染であり親友であり元カノでもあるアビーとテレーズが二人でランチをするシーンはよかった。テレーズは恋敵でもあるアビーに若さに任せて堂々と言い放つ。

「キャロルを傷つけるなんて絶対にあり得ません。わたしがそんなことをするとでも?」
 アビーはやはり注意深く、目をそらさずにテレーズを観察していた。

70年前のアメリカの雰囲気

 二人の恋の舞台になっているのは、1940年代終わりのニューヨークである。二人の恋路と共に気になったのがこの舞台についてだった。
 私にはテレーズがすごく自由に見えた。孤児院出身のテレーズは、フリーターであり将来に対して何の保証も確約も持っておらず、自らの舞台美術を仕事にするという夢もどこかふわふわとしているのだが、そこに悲壮感がない。高校を出たら大学に進学し就活をして社会人になるというレールを愚直に進み、そこから外れてしまうことを恐れていたかつての自分と比べると本当にテレーズの生活は自由に思えた。飲酒・喫煙・デート・パーティーの日々。月単位で旅行に出かけたり、その旅行先で仕事をしたりもする。しかし遊んでばかりいるのではなく、合間合間に、舞台美術の仕事を得るために、模型を作り自らを売り込み、人を紹介してもらう。
 もちろん自由の裏側には、不自由がある。物語には、一人寂しく暮らしながらデパートで売り子として働き続けざるを得ない老女の生活も生々しく描かれていたりもする。それでも自由に暮らし、夢を追いかけ、自由に人を愛するテレーズが、そんな生き方が許される時代が羨ましいなと思った。
 また当時のアメリカの同性愛に対する偏見の強さも印象的だった。それはパトリシア・ハイスミスが別名でこの小説を世に出したことからも察せられよう。物語内においては昔から女性に惹かれていたテレーズさえも、同性愛に偏見を持っていることが記されており、その葛藤も面白いなと思った。もっともその偏見が、二人の恋、そしてキャロルの人生を大きく損なってしまうのだが。

普遍的な恋の物語

 このように物語『キャロル』の舞台や背景は、現代の日本とは大きく異なっている。それでも私が夢中になったのは、「人を愛する」ということの普遍性がこの本の中心にあるからだと思う。私はこの本を読んで、純粋にキャロルを愛するテレーズを羨ましいと思った。残念ながら恋愛経験がほとんどないうえに、そのわずかな恋愛さえもテレーズのような強烈な恋心を伴わなったので、その強い感情に飲み込まれる経験さえもがとても羨ましかったのだ。青春に対する憧れのようなものもあると思う。テレーズを見ていると、なんだか人生損をしているような気までしてくるのだ。
 私は恋愛小説をあまり読んでこなかった。それでもここまでまっすぐに恋愛感情を掬い上げ、それだけを書いた作品は珍しいのではないかなと思う。そしてそのまっすぐな熱量が、70年という時間もものともせず世界中の読者を熱中させている理由なのではないかなと思う。しばらくは、誰かにおすすめの恋愛小説を聞かれたら『キャロル』と答えると思う。

 ところで『キャロル』の読後、戦前戦後くらいに書かれた女性同士の恋愛をテーマにした物語として谷崎潤一郎『卍』が思い浮かんだ。調べてみるとなんと『卍』の単行本の発売は『キャロル』より20年早い1931年という。谷崎潤一郎すごい。久しぶりに谷崎潤一郎の純愛小説(?)を読みたくなってきた。


キャロル (河出文庫)

キャロル (河出文庫)




 映画版も気になる。どうやら現在アマプラで無料らしい。観てみたい。