読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

ヒトには個体差がある『死ぬくらいなら会社辞めればができない理由』 

最近本屋でよく見る本。インパクトのある表紙とタイトル。
ぷらぷらとネットの海を歩いていると、本書が電子書籍でも出ていることを知り思わず購入。
ページを開いてから、冒頭の漫画を読んだことがあったことに気づく。
ああ、あの漫画か!というような再会であった。

冒頭の漫画は、過労の末、無意識のうちに自殺しようとしていた著者の実体験に基づく。

「死にたい」なんて思ったことはなかった
でも――
人気のない地下鉄の駅でふと気づいた
「今一歩踏み出せば 明日は会社に いかなくていい」

ヒトは追い詰められれば追い詰められるほど、視界が狭くなる。
死ぬところまで追い詰められた経験は今のところないが、この感覚はよくわかる。
でも、世界は広い。
私たちの未来には無数の選択肢がある。

最近、自由についてよく考える。
私は自由である、と思う。

明日、会社に行かない自由がある。
会社から掛かってくるであろう電話に出ない自由がある。
電車に乗ってそのまま海を見に行く自由がある。
無限の選択肢があるし、私はそれを実行する自由がある。
しかし、明日の私は、嫌だいやだと思いながらも、出社することを選択するだろう。
私は自由である。今日も、自由意志で、出社することを選択したのだ。

――何のために?
――だって、生活していくには金がいる
――でも、そのために1日の半分以上も会社に拘束されて、自尊心を傷つけながら働きつづけるの?
――そこまでして、生きていきたい?

考えても仕方がないことは、承知している。これ以上は、考えない。
でも自分が自由であることは、決して、忘れないようにしようと思う。

周りに配慮する必要はない。「みんなががんばっているからがんばる」必要はない。

この本を読んでいて一番衝撃的だった言葉は「人間も1種類じゃない」だった。
確かに、「同僚や先輩が寝ないで仕事をしているのに自分はできないなんて認めたくない」という気持ちはよくわかる。
でも誰もがみんな、同じように頑張れるわけではないのだ。

「がんばること」が目的となって疲れてしまっては意味がありません

まったくもってその通り。
目の前にある選択肢を見ないふりして、みんなに合わせた「がんばり」で、自分を擦り減らしていないか。
また自分と同じくらいの「がんばり」を他者に期待し押し付けていないか。
そんなことを考えながら、さくっと読んだ。

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

週末読んだ本

 土曜日。久しぶりに一日中本を読んでいた。
 このごろでは滅多になくなってしまったことだ。
 記念に、というわけでもないが、今週末に読んだ本を記録しておこうと思う。

『ずっとお城で暮らしてる』シャーリー・ジャクスン

 桜庭一樹のエッセイで紹介されているのを読んでから、ずっと気になっていた本。
 先週偶々寄った本屋で、偶々見つけて購入。
 読むとめちゃくちゃ面白かった。ジャンルとしてはホラーになるのだろうか。だからと言って、別に幽霊やら怪物やらが出てくるわけではないし、暴力描写があるわけではない。
 タイトル通り、金持ちの旧家に生まれた主人公が、姉と叔父の3人で、先祖代々続く「お城」に「ずっと暮らしている」だけの物語である。
 ただしこの3人が曲者である。姉は一家毒殺の元容疑者で引きこもり。叔父は体が悪く、6年前のある日の記録を書き続けている。そしてこの物語の語り手でもある主人公は、なんだかとても想像力が豊かなようで。しかし三人だけの生活はとても幸せであるようだ。二人姉妹はお互いに「大好きよ」と声を掛け合い、古い物たちに囲まれながら、静かに暮らしている。他の家族は、6年前のある日、何者かによって食卓の砂糖壺に混入された砒素によって、死んでしまった。
 ホラー小説にテーマを求めるのも野暮だが、あえて本書のテーマを言えば「人間の悪意」だろうか。私は読み終わってから、「いつになったら、この3人だけの生活が破綻するのだろう」と主人公たちの不幸を望みながら読んでいたことに気がついた。登場人物たちの悪意だけではなく、自分自身の悪意にも気づけるかもしれない素晴らしい一冊。主人公たちが不幸になったのか否かは、ここには書かないでおく。さくっと読める文庫本なので、ぜひ読んでみてほしい。
 ちなみに文庫の解説は、この本を手に取るきっかけとなった桜庭一樹だった。ちょっとうれしかった。

ずっとお城で暮らしてる (創元推理文庫)


夜に生きるデニス・ルヘイン

 早川のポケミス。480ページほどの長編。読み終わってからシリーズものの2冊目であることを知ったが、1冊目を読んでいなくても十分に楽しめた。
 時代は20世紀初頭。禁酒法時代のアメリカ。19歳の青年が「夜の世界」で成長していくビルディング・ストーリー。主人公ジョーの19歳からの10年ほどの人生が480ページにギュッと詰まっている。3部作になっており、1部はボストン、2部はイーボーシティ、3部はイーボーシティとキューバが舞台となっている。1部ではジョーはまだ若く、「父と子」の葛藤がテーマとして意識されているように思った。2部は「無法者」としての職業小説を読んでいるかのようで、裏稼業もまた「稼業」であるのだな、と妙なことを思ったりした。3部ではよりその思いは強くなった。どんな仕事でも「仕事」であり、どんな人間もまた「人間」である。そんなことを思ったりもした。例えば、彼は密造酒で稼いだ金で図書館を建てたり、貧しいキューバの農民の子供らのために野球場を整備したりする。

 ジョーがこのビジネスを魅力的であると同時に馬鹿らしいと感じるのは、こういうときだった。五人の男がエレベーターに向かっている。全員拳銃を持ち、四人はマシンガンまで抱えているのに、ふたりは互いに妻や子供のことを尋ねている。  (p402)

 この小説が魅力的であるのは、登場人物たち一人ひとりが「人間」として描かれているからだろう。普段は冷静な男が一人の女のために身を滅ぼしそうになったり、一代で組織を築いた冷徹な男がその地位を馬鹿な息子に継がせようとしたり。絶対に賄賂を受け取らない男もいれば、賄賂によって財を成した男もいる。有能な警官が宗教に溺れ、カリスマ伝道者がある日信仰に冷めてしまう。

 物語は長いが展開は早く、一気に読めた。作者は『ミスティック・リバー』や『シャッター・アイランド』等を書いているデニス・ルヘイン。今気づいたが、文庫でも出ているようだ。映画化されたからかな?

夜に生きる 〔ハヤカワ・ミステリ1869〕 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)


『殺人犯はそこにいる』清水潔

『殺人犯はそこにいる』という題名より、『文庫X』と書いた方が、本好きには通るかもしれない。社会派ノンフィクション。
 文庫Xバージョンのカバーがかかった文庫本が売っており、思わず購入。書店員さんの熱い思いを受け取り、一気読みした。
「北関東連続幼女誘拐殺人事件」をテーマにしたノンフィクション。数年前に、5件のうちの1件である「足利事件」が、新聞紙面を賑わせていたことはぼんやりと覚えているが、その背景にこれほどの裏事情があったとは。
 世の中はすっかりとメディア不信の時代である。というか私自身がメディアというものをほとんど信じなくなった。が、私が生きるこの時代には、著者のような記者がいる。この本を読んで感じたことは、こんな時代だが、確かにメディアには世の中を変える力があるということだった。
 そして結論ありきの情報を消化することに慣れ切っている私に驚きだったことは、この事件の真犯人が結局いまだに捕まっていないということ。だから本書の題名は『殺人犯はそこにいる』なのだ。

殺人犯はそこにいる (新潮文庫 し 53-2)


 以上、三冊がこの週末に読んだ主な本だ。
 他にも『殺人犯はそこにいる』と同じ時に買った新書を読もうとしたが、内容の酷さに2章の途中で投げ出したり、自己啓発『ずっとやりたかったことを、やりなさい』(ジュリア・キャメロン)をつまみ読みしたりした。あとこれから憂鬱な月曜日に向けて『「やりがいのある仕事」という幻想』(森博嗣)を読もうと思う。

「やりがいのある仕事」という幻想 (朝日新書)

暇で退屈で面倒くさい

図書館へ行った。貸出冊数の上限が10冊から20冊に変更になっていた。
5年前の自分ならとても喜んだと思う。
しかし今の私は、別にうれしいとも便利になったとも思わなかった。
2週間で20冊本を読めるほどの集中力が、今の私にはもはやもうない。

集中力がなくなった。
本を読んでも、途中で投げ出してしまうことが多くなった。
積読本ばかりが増えていく。
何を読んでも、イマイチ、面白くない。
いや、読んでいる最中は面白いのだけれども、ちょっとしたきっかけで集中力が切れてしまい、読みかけの本はそのまま、そのままで、本の代わりにスマホを見てしまっていたりする。

そして時間を無駄にし、本も読み切ることもなく、なんとなく一日が過ぎてしまう。
趣味の読書をしないのなら、仕事でも家事でもやればいいのに、それもできずに、だらだらしている。

ああ、ホルモンK療法を受けたい(byテッド・チャン『理解』)

あの悪夢が消えさって、心やすらかにすごせるようになると、わたしはまず、読書の速度と理解力が向上していることに気がついた。前からいつも、そのうち機会があればと本棚において、ついぞその時間がなくてそのままになっていた本を実際に読むことができ、のみならず、もっとむずかしい技術関係のものまで読んだのだ。(p69)

平凡な頭脳しか持たない私は、なんというか、時間をただただ消費している。
ひたすらに歳をとるのを待っているような。
老いて死んでしまうのを待っているかのような。

人生の目的の消失?
いや、私の人生には、はじめから目的なんてなかった。

フィクションの世界の主人公たちは、人生の目標を持っていて、それに向かって一生懸命努力する。
そこでは目標を持つのは当たり前で、ただただ努力できる幸福が語られることはほとんどない。

目標もなく、だからといって、生きがいと言えるような趣味などもなく、受動的に時の流れに身を任せる現状。

小さな雪の粒も積み重なれば 景色を変えるのは不思議ですね
どうしようもない日も積み重なれば 年月となるのは残酷ですね 
                  (by amazarashi『クリスマス』)

暇で退屈で死にそう。
でも、何かをするには死ぬほどめんどくさい。

ああ、昔のように時間を忘れて長編小説を読み耽りたい。

いやその前に國分功一郎『暇と退屈の倫理学を読み返そうかな。増補新版を読みたい。

以上、ただの愚痴、日曜の夕方を持て余した末の日記でした。

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

↓四年前に読んだときの読書録。
dokusyotyu.hatenablog.com