読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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ミラーレス一眼デビューします。OM-D E-M5 Mark2 衝動買い。

 マイクロフォーサーズ規格であるミラーレス一眼レフカメラオリンパス「OM-D E-M5 Mark2」を衝動買いした。

 以前から、カメラには興味があった。学生時代にはニコンデジイチ入門機であるD5000を使用していたし、普段のカメラとしてはソニーのRX100を持ち歩いている。デジイチやミラーレスが欲しいと衝動的に思うことは、半年に一度くらいあった。その度に理性で抑えてきたが(使いこなせるか分からないし、飽きるかもしれないし、カメラ買うお金で本を何冊も変えるし、下手にハマってしまうと沼が深そうだし)、今回は衝動に負けてインターネット経由で中古品を購入した。

カメラを欲しかった理由とOM-D E-M5 Mark2を選んだ理由

 箇条書きにすると以下の通り
 

  • 読書以外に趣味がほしい
  • Wi-Fiのついているカメラがほしい 
  • 防塵・防滴機構がついているものが欲しい
  • ある程度軽いものが欲しい
  • 高すぎないものがほしい


 読書ブログをやっておいてなんなのだが、休日が本を読むだけで過ぎていくことに少し危機感がある。何か新しいことを始めたい、という気持ちもあってのカメラ。写真撮影を趣味にすれば、外へ出かける理由にもなる。引きこもりは大好きだけれども、こもってばかりも体に悪い(といいながら、クーラーの効いた部屋でブログを書いているのだけれど)。

 それからWi-Fiのついているカメラを買えば、ブログ等にアップするのも簡便になると考えた。数枚の写真のために、いちいちパソコンにSDカードを読み込ませるのは面倒くさい。旅行などにいくと百枚千枚単位で撮るから、Wi-Fiの有無は関係ない、とのアドバイスも受けたが、その場でスマートフォンにデータを送ることができるのは便利だろう。

 防塵防滴機構。いずれは海外旅行へ行きたい、砂漠とか海とかいろんなところに行きたい、という願望があるので、念には念を入れて。

 そして軽さ。これは大事だ。デジイチは重い。エントリー機であるD5000でも、やっぱり持ち歩くと重かった。当時は鳥を撮るために安物の望遠レンズをつけていたので余計重かった。新たに写真を趣味にするためには、とりあえず枚数を撮って、写真を撮るという行為になれる必要があるだろう。そのためには常に手元にカメラをおいておきたい。夫は何故か大きな中判カメラを持っているが、数回しか使わずに、ダンボールの奥深くに眠らせている。比較して、マイクロフォーサーズ規格はレンズを含めてもとてもコンパクト。まだ頑張れる重さである。頑張る。

 最後は、価格。いくら衝動買い!といっても、何十万とお金は出せない。もちろん高いフルサイズ規格のカメラや、高性能なレンズを使えば、私のような初心者でもきれいな写真が撮影できる確率は上がるのだろう。しかし無い袖は振れない。カメラだけではなくレンズの値段のことも考えると、マイクロフォーサーズ規格であり、しかも発売後数年が経ち価格が落ち着いているOM-D E-M5 Mark2に落ち着いた。中古の本体のみの価格で5万円ほどだった。お買い得。どうせいずれ買うなら、今買っといてもいいよね、といえる値段ではないか。
 
 ……言い訳チックですね。衝動買いの後付けの理由なんてそんなものです。

 レンズはとりあえず、中古で一万円ほどの標準ズームを購入。とりあえず、写真を趣味にすべく、練習します。今後、防塵防滴仕様の単焦点レンズとマクロレンズ(マクロ撮影してみたいというのも、レンズ交換式カメラが欲しかった理由の一つ)を買い足していく予定です。

【読書感想】はじめてのスパイ小説 ジョン・ル・カレ『寒い国から帰ってきたスパイ』

 ある日本屋へ行くと、文庫本コーナーに「ハヤカワ文庫冒険スパイ小説フェア」なる棚ができていた。外交ジャーナリストであり、かつ作家でもある手嶋龍一氏が選書した冒険スパイ小説たちが並んでいる。黄色の帯が、暗い表紙絵のスパイ小説たちを鮮やかに彩っていた。
 スパイ小説。なかなか読まないジャンルの小説である。どのような本が選ばれているのかと並んだ小説たちの題名を見ていると、そこに女王陛下のユリシーズ号の文字を見つける。アリステア・マクリーン作『女王陛下のユリシーズ号』。このゴールデンウィークに読んで、圧倒された小説である。読後も数日間は小説世界から抜け出せなかったほどに。そんな『女王陛下のユリシーズ号』と並べられた小説たち。一気にフェアに対する、選書に対する興味が増した。
 改めて本たちの題名を見ると、どこかで聞いたことのある名前がいくつかあった。有名作であったり、映画化されていたり。いくつか興味を持った本のなかで偶々手にとったのが、ジョン・ル・カレ『寒い国から帰ってきたスパイ』。これもどこかで聞いたことのあった題名であった。これが大当たりだった。
 

はじめてのスパイ小説を読んでみる

 主人公は50代の酒好きの男、リーマスである。イギリスのスパイとしてベルリンに潜入していたが、成果を挙げられずに帰国。帰国後はスパイ活動とは関係のない課に左遷されてしまう。失意のリーマスは、どんどん身を持ち崩す。遅刻欠勤を繰り返し、庁内食堂ではアルコールを呷る。ついには課内の金に手を付けてしまい、馘になってしまう。そんな困窮したリーマスの前に現れたのは、敵である東側の工作員たちであり、大金の代わりに情報を渡すように迫る。リーマスはその取引に乗ってしまうが、そこにはもちろん裏があって…… 

 スパイ小説ときいて連想したのは、007シリーズやミッション・インポッシブルシリーズといった派手なアクションが売りのスパイ映画だった。スパイ小説もそのようなアクション要素が多くを占めているのかと思っていたが、この小説にはほとんどアクションがない。むしろその対極で、登場人物たちの静かなる心理戦がメインである。クライマックスとなるシーンは、法廷劇であった。そこでは、人を殺すのに、派手な銃声必要ない。
 派手さはないが、スリリングな展開が続く。誰が主人公の味方なのか。真の敵は誰なのか。それが最後まで分からないのだ。物語の展開とともに、リーマスを取り巻く事件の全容が少しずつ見えてくる。しかし、見えてきたと思った全容が、実は罠であり、裏には別の背景が広がっていたりする。その読書感は、登場人物たちの証言により、事件の見方が二転三転する推理小説のようである。ミステリ好きな私は、この先の見えない物語にすっかりハマってしまった。
 また、途中、読者から見れば明らかに罠と分かる罠に、ヒロインが嵌っていくシーンがあるが、驚くぐらいハラハラさせられた。そっちへ行ってはいけない!と思いながらページをめくった(しかし、彼女を罠にかけた奴らが、結局、どちら側の人間で、何を意図しているのかは、先を読まなければ分からないのだ!)

 ドキドキしながら読了。それにしても物語の結末が意外であった。こちらの方向に行くのか、と。とても非情な結末であった。スパイを扱った創作では、スパイは主人公でありヒーローだが、しかし国や組織から見たスパイというのは、目的を達成するためのひとつのパーツでしかない。物語に夢中になっている読書に、その事実を思い出させるような、冷や水を浴びせかけるようなオチであった。

スパイ小説、面白かった!

はじめてのスパイ小説、とても良かった。スパイ小説は、「いかにも」な表紙絵のものが多いイメージがあり、手に取ることはしてこなかったが、もしかしたらとてももったいないことをしていまのかもしれない。
 未知のジャンルの小説にも面白い本はたくさんあるはず。読まず嫌いはもったいない。読んでいきたい。

寒い国から帰ってきたスパイ (ハヤカワ文庫 NV 174)

寒い国から帰ってきたスパイ (ハヤカワ文庫 NV 174)

【読書感想】小池昌代編『恋愛詩集』 恋愛詩を超えた恋愛詩たちをよむ

大好きな詩集、小池昌代『通勤電車で読む詩集』の続編、同編者による現代詩のアンソロジー『恋愛詩集』を買ったのは一昨年の夏の終わりだったと思う。そしてそれは予想通り、私の読書の歴史の中の2016年を代表する一冊となった。
買ってから約二年がたった。何度も読み直した。風呂の中で、布団の中で。

恋愛詩集、というタイトルであるが、いかにも恋愛!な詩は少ない。
一歩間違えたら、恋愛詩はいわゆるポエムと化してしまう。ポエムと詩の違いは何かと言われると確かにその線引きは難しいのだが、この詩集を読むと確かにここには、選ばれた言葉で綴られた詩がある。詩人は決して俗にいう恋愛、一般名詞である恋愛を、書こうとしたのではないことが伝わってくる。
私たちが向き合うのは、常に個別の、固有名詞としての恋であり、愛なのだ。そしてそれは人の数だけ違った形があり、解釈・意味付けがある。

例えば、高村光太郎の詩。この詩集には、『智恵子抄』の中から『樹下の二人』という一編が引かれている。彼はただ、彼の愛する妻をうたった。そこにあるのは智恵子という1人の女性に対する強烈な憧れである。

または会田綱雄の『伝説』という詩。この詩は特定の誰かをうたったものではない。とある山間の湖のそばに暮らす夫婦をうたった歌である。彼らは湖でカニを捕まえ、それを売り、日々の糧にし、子供を育てる。そんな大昔から受け継がれてきた暮らしをうたった歌である。
私の固有の人生が、父母の人生を通して生まれ、やがて、子供の人生へと受け継がれていくことの不思議。個別の人生が個別の恋愛を経て他人の個別の人生と繋がり、やがて大きな流れへと収斂していく。その流れの中ではあるいは恋愛などあってもなくても同じなのかもしれない。しかしそれを愛の奇跡とでも言い換えることも可能だろう。

この詩集には一見して、この詩のどこが恋愛、と思うような詩も収録されている。何度読んでもこれのどこが恋愛?と思う詩もある。
この詩集の中で一番好きな詩は、村田四郎『秋の犬』である。これもなかなか恋愛とは結びつかない詩だ。
野良犬の視点で、野良犬の人生観をうたった詩だ。

何かやさしいものが
耳元をかすめていったが
振りむいて見ようともしなかった

はじめから おれには主人がなかったことを
憶えきれないほどの多くの不幸が
おしえていて呉れたからだ

諦めと開き直り。野良犬に生まれてしまった運命に対する諦めと、しかし生まれてしまったからには生きるしかないじゃないか、という開き直り。存在の不合理を歌う詩なのに、読むとなんだか優しい気持ちになる。

この、なんだか優しい気持ちになること、これが恋愛に繋がるのかな、と思った。
どうしようもない運命を受け入れる。どうしようもない自分を、そして、同じようにどうしようもない人生を生きるあなたを受け入れる、それが恋愛、なのかもしれない。
うん、この詩、大好き。


他にも印象的な恋愛詩がたくさんつまった一冊。大切に読んでいきたい。

恋愛詩集 (NHK出版新書)

恋愛詩集 (NHK出版新書)