読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

戦前×上流階級×同性愛 谷崎潤一郎『卍』

積読山の消化。
途中まで読み、放置していた本を手に取った。
谷崎潤一郎『卍』

前半はただの不倫小説(?)だったのだが、後半になるにつれ、事件性、物語性が増していき、結末は、まさかそこまで行くとは、というような地点にあった。
放置していたのが嘘のように、一気に読み終えた。

すごい小説です。有毒。恐ろしい世界。

すごい世界。すごい事件。すごく妖艶。

何故、小説を読むのか。

この問いの答えを考えることが、実は好きだったりする。
現時点での答えの一つは「本来一度しか経験できない人生を、小説を読むことで複数回経験するため」である。
人生の疑似体験。ただの疑似体験ではない。読書では、異世界での人生も疑似体験できる。

『卍』の世界は、まったくもって異世界的である。
同じ日本のはずなのに、時代が違えば、見える景色が違う。常識が違う。
平成の庶民には、戦前の上流階級の暮しなんて全く想像できません。
『卍』が書かれたのは1928年
1928年……昭和ヒトケタ。円本の時代。
大卒初任給は50-60円ぐらい。でも昭和初期にはもう地下鉄があったらしい(by『もういちど読む山川日本近代史』
どちらにしろ、うまく想像できない。
想像できない世界を体感することができる、小説は偉大なり。

驚きの谷崎ワールド。以下、ネタばれ。

主人公の園子は神戸の上流階級のお嬢様である。
結婚しているのだから「お嬢様」ではないのかもしれないが、「お嬢様」という表記がぴったりくる。
夫は弁護士。家には女子衆がおり、彼女自身は家事する必要もない専業主婦。子供はいない。
だから、絵のお教室に通っちゃったりする。
そこで、美女を見染めちゃったりする。
その美女、光子と仲良くなっちゃって、一線を越えたというような噂が立ったりする。
だが、彼女らは意外なほど堂々としている。
同性同士の愛は不倫ではないらしい。
夫は苦々しく思いながらも黙認。
夫の仕事中、奈良や大阪、近畿圏を遊び回ってます。暇だなー。

ここまでが設定。
ここまででもいろいろと凄いが、ここから物語が二転三転する。

光子との結婚を狙う男が現れたり。
その男と主人公園子が、兄弟の契りを交わす羽目になったり。
妊娠騒動があったり。(中絶に対する意識も現代とはいろいろと違ったようだ…)
夫を騙すための心中騒動を起こしてみたり。

嘘と嫉妬と策略が、これでもかと続く。スリリング。

気がつけば、園子とその夫孝太郎は、光子に搾取されていたりする。
毎夜、光子に強力な睡眠薬を飲まされ、疑心暗鬼の中どんどん病んでいくのだが……もう、ほんと、ぞおっとする。
いやーもう、逃げてー、という感じ。

どうしてこうなった……かは、是非、読んでみてください。

語りの妙

この小説、主人公園子の一人称であり、小説家である「先生」に事件を物語る、というスタイルである。

で、この園子の語りが関西弁なのである。
といっても正統な関西弁ではなく、似非関西弁であるらしい。
谷崎は本作を執筆する少し前に、東京から大阪に移り住み、関西の空気に触れたそうだ。そこで関西弁の美しさに気づいた、と。
つまり、本作は東京人が書いた似非関西弁で全編が語られている。
関西地方にすんだことのない私には、関西弁としての違和感はなかったのだけれど、関西の方からすればどうなのだろう?

それから、語りというスタイルをとっているせいか、直接的な描写はない。
不倫ばっかりしている小説なのに、あからさまな描写はほとんどなく、なんだか不思議な気がする。
それでいて、物語全体に渡って何とも言い難い壮絶さがある。
どろどろしてるはずなのに登場人物たちが皆どこか割り切っているところや、園子と孝太郎がなんだかんだ夫婦を続けているところ、などなど。

どうして園子はこんな壮絶な体験をすることになってしまったのだろう。
彼女と私、何が違うのだろう。

時代のせいなのだろうか。
お金に余裕があるからだろうか。

でも、読んでいると、人間ってこんなものなのかもしれないと思えるところがまた恐ろしい。

恐るべき、谷崎ワールド。新潮文庫で読んだが、カバーのイラストの「いかにも」感が良いと思います。

読書録

『卍』
著者:谷崎潤一郎
出版社:新潮社(新潮文庫

卍 (新潮文庫)


映画化もされているようですね。