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読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

amazarashi『MESSAGE BOTTLE』

4月になって2週間が過ぎた。
初々しい新入社員の姿を横目で眺めつつ、普段通りの仕事をこなす。
相変わらず「どこかへ行きたいな」と思いつつどこかへ行く気力もない日々だ。毎日のように仕事を辞めたいと呟き、月に一度は朝起きたら会社が燃えてたらいいのになんて不謹慎なことを思う。相変わらずの他力本願の人生設計。
それでも最近は通勤時にちょっとした楽しみがある。
amazarashiのベストアルバム『MESSAGE BOTTLE』だ。
CDプレーヤーを持っていないので、私の音楽空間はもっぱら通勤時の車の中である。

朝、会社に行きたくないなと思いつつも好きな曲を聴く。
同じ曲をリピートして聴くこともよくある。
2曲か3曲を聞き終わるころには、職場についている。
そんな毎日。

そして思い出す。
入社一年目の冬。今よりもずっと仕事に慣れておらず、辛かった日々。
amazarashiの大阪ライブのチケットを買った私は、そのライブがあるまでは辞めない、絶対に関西にいてやる、とamazarashiだけをモチベーションに、毎日会社に通ったものだった。
『もう一度』、という曲を何度も、何度も聞いた。

悲痛 現実 僕らいつも雨曝しで
って言う諦めの果てで 「それでも」って僕等言わなくちゃ
遠くで戦っている 友よ挫けるな

もう一度 もう一度 あの日離れていった希望に
ざまぁ見ろって言ってやる為に 何度も立ち上がるんだ もう一度


良くも悪くも人間は慣れる生き物だ。

一年経ち、二年経ち、「あの頃」に比べると「会社」というものにも少しは慣れてきた。
それでも、私のamazarashi熱は、まだまだ覚めそうにない。
今週末のライブ『amazarashi Live Tour 2017「メッセージボトル」』、年甲斐もなくめちゃくちゃ楽しみです。

(ちなみに『もう一度』、ベストアルバムに入っていなかった……他にも私の好きな『ミサイル』『雨男』『爆弾の作り方』などなどが入っておらずちょっと残念……)

メッセージボトル(初回生産限定盤)(DVD付)

amazarashi『命にふさわしい』

 何度かこのブログにも書いているが、amazarashiというバンドが大好きだ。
 20代半ばまで、アイドルなども含め音楽グループに「はまる」という経験をしたことがなかった。
 私は音楽には関心の低い人間なんだと思っていたし、はやりの曲を追いかける同級生たちにはどこかついていけなかった。興味がないものに対し、興味を持つことは難しい。
 だからこそ自分がここまで一つのバンドにはまり、また、興味が持続していることに我ながら驚いている。
 とは言うものの、ここしばらく音楽を聞かない生活をしていた。amazarashiへの関心も、このまま薄れるのではないかとさえ思った。

 が、しかし。
 2月にリリースされた『命にふさわしい』という曲。先日読んだ森博嗣『赤目姫の潮解』とどこかイメージが重なるなと思いながら、youtubeに上がっているMVを観た。『赤目姫の潮解』は人形と人形遣いがテーマのSFで、『命にふさわしい』のMVは人形がひたすら破壊されるというものだ。心、そして、実在。

www.youtube.com


 聞いて、聞いて、聞いた。

 いつの間にか見入っていた。何度も、何度も再生を繰り返した。
 歌詞を検索し、CDを買い、ライブのチケットを予約していた。今月は節約頑張っていたのに。(『命にふさわしい』が主題歌のゲーム『NieR:Automata / ニーア オートマタ』も欲しいのだけど、さすがにPS4買うお金はなかった)

 土日はずっと聞いていたし、仕事中も頭の中で歌詞をリピートしていた。これじゃあ中毒だ。
 でも、ほんと、すごくいいと思う、この曲。
 音楽的な知識がないので、専門的なことは何一つ語ることができないのだけれど、聞くと心がざわざわする。
 歌詞の力。ことばの力。歌はすごい、と素直に思う。

道すがら何があった? 傷ついて笑うその癖は

裏切られたっていいと 道端ひれ伏すような
酩酊の夜明けこそ 命にふさわしい

失くした何かの埋め合わせを 探してばかりいるけど
そうじゃなく 喪失も正解と言えるような 逆転劇を期待している
そしてそれは決して不可能じゃない
途絶えた足跡も 旅路と呼べ

 ほんとうは、今日ブログに、昨日湯船の中で一気読みした絲山秋子『ばかもの』の感想を書こうと思っていたのだけど、パソコンで『命にふさわしい』はじめamazarashiの曲を流しているので、歌詞に引きずられて本の文章がうまく入ってこない。そして今夜は『村野四郎詩集』を読もうと思っていたのだけど、きっとそれも読めないだろうな。音楽を切れよ、という話ではあるのだけれど。

↓おまけ。過去のamazarashi記事。1年前と2年前にも同じような記事を書いていました……

dokusyotyu.hatenablog.com
dokusyotyu.hatenablog.com


命にふさわしい(初回生産限定盤)(DVD付)

私=人間=人形? 森博嗣『赤目姫の潮解』

 森博嗣の100年シリーズに最終巻が出ていると知ったのは、恥ずかしながらつい最近のことだった。毎週のように図書館に通い、毎週のように森ミステリを借りていた中学生の頃が懐かしい。
 最終巻は、もうとっくに文庫化もされており、本屋にも図書館にも並んでいる。単行本の発売は2013年だったらしい。
 女王の百年密室』『迷宮百年の睡魔に続く、3冊目のタイトルは『赤目姫の潮解』。タイトルを見た際はシリーズものとは思わないかった。けれども文庫本の裏表紙には「これは幻想小説かSFか? 百年シリーズ最終作にして、森ファン熱狂の最高傑作!」とあるので、シリーズものなのだと理解した。

 シリーズものであるということなので、いわゆるシリーズものだと思い読み始めた。
 読み始めてすぐ、違和感。シリーズものというのは、つまり、前作までに出てきていた登場人物たちが活躍するものなのではないか。
 この本には、前2作の登場人物たちは出てこない。時代背景まで違う。というか、今まで読んできた森作品のどれとも違う。
 それどころか、今まで読んできたフィクションの中のどれとも違う。
 なんだろう、この本。変。

 登場人物たちの視点が入れ替わり、物語は物語として一本の糸が通っているわけでもなく、時代が変わる、国が変わる。戸惑いつつも読み進めるうちに、幻想的かつSFチックなガチェットに魅了されているうちに、本書のテーマへと物語は収斂していく。
 「私は存在するのか」「私は人形にすぎないのではないか」。存在に関する、哲学的かつ原初的・肉体的な疑問を物語は私たちに問う。デカルトの「我思う故に我あり」である。中学生のとき、はじめてデカルトのこの考え方を知ったときのことを思い出した。中学生の私は「我思ったところで、本当に我はあるのだろうか」となかなか飲み込めなかった。

「私たちは、貴女が作った機械の中で、ただのデータとしてしか存在していない、ということですか?」
「そう思いたがるのが人間というもの、人間の頭脳という機能、思考というプログラム、という話をしたのよ」(p286)

 今ふと、思ったのだが、私は森博嗣の使う「貴女」という言葉が大好きだ。

 ところで『赤目姫の潮解』の文庫版の解説は、はてなダイアリー『基本読書』を書いている冬木糸一さんです。普段ブログで読んでいる人の文章が、文庫本の中に並んでいるのを見るのは、なんだかとても新鮮でした。

huyukiitoichi.hatenadiary.jp


読書録
『赤目姫の潮解』
著者:森博嗣
出版社:講談社(講談社文庫)
出版年:2016年

赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCE (講談社文庫)