読書録 地方生活の日々と読書

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広い部屋を持て余す日々。西和夫『二畳で豊かに住む』

 学生時代、初めの二年は6畳、その後は8畳の部屋に住んでいた。就職を期に引っ越した先のアパートは、六畳二間の2DK。43平米ほどある、一人暮らしには広すぎる部屋である。南向きの角部屋で、明るさと和室があることが気に入ってここの部屋に決めた。

 住んでみて、一ヶ月。
 広すぎたな、と少し後悔している。

 正直、一部屋いらない。和室の一室を寝室として、布団を敷き、本を置いているが、それだけである。もう一部屋に布団を敷くスペースも、本を置くスペースも十分にある。
 贅沢な悩みだとは思うが、広さを持て余している。広いので掃除が面倒だし、冬は寒そうだ。もう少し狭くても、安い部屋にすればよかった。六畳の部屋に住んでいたころの、手を伸ばせば、何でも手が届く便利さが懐かしい。
 
 そんなとき、西和夫の『二畳で豊かに住む』という新書を見つけた。起きて半畳寝て一畳とは言うが、それでも二畳に住むとは。格安のビジネスホテルで、それくらいの広さの部屋に泊まったことはあるが、二畳で住めるものなのか。思わず手にとって読んでしまった。

 しかし実質二畳に、しかも夫婦二人で住んだ人がいる。作家の内田百閒である。わずか三畳、うち一畳は上が物置なので実質二畳、ここに奥さんと住んだ。

 思わず自分の六畳間を見回す。二畳、この文章を書いているコタツ机がだいたい半畳だ。いまいち想像ができない。しかもあの内田百閒がそんな極小住宅に住んでいたとは。
 本書には私の好きな詩人、高村光太郎も取り上げられている。戦後(智恵子亡き後)、彼は岩手県花巻市の山奥の小屋に一人で住んだ。その小屋の広さは二畳とはいかないが、東西5.4m、南北4.5mの広さであった。彼はここで詩を書き、彫刻を彫った。

 本書は文人たちの極小住宅事情や、渡し船場の二畳の小屋、四国遍路に立てられた茶堂などを取り上げている。そして「住宅とはなにか」「豊かに住むとはどういうことか」と言った問いをわたしたち読者に投げかけてくる。
 人間、生きていくにはそんなに広い部屋はいらない。
 むしろ、広い部屋に一人で住むよりも、狭くとも心通わせることができる人たちと住むことの方がずっと重要なのかもしれない。「立って半畳寝て一畳」「天下をとっても二合半」、人間なんてそんなものだ。だからこそ。

 最後に目次を乗せておく。

はじめに――狭いながらも豊かな空間
第一章 内田百閒、二畳に夫婦で住む――作家が語る小屋生活
第二章 高村光太郎の山小屋――雪深い里で詩作にはげむ
第三章 永井隆の二畳の如己堂――原爆の町で平和を求めて
第四章 多摩川渡場の小屋――氾濫したら持ち運ぶ
第五章 夏目漱石中村是公、二人の二畳の下宿――予備門時代を語る漱石
第六章 正岡子規の病床六尺――ふとん一枚、これが我が世界
第七章 四国、村はずれのお茶堂――遍路たちの一夜の宿
第八章 建築家提案の最小住居――極小空間の特色
おわりに――狭いながらも楽しい我が家

 著者は日本建築史の専門家。

読書録

『二畳で豊かに住む』
著者:西和夫
出版社:集英社集英社新書 0585 B)
出版年:2011年

二畳で豊かに住む (集英社新書)