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『刺青』谷崎潤一郎著【読書感想】

 先週末に読了したアメリカ発の恋愛小説『キャロル』(パトリシア・ハイスミス著)の反動で、昔の日本の恋愛小説を読みたくなった。そこで出てきた作家の名前が谷崎潤一郎。だいぶ前に『卍』の読書感想をブログにあげたことがある。調べてみると、多くの作品が青空文庫に収録されているようだ。さっそく気になるタイトルをダウンロードした。青空文庫はもっぱら電子書籍リーダーで読んでいる。リーダーを使えば、普通の本と変わらない読書体験ができる。ありがたい時代である。もっとも新潮文庫の赤い表紙バージョンの谷崎潤一郎の小説たちにも惹かれるものはあるのだけれど。
 谷崎潤一郎の本の中で一番気になっている小説は『猫と庄造と二人のをんな』である。これは以前に恋愛小説を取り扱ったブックガイドで紹介されていたのを読んで以来気になっていた物語で、一人の男をめぐる二人の女と一匹の雌猫の四角関係を描いたものらしい。気になる。
 けれども今回は軽く読めるものということで短編『刺青』を読んだ。多分再読。もしかしたら再々読かもしれない。
 『刺青』は江戸時代を舞台にした腕利きの彫師と少女のお話である。
 改めて読んでみたら、すごい話だなと思った。なんてことない物語だ。彫師は自分の理想の作品を作るべく、その作品にふさわしい体を探していた。そこに現れた一人の少女。彫師は彼女こそが、自分の作品を彫り込むのにふさわしい女であると確信する。そこで彫師の男は少女を薬で眠らせ、その間に背中に刺青を入れてしまうという物語だ。
 現在の倫理観からいえばとんでもない話だ。きっと著者が物語を書いた時代でもとんでもない話だったのだろう。だから物語はこんな風にしてはじまる。

其れはまだ人々が「愚」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった。

 ちょっと面白い。『刺青』の初出は1910年。110年前の人も昔のことを「世の中が今のように激しく軋み合わない時分」などと表しているとは。多分、どの時代の人間も「昔は長閑だった」と言っているのだろうなと思った。

 では、そんな現代の倫理観からすればとんでもない話が、現代ではつまらない物語に成り下がっているのかといえば、まったくもってそうではないところが、谷崎潤一郎のすごいところだと思う。
 そこに描かれる薄暗く耽美で、幻想的な風景に心を惹かれた。美しいもののために、自らの魂を捧げた男と、自らの白い肌を差し出した女。彼らは熱に浮かされているが、しかし、決して感情的になってはいない。

「親方、早くに私に背の刺青をみせておくれ、お前さんの命を貰った代わりに、私は嘸美しくなったろうねえ」
娘の言葉は夢のようであったが、しかし其の調子には何処か鋭い力がこもって居た。
「まあこれから湯殿に行って色上げをするのだ。苦しかろうがちッと我慢をしな」
と、清吉は耳元へ口を寄せて、労わるように囁いた。
「美しくさえなるのなら、どんなにでも辛抱して見せましょうよ」
と、娘は身内の痛みを抑えて、強いて微笑んだ。

 二人の軽妙だが、色っぽい会話にどきどきする。娘は十六、十七歳くらい。その若さながら、自らの背に刺青とその業を背負うことを承知し、それで生きていくのだ。そんな出来た人間いるわけないよと思いながらも、こんな世界があるのかもしれない、そんな気持ちになる一編だった。


dokusyotyu.hatenablog.com
↑『卍』の読書感想ブログを書いたのが6年も前で驚いた……



刺青

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