読書録 地方生活の日々と読書

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不幸になってしまえばいいのに。村上春樹著『国境の南、太陽の西』

 不幸になってしまえばいいのに、主人公たちに対し、そんな風に思いながら読んでいる自分に気づいて驚いた。

 久しぶりに村上春樹さんの小説を読んだ。中長編小説国境の南、太陽の西。実はタイトルだけを見て、紀行文かと思い込み衝動買いしたのであった。電子書籍では中身が見られないから…とは言い訳しつつも、自分でも何をやっているのだろうかと呆れた。とは言ってもせっかく買ったので、読んでみる。

 この物語は、いかにも村上春樹さんの小説に出てきそうな男が主人公である。世間的に成功し、妻も娘もいる38歳の「僕」が、小学生時代の同級生と再会し、精神的に惹かれ、一線を越えてしまおうとする物語である。筋だけあげれば別に珍しくもない不倫話だ。

 どこにでもありそうな筋書きの話を読みながら、私はどうしてここまで心を乱されたのか。自分で言うのもなんだか、普段は他人の不幸願うような人間ではい。確かに古典的な因果応報な筋の物語は好きである。しかし、この本を読んでいる時のように、主人公たちの不幸願う事はほとんどない。普段小説を読むときに、どのような気持ちで登場人物に寄り添っているかと問われると、すぐには答えが出ないのだけれども、比較的、客観的俯瞰的に登場人物たちと共に物語を経験している気がする。こいつひどい人間だなと思う事はあれど、だからといって、不幸になればいいのにとまでは思考が及ばないというか。
 しかもこの物語の主人公は決して悪人ではない。確かに浮気はしている。が、浮気をする主人公なんて物語の世界にはごまんと存在しているし、登場人物がほとんど全員が浮気をしている小説『存在の耐えられない軽さ』(ミラン・クンデラ著)を読んでも、主人公トマーシュに対して、嫌な感情は抱かない。『存在の耐えられない軽さ』の中で1番好きな登場人物も、トマーシュの妻テレザではなくて、愛人サビナだったりするし。つまり私は、本作の主人公に対して倫理的に憤ったと言うわけではない。浮気する人間は不幸になればいい、という単純な心の乱され方ではなかったのだ。

 では私は何にそんなに引っかかったのだろうか。
 嫉妬かなとも思った。恵まれた環境にいてもなお、孤独と嘯く主人公に対する嫉妬。経済の成長期に、恵まれた家に生まれた主人公。特に、神戸の住宅地に庭付き一軒家の社宅が与えられている勝ち組サラリーマンの一人息子に生まれながらにして、自分を中流である言ってしまうところ引っかかった。私の認識がおかしいのかもしれないし、もちろん時代が違うと言われればそうなのだけれども。翻って自分を見る。田舎町に住んでいるけど、庭付きの家なんて、さらに郊外に出ないと買えそうにない……平成末期の現代社会、辛い。
 でも、経済的に恵まれた登場人物だって、本の中にはたくさん登場する。他の金持ちな登場人物に嫉妬したことがあっただろうか。ない。そう、私は彼の経済的な環境自体に対し、嫉妬を覚えているわけではないのだ。彼自身の恵まれた環境は、確かに彼の努力によって手に入れたものでもある。そもそも論として、私は登場人物に嫉妬するほど純粋な人間ではなかったはずだ。

 改めて考えてみる。そして気がつく。主人公たちに覚える反感は、家計のことを何も考えず「ガレージと薪ストーブ付きの家がほしい」といっている夫に覚える反感と非常に似ていることに。
 ああ、そうか。私は主人公たちがあまりにも「生活」というものを軽視しているように感じ、そのことに対して憤りを覚えているのだ。「不幸になればいいのに」という言葉も、別に彼らに死んでほしいわけではなくて、翻訳すれば、現実的な重さを持つ生活に直面して困惑すればいいのにということである。
 つまり私は結婚生活を実利的なものであるとみなしており、主人公たちが重視する魂のつながり的なものには重点を置いていないのだ。だからこそ、すべてを、生きることさえも捨てて一緒になろうとした主人公たちに対して、「生きていくということを舐めるな」と言いたくなったのだと思う。

 きっと私のような感想をこの小説に対して思う人は少ないだろう。そもそもが誤読している可能性もある。生活を重視していない登場人物こそ物語の世界にはいくらでもいるだろう、お前の好きなミステリに生活があるか、という指摘も尤もである。しかし確かに私はこの小説を読みながら、感情を大いに乱されていたわけであるし、一読者の心をこれだけざわつかせることができる村上春樹という作家は本当にすごいと思う。以前に別の村上さんの小説、例えばスプートニクの恋人を読んだ時は、今回のような反感は覚えなかったはずだ。ただしそれは、読んだ私がまだ学生だったからかもしれない。ぜひ再読し、今の私がどういう感情を持つのか試してみたい。それに今回読んだ『国境の南、太陽の西』も、別のとき--例えば私が主人公と同じ38歳のときによんだら、まったく違った感想を持つかもしれない。いずれまた、読んでみたい物語である。

国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

国境の南、太陽の西 (講談社文庫)