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祝・映画化!『ナイルに死す』【読書感想】

 もうすぐ映画化ということでアガサ・クリスティー『ナイルに死す』を再読。久しぶりのクリスティーです。ナイル川クルーズで起こる殺人事件をたまたま居合わせた探偵ポアロが捜査し推理し解決するというミステリー。プロットだけを見れば典型的な推理小説の形であるが、そこは流石ミステリーの女王クリスティー、読ませます。
 特徴的なのはなかなか殺人事件が起きないこと。それどころか『ナイルに死す』という題名にも関わらず、なかなかエジプトにも行かない(80ページからの第二部でようやく舞台はエジプトへ)。事件が起こる前の部分、登場人物それぞれの姿をじっくりと書き出している。
 だからだろうか。今回読んだ早川書房クリスティー文庫(訳者は加島祥造さん。同じくクリスティー文庫からは黒原敏行さん訳の新訳も出ています)の冒頭には次のような注意書きがある。

訳者からのお願い

 はじめは少しゆっくり読んでください。登場人物表を参考にして、各人物の様子を頭に入れ、地図を参考にして、この舞台を想像してください。あとはーー前書きの末尾でクリスティー女史の言う通りです。

 以前読んだのは別のレーベルのものだったのかな。この文章を読んだのは初めてな気がする。
 ちなみに前書きの末尾には次のようにある。

 自分では、この作品は”外国旅行物”の中で最もいい作品の一つと考えています。そして探偵小説が”逃避的文学”だとするなら、(それであって悪い理由はないでしょう!)読者はこの作品で、ひとときを、犯罪の世界に逃れるばかりでなく、南国の日差しとナイルの青い水の国に逃れてもいただけるわけです。

 素敵な文章。逃避的文学。

 さて。注意書きに従って丁寧に読む。登場人物表、地図、船室の部屋割り表と本文を行ったり来たりしながら読み進める。
 殺人事件が起こるころには、登場人物達に親しみや反感を覚えている。そして事件が起こる前に、読書の私は、著者クリスティーにすっかり騙されていたことを、最後まで読んでから改めて知ることになるのだ。

『ナイルに死す』とアガサ・クリスティーのミステリの魅力

 改めて読んで著者の本が長年に渡り多くの人に愛される理由の一端を知ることができた気がした。
 もちろんミステリとして優れているということもある。しかしそれ以上に特徴的なのは著者が登場人物に向ける眼差しなのではないか。著者は人間の「愚かさ」を生々しく書き出す。『ナイルに死す』は登場人物の多い作品だが、一人ひとりの性格やそれぞれの「愚かさ」を鮮明に描いている。探偵役であるポアロも含めて。人間の愚かさというのは時代が変わろうが、克服されるものではない。だからこそ著者の物語は時代や地域を超えて愛されているのではないか。
 そして人間が一番愚かになるのは恋に落ちたときである。この物語では3組の恋愛模様が描かれる。新聞に書き立てられるほどの派手な恋愛もあれば、殺人事件現場という異様な状況の中でひっそりと芽生える恋もある。事件の解明と共に変化していく恋愛模様や人間関係も、この物語の読みどころのひとつである。その結果はあるものにとっては解放であり、あるものにとっては破滅であった。
 恋や殺人事件といった非日常時に見せる人間の素顔を、筆者は簡潔だが立体的に書き上げる。ミステリにありがちな「役割」としてだけの登場人物はほとんど出てこない。型どおりだけではない登場人物の描写を読むと、さすが『春にして君を離れ』を書いた人だなと思う。
 個人的に一番気になった人物は、この恋愛劇の一翼を担う登場人物の一人でもあるファーガスン。登場人物表の言葉を借りれば「社会主義的な男」なのだが、なかなかに拗らせている人物として物語に登場する。彼についてはもっとその背景を知りたかったなあ。興味深い人物であった。

映画化。ケネス・ブラナー監督『ナイル殺人事件

 『ナイルに死す』は何度か映像化や舞台化がされているそうだ。原作者アガサ・クリスティー自身によっても戯曲化されている。
 2020年の秋、本作は再度ナイル殺人事件として映画化される。公開日は10月23日だそう。監督はケネス・ブラナーさん。もちろん映画館へ行くつもりだ。映画を見る前に原作は読んでも前情報は摂取しない派なので、詳しいことは分からないが、なんだかとても楽しみだ。
 個人的にはトリックの要である「空白の時間」の演出をどのようにしているのか、とても気になっている。犯人もトリックも知ってしまっているが、おおいに騙されたいと思う。

 それから改めてアガサ・クリスティーの略歴を見たのだが、1890年生まれで1920年デビューとのこと。そうか30歳で作家デビューされたのだな、となんだか妙に励まされた。

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