読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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ゴールデンウィーク2018【読書日記】

今週のお題ゴールデンウィーク2018」

ついに終わってしまった。ゴールデンウィーク2018。といってもシフト制の休日出勤のため、今年の休みは最大2連休だった。お陰様で4年ぶりくらいに、どこにも出かけないお休みでした。それでもゴールデンウィークゴールデンウィーク。思う存分だらだらした。明日からの仕事が辛い。

どこにも行かなかった代わりに、本はたくさん読んだ。ずっと読みたいと思っていた小説『女王陛下のユリシーズ号』(海洋冒険小説、と謳われていたけれど、読んでみると、手に汗握りっぱなしの海戦もの。始めから終わりまで危機ばかり)と『ソラリス』』(SF。意思を持った海に囲まれた惑星ソラリスと、なんとかコンタクトをとろうと頑張る人間たちの話。「思想者たち」という章があったりと、あまりSFっぽくない読後感。まだ小説世界を咀嚼しきれておらず、感想がまとまっていない)を読めて満足。特にゴールデンウィーク前半に読んだ『女王陛下のユリシーズ号』は驚くほど面白く、読後2、3日は、小説世界から抜け出せなかった。
ゴールデンウィーク最終日の今日は読書エッセイ『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』という本についての対談集をよんでいる。辺境ノンフィクション作家の高野秀行さんと歴史家で中世日本の専門家の清水克行さんが、互いにオススメの本を紹介し合い、その本の内容やそこから連想されることについて語りつくすという内容である。これが面白い。辺境の地や過去の日本という視点から、本を通し「人間とは何か」ということを炙り出していく。紹介されている本はどれも興味深いが、特に『ゾミア』と『ピダハン』という本は読んでみたい。ゴールデンウィーク、もう一回来ないかな…

読書の合間には、映画館に行ったり(『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』見てきました。映画はシリーズものでも、一回ごとに完結して欲しい派なので、あの終わり方はちょっと不満です。面白かったけど)、冷蔵庫を買ったり(夏に向けて買い換えます)と、そこそこ充実していた気もしないでもありませんでした。以上。

結婚してみた。人生の一大転機を経てみた感想。

いわゆる結婚生活を始めて早4ヶ月。引越し・転職と転機だらけの年末年始を経て、ようやく日常は日常らしく淡々と過ぎていくようになった。

結婚という人生でも一二を争う転機を経てみて、私という人間は何か変わったか。それが驚くほど変わらない。

もちろん変わったこともある。早起きするようになったし、多少は料理をするようになった。仕事の業界も職務内容も大きく変わったし、付き合う人も変わった。日々感じるストレスだって違う。最近は、毎日お米研ぐのとヤカンでお茶をつくるのとお弁当箱を洗うのと、定年退職後天下りした還暦過ぎの上司から小言を頂戴することがストレスの主な要因となっている。

しかしそれでも私は、私の本質は驚くほど変わらなかった。むしろ私の中にあった私自身の本質が、新婚生活により鮮やかに描き出された。

私は怠惰で、主体性のない人間だ。

大学生のころ、慣れないアルコールの勢いに乗って「私ってどんな人間?」と友人に尋ねたことがある。友人は「ふわふわしてる感じがする」と答えた。ふわふわしている。このやりとりがずっと頭の中から離れないのは、その答えが私の核心をついているからだろう。
主体性のなさ。
それが私の根幹であり、人生を形作ってきた。

いつも、ここではないどこかへ行きたかった。
「今」は常につまらなかった。
だけど、自分にとって面白いものは何かが分からない。どこへ行きたいのか、何をしたいのか。
進学や就職といった大きな選択は、悩んだ末に結局、いわゆる「レール」の上を歩くことを選択した。今思えば、選択した、というよりも、「常識」や「ふつう」に流されただけである。
なんとなく、死にたい死にたいと思い続けていた。人生に楽しみを見出せない人間は、人生が内包する虚しさに直面せざるを得ない。人生の意味と無意味さ、別の人生の可能性をずっと考えていた。きっとどこかで人生を間違えたのだろう、あのとき別の選択をしていれば、私は人生を賭けてでも熱中できる何か(職業なり趣味なり)を手にしていたのではないか。

結婚を決断したのだって、一人暮らしにも飽き、「ここではないどこか」で送る生活が人生を変える可能性に希望を感じたからでもある。もちろんそんな主体性のない願望によって人生が変わるわけがない。

ところで、私の夫は私とは大きく違う人間であり、主体的に自分のことを自分で楽しませることができる人間である。今日だって仕事終わりに映画館へ行き、帰宅後は
学生時代の友人が書いた論文を読み、ネット通販で買ったバイクのパーツを見ながらニヤニヤしていた。
楽しそうな夫を見るのは好きだが、その一方で、没頭できる楽しみを持つ彼をとても羨ましく思う。そんな彼と生活していると、Googleで「無趣味 暇」などと検索して時間を浪費する虚しさが一層際立つ。ああ、私ってこんなにつまらない人間だったんだ。もしかして、人生、楽しみ損してる?
もちろん夫の好きなことを徹底して楽しむ姿勢は結婚前から変わらない。そうだ、そういえば私は彼のそこに惹かれて結婚を決断したのだった。私も彼のように、自分で自分の人生を楽しませたい。

結婚というイベントでは私は何も変わらなかった。しかし結婚生活という何気ない日々の中で、私は自分の「主体性のなさ」というコンプレックスと向き合わざる得なくなった。これを転機にしなければ。私は一生、つまらないつまらないと思いながら、この先70年も生きていかなければならなくなる。
自分のことを変えられるのは自分だけ。人生のイベントが変えてくれるわけではない。今の私は、自分で自分を、自分の人生を変えるという転機の真っ最中にいる。



#わたしの転機

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魚図鑑の魅力 『小学館の図鑑Z 日本魚類館 精密な写真と生地の写真と詳しい解説』【読書感想】

 魚好きだ、と、言っている割には、私の本棚には、いわゆる総説的な魚図鑑がなかった。なので小学館から大人向けの魚図鑑が出ると聞いたときには、1も2もなく予約した。小学館の図鑑、小さい頃は夢中で読んでいた。ちなみに友人の子供の1歳児も、小学館の図鑑NEOシリーズの魚図鑑が大好きで、「とと、とと(魚のこと)」と毎日のように読んでいるらしい。そう魚図鑑の面白さは1歳児にも伝わるのだ。

 予約の末に購入したのは『小学館の図鑑Z 日本魚類館 精密な写真と生地の写真と詳しい解説』である。編・監修は、中坊徹次先生。値段は6,900円。これを高いと見るか安いと見るか。
 一時期、同じ編・監修者の『日本産魚類検索 全種の同定』(4213種掲載)を買おうかと迷ったことがあるのだが、こちらは30,000円。しかも2冊組。それに比べるとだいぶ安い。検索図鑑は持っていても使いこなせないだろう、という、冷静な判断を下し結局購入はしなかった(しかしディスプレイように1組持っておきたい願望がある…)。

 さてこの本、図鑑といっても大版ではない。なんとA5サイズなのだ,しかしコンパクトとは言い難い。何せページ数は500ページ越え。文庫本などとは違い、ページの紙もしっかりしてるので、その分厚みがある。どのくらいだろう。少なくとも今、目の前の本棚にあった森博し作『有限と微小のパン(講談社文庫版)』よりは厚かった。
 そして中身はさすが大人向け。もちろん魚の写真もいっぱいあるが、それ以上に文章が多い。大体ページの上半分が魚の写真を占め、その下半分に魚の解説が載っている。食用魚も日食用魚も、海水魚も淡水魚もしっかりと載っており、帯によると全部で約1,400種ほど掲載されているらしい。写真だけではなく図版も充実しており眺めているだけでも楽しい。そして巻末には用語の解説と参考文献がガッツリとなっており、さすが大人向けだなと思った(参考文献のページだけで16ページある)。

 ところで、魚図鑑の一番良いところは、魚の解説文の最後に味の解説が載っていることである。食用、有用などと簡潔に書かれていることもあれば、有毒、猛毒といったことや、美味しい、煮付けに向くといった具体的なことが書いてあったりして、読むだけで想像力が膨らんでくる。
 なかには食用に特化した図鑑もあったりする(例えば、藤原昌高『美味しいマイナー魚介図鑑』。この本、大好き!マイナーじゃない魚図鑑も是非出していただきたい…!)。

 今夜の夕食は鯖のみりん干しであった。海の近くの、魚の直売所がある道の駅で買ったもので、マサバかゴマサバかは分からないがないが、多分タイセイヨウサバではないと思う。
 早速、図鑑でサバを引いてみる。マサバのところを、読むと、

焼き魚、煮魚、しめさばで食される。九州では刺身も食べるが、三陸から関東ではアニサキスの寄生よって生で食べない。北陸の塩さばやへしこが知られる。旬は秋〜冬。

 としっかりと書いてある。そう、こういう記述!これが好きで私は魚図鑑を読むのだ。幼い頃から他の動物図鑑や恐竜時間にはない魅力を、魚図鑑に感じていた。
ただの食いしん坊な子供だっただけかもしれない。
 しかし、まぁ、よおかげで魚を楽しめる大人になって良かった、ということで。

 最近、魚料理を食べるたびにこの図鑑をひいている。人生を充実させるには、こういうひとときが大事なのかもしれない。