読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

MENU

パソコン断ち

今週のお題「新しく始めたいこと」

ふと思い立って、2週間ほどパソコン断ちをしていた。
目の前にノートパソコンがあると、ついだらだらとネットをしてしまう。

人生は短い。
私は加速度的に老いていく。
ただでさえダメな人間なのに、このままではますますダメな人間になってしまう。
そんな危機感もあってのパソコン断ち。

が、どうやら私がダメな人間なのは、パソコンのせいではなかったようだ。

バイスの有無にかかわらず、私は何もできない人間だ。
やりたいことはたくさんある。
読みたい本も、観たい映画も、行きたいところもいっぱいある。

このまま流されるように日常を送ってしまったら、何一つできないのではないか。
あっという間に老い、仕舞には気力もこのような危機感もすべてがなくなってしまうのではないか。

私は、まだ、自分がただのダメ人間である、ということを認めることができないでいる。

愛は金では買えない。それが親子であっても。『ゴリオ爺さん』バルザック

バルザックゴリオ爺さんを読んだ。

パリの社交界での成功を夢見る貧しい学生ラスティニャック。
彼の住む安下宿には、一代で財を成した裕福な商人であったゴリオ爺さんがいた。
ゴリオ爺さんが貧乏生活を送る羽目になったのは、美しい二人の娘のせいである。
華やかな社交界に暮らす二人の娘のために、ゴリオ爺さんは自分の財をせっせと娘にやるのだ。
何しろ社交界には金がかかる。
それでもゴリオ爺さんは幸せだと自分に言い聞かす。すべては娘たちの幸せのため。そして娘の幸せのためにはと、妻との思い出の品も、自らの年金も、すべて売ってしまうのだ。

残酷な物語だ。
物語の冒頭、ゴリオ爺さんはすでに貧しい老人だが、物語が進むにつれ彼はますます貧しくなっていく。
しかし彼の娘たちは、ゴリオ爺さんをけっして親として尊重しないのだ。
彼は失意と、病が見せる幸せな幻の中で死んでいく。臨終前の、数ページにも及ぶ老人の叫びの痛々しさ。
奇跡は起きないのだ。
そしてバルザックは、ラスティニャックがあげたゴリオ爺さんの葬儀埋葬にかかった値段を細かく記す。死ぬにも金がかかるのだ、弔いさえも金次第、という当たり前の事実を読者に突きつける。

(しかし赤の他人の看病をし、葬儀まであげるラスティニャックの存在は、現代社会の中にいる私からすると十分に「奇跡」的な存在に思える。そう、ゴリオ爺さんは「孤独死」したわけではないのだ)

貧乏人の死というシリアスなテーマを扱っているが、この物語は決して暗いものではない。
「人間喜劇」、この言葉がしめすように、物語はどこか軽く、するすると進んでいく。
びっくりするほど読みやすい。
バルザックは、だいぶ昔に『百歳の人――魔術師』という本を挫折したことがあったので、読み通せるか少し不安だったのだけれど、まったくの杞憂だった。

19世紀パリ社交界の「恋愛」が、現代日本のそれとは大きくことなることも興味深かった。
田舎から出てきたラスティニャックは、そこで出世の道具としての「愛」、金蔓としての「愛」に出会う。

借金でつくられた煌びやかなドレス。
政治結婚と愛人たち。
噂と野次馬根性に満ちた晩餐会。

圧倒されて読了。
ゴリオ爺さんの物語はここでエンディングを迎えたが、彼の臨終を見送ったラスティニャックの人生は続く。
「人間喜劇」作品群の別の物語に、彼は登場するそうなので、それらも読んでみたいと思った。
物語の半ばでいきなり退場していった謎の男ヴォ―トランの今後も気になる。

ゴリオ爺さん (古典新訳文庫)

『サピエンス全史』、読書中。年末年始に読んだ本

一年が始まる。
自分でも驚くほど、仕事に行きたくない。
気がつけば「仕事行きたくない 死にたい」だとか「仕事行きたくない どうしよう」だとかで検索している自分がいる。
どうしよう、じゃない。いや、ほんとに。
この正月休みで分かったことはといえば、自分が本当に仕事が嫌いだということだ。
自分の人生だ。どうにかしなければ……

と思いつつも、仕事には行かなければいけないので、できるだけ仕事のことを考えなくてもよいようにだらだらと過ごしていた(この思考、なんだかとっても社畜的……)
本を読み、寝て、食べて、の堕落生活。
客観的に見れば、働く場所があって、食べるものがあって、好きな趣味があって幸せなのだろうな……
以下、この休みに読んだ本を列挙

『命売ります』

命売ります (ちくま文庫)

三島由紀夫って、あんまり読んだことないな、と思いつつ読む。
滑稽小説。ブコウスキーの『パルプ』を思い出した。

『イヤミス短編集』

帯には「他人の不幸は、クセになる。」すごいタイトルだなあと思い本屋で購入。久しぶりに発売したばかりの小説を買った。年末年始の衝動買い。
タイトルそのまんま。後味の悪い(=美味しい)、どんでん返し系の短編が6つ。サクッと読めた。

イヤミス短篇集 (講談社文庫)

『銀婚式』

年末年始の衝動買い、その2。元新聞小説だったらしい。面白くて、一気読み。
仲の良い夫婦の話……ではない。むしろ離婚するところから物語はスタートします。

銀婚式 (新潮文庫)

『続・下流老人』

11月ごろから同じ著者の『下流老人』『貧困世代』と読んでます。その流れでつい購入。

続・下流老人 一億総疲弊社会の到来 (朝日新書)

『地方創生大全』

大晦日だったかな、新聞に広告が載っており気になった。帰省していた実家からアパートに帰る新幹線で読んだ。
地方に住んでいると、地方活性化は他人事ではない……のだけれど。
興味はあるのだけれど、自分は何も出来ていない。粛々と住民税を収めるくらい。

地方創生大全

ゴリオ爺さん

バルザック。新訳だからか?読みやすい。第4章まで読んだ。スケール違いのパリ社交界の華やかさとその裏の貧困、そして人間の貪欲さにくらくらする。
自分と主人公ラスティニャックを重ねてみる。彼の持つ野望と、私のうちにある野望を重ねてみる。
物語はついにクライマックス。寝る前にちょっとずつ読み進めようと思う。

ゴリオ爺さん (古典新訳文庫)

『サピエンス全史』

今日、一日かけて上巻を読んだ。夕方に読み終わり、パソコンをつけ、アマゾンで下巻を買った。キンドルに送信。電子書籍は素晴らしい。
でも面白かったので紙媒体でも欲しい。早く文庫化されないかな……

と、ブログを書いていると、リアルタイムでNHKのクロ現+で取り上げられてるではないか!

いや、ほんと、この本は面白い。本屋で山積みされているのも、ネットでの評判が良いのも、テレビ番組が作られるのも納得。
上巻は今までの、ホモ・サピエンスの歩みを振り返るという流れだった。
下巻は私たちの信じている「虚構」の解説に、これからのサピエンスの未来について、という感じになるのかな?

上巻を読んで、一番心に残っていることは、「種としての繁栄が個人の幸せを意味するわけではない」ということだ。幸せ。人口が増えること=幸せではない。では、幸せとは何か。今さっきテレビで著者は、「幸せについて考えることは重要だ」ということを言っていた。

私たちはなんで生きるのだろうか。幸せとは何か。下巻の続きを読みながら、じっくりと考えたい。

ともかく「仕事行きたくない 死にたい」と検索してしまう自分が、すごく矮小なものに思えてきた。

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福