読書録 地方生活の日々と読書

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『嘘と正典』(小川哲著)【読書感想】

 小川哲さんの短編集『嘘と正典』を読んだ。
 著者の名前は以前から知っており、いずれ読みたいなと思っていたが、ついつい先延ばしにしていた。今年のはじめ、著者が長編『地図と拳』で第168回の直木賞を受賞されたと聞いて、ようやく購入したのが本書である。
 冒頭に収録されている短編『魔術師』を読み始めてすぐに後悔した。なんで早く読まなかったのだろう。私の好みのど真ん中を行く一篇だったのだ。
 

ジャンル越境的SF

 文庫版を読んだが、この文庫はハヤカワ文庫JAから出版されている。すなわちSF棚に並んでいる。しかし本書は、ジャンルSFらしくない。裏表紙のあらすじにもこんな一文がある。

圧倒的な筆致により日本SFと世界文学を接続する著者初の短編集。

 また、文庫版解説の鷲羽巧さんも、その解説を、

 本書『嘘と正典』の魅力を「ジャンル越境的」としてひとまず表現しておこう。

 という一文から始めている。
 私が感じた本書の魅力もまさにその「ジャンル越境的」なところにある。私は文学とSFの合間にあるような小説が大好きだ。そして本書『嘘と正典』に収録されている小説たちは、まさにその合間にある。
 本書には6つの短編が収録されているが、特に気に入ったのはジャンル越境的な要素の強い『魔術師』と『ひとすじの光』である。

 『魔術師』は、マジシャンの父が残した人体消失マジックのトリックの謎を、長じてマジシャンとなった姉とその弟が解こうとする物語である。人体消失のマジックに使用されるのは「タイムマシン」。SF的にはポピュラーな舞台装置であるが、それがマジックの舞台あるいは著者の物語世界に現れると、また違った色合いを帯びる。

 『ひとすじの光』は、主人公が父の残した手記を元に、とある競走馬の血筋についての物語を辿るという短編だ。馬の血筋を追ううちに、主人公は自らの出自と父の思いを知る。家族小説的な色合いの強い一遍で、そのまま文学系文芸誌に載っていてもおかしくないと思う(逆に言えば、それだけジャンルSF要素が薄い)。
 驚くべきはその物語世界の精密さで、競馬界に疎い私は、『ひとすじの光』の物語のうち、どこまでが現実世界に取材していて、どこからか著者の創作なのかまったくもって分からなかった。特に父の手記の部分は、そのままよく出来たノンフィクションのように感じた。思わず「スペシャルウィーク」の名前でインターネット検索をしてしまった。

 ところで私は著者の作品のどこに「ジャンル越境的」なところ、「文学的」なところを感じたのだろうか。
 自分なりに考えるところ、登場人物の扱い方なのではないかと思った。SF作品のなかには、登場人物がかなりデフォルメ的なキャラクターとして描かれている作品も多くある。もちろんこれは悪いことではない。しかしこの小説の登場人物たちの描かれ方は、キャラクター的デフォルメからは対極にあるように思う。SF的舞台設定のためのキャラクターとその活劇を描くというよりも、とあるSF世界に生まれ落ちた登場人物たちの人生をその視点に寄り添って描いているように感じた。
 読後感は、テッド・チャンの小説を読んだ後に近いように思う。
 「ジャンル越境」についての考察は鷲羽巧さんの解説が詳しく、興味深かった。


 また「文学的」というと、エンタメとして面白くないのではないかと思われてしまいそうだが、その心配はこの短編集については無用だ。
 物語の構造は、謎解きというミステリ的だったり(上にあげた『魔術師』や『ひとすじの光』)、サスペンス的だったりして(表題作の『嘘と正典』。とある発明によって共産主義から世界を救おうと暗躍する人々を描く)、楽しい読書体験のうちにあっという間に読み終わってしまう。
 
 著者の他の作品、特に長編も読んでみたいと思わせる読書体験だった。