読書録 地方生活の日々と読書

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『人は死ねない 超長寿時代に向けた20の視点』(奥信也著)【読書感想】

 趣味として古今東西様々な本を斜め読みしてきて、ひとつ学んだことを挙げるとすれば「人は自分の死に時を選べない」ということである。私だって、貴方だって、明日死ぬかもしれないし、120歳まで生きるかもしれない。
 それでも科学の発展は、我々は思いがけず長生きする可能性が高い世界をもたらした。超長寿を手に入れてしまった私たち、簡単には死ねなくなってしまった私たちに死生観のアップデートを勧めるのが、『人は死ねない 超長寿時代に向けた20の視点』(奥信也著)である。

 以下、目次。

はじめに
第1章 あらゆる病気は克服されていく――人生120年が現実を帯びる現代
第2章 健康とお金の関係はこう変わる――経済力が「長生きの質」を決める?
第3章 ゆらぐ死生観――自分なりの「死のあり方」を持つ
第4章 誰が死のオーナーか――死を取り巻く問題を考える
第5章 未来の死を考えるための20の視点

 第1章では、20世紀後半から急速に進歩した医学と医療の現状をお話しし、「生と死」について、現代的な常識と考えられる問題を共有したいと思います。第2章では、そういった高度医療を背景に、「生と死とお金の関係」について掘り下げます。続く第3章では「死の変化がもたらす生の変化」について述べていきます。そして、第4章では、「死のオーナーが誰なのか」という根源的な疑問について論じます。第5章では、これらの予備知識を完備した上で、未来の死がどうなっていくかについて、読者のみなさんに考えていただくための20の視点をお示ししていきます。(「はじめに」より)

 私は書名の『人は死ねない』の「死ねない」に込められたネガティブな印象に惹かれて、この本を取った。しかしこの本は決してネガティブな本ではない。
 それは著者が医療の進歩を肯定し、超長寿社会をポジティブでもネガティブでもなく、やがてやってくるであろう必然として提示しているからだ。医学の歴史、感染症の克服から予防医学の発展までを背景にしたその言葉には説得力がある。著者によれば、生物学的な寿命と考えられている120歳まで生きることも現実味を帯びているという。

 120歳はともかくとして、100歳まで生きることが当たり前の時代となったら。
 あと70年近くも生きる時間が、本を読む時間がある、と喜ぶのか。それともまだまだ生きていかねばならないのか、と思ってしまうのか。今の私の素直な感想としては、後者である。ただでさえ、茫洋とした人生の時間の前に立ちすくんでいるのに。その時間がさらに、10年20年と延長されても、どのように過ごしてよいのか、正直戸惑う。

 後半の「第5章 未来の死を考えるための20の視点」では、20の短いストーリーと共に、もし読者が登場人物だったらどうしますか、という問いが投げかけられる。悪魔と取引して永遠の生を手に入れたいか、といったSFじみた、誰もが一度は考えたことがあるであろう問いから、臓器移植が「推定同意」(明確に臓器移植を拒否していた人以外は、臓器移植に同意していたとみなす)となったとしたら何を感じるか、という問いのように私が今までに持ったことのなかった視点の問いまで、バリエーション豊かな問いが揃っている。
 そしてどの問いも、簡単には答えが出ない。
 答えを出せる問いもあるが、その答えが将来、例えば実際に自分や家族の身に死が迫ったときに、揺らがないかと言われると自信がない。答えを出してしまうこと自体に戸惑いを覚える問いもある。
 しかし死までのプロセスが予測しやすくなった現代に生きているからこそ、自分がどのように死にたいかという問いは、私たち一人ひとりが考えて答えを出すべき問題なのだ。本書を通し、著者は繰り返し自分なりの「死のあり方」を持つことの大切さを訴える。

 この本は決してネガティブな本ではない、と先に書いた。
 しかしポジティブなだけの本ではない。著者ははっきりと、超長寿社会は不老社会ではないと説く。

寿命は延びても、永遠に健康でいられるわけではありません。「死なない時代」は「不老時代」ではないのです。

 寿命が延びれば、小さな病気や不調は増える。「無病息災」や「一病息災」ではなく、「多病息災」で病気とうまく付き合っていくことが大事になるだろうと著者は述べる。
 そしてそのことは、医療費の増大に通じる。第2章は、「「多病息災」で今以上に医療費がかかる」という小見出しから始まり、著者は長寿社会と医療費、公的医療制度についてもしっかりと述べる。現在の公的医療制度はいずれ維持できなくなるだろうというのが著者の見立てである。
 理屈は分かる。頭では納得できる。何かを得たければ何かを諦めなければならない。
 けれども、読んで考えるほどに、なんだかなあという気持ちになったというのが正直なところ。
 生きるのにはお金がかかる。超長寿社会とは、今以上にお金の使い方についても考えなければいけない社会なのだ。世の中は世知辛い。