読書録 地方生活の日々と読書

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『感情教育』(中山可穂著)【読書感想】

 感情教育、といってもフローベールの著書ではない。中山可穂さんの長編小説で、野間文芸新人賞候補作にあがっていた物語である。
 女性同士の恋愛をテーマにした小説という前情報を知り手に取った。少し前に読んだ『キャロル』パトリシア・ハイスミス)の影響である。ところでこの『キャロル』が私に与えた影響は大きく、次は昨今流行りの百合SFにでも手を出そうかと思っている。アンソロジー『アステリズムに花束を』は買う予定。それからSFではないが、吉屋信子さんの小説も読んでみたい。読みたい本がいっぱいあって幸せだ。
 さて。『感情教育』である。
 私はその題名から学生たちの淡い恋愛模様を書いた物語だと思っていたのだが、その予想はあっけなく裏切られた。まず主人公は人妻である。つまりこれは不倫の物語なのである。しかし主人公が人妻で不倫している以上に私に混乱をもたらしたのは、この物語が描いているのは果たして恋愛なのだろうかということであった。

個人の人生の物語としての『感情教育

 まずこの物語はその構成が恋愛小説としては破格である。恋愛小説とは、二人の人間の関係性を描いたものであり、物語の全編を通し二人の関係の変化を追っていくというのが王道のフォーマットであろう。しかしこの物語の主人公である那智と、その恋人の理緒が出会うのは物語の三分の二が過ぎたところなのである。
 この本は三章構成になっている。一章目には那智が生れ落ちてから結婚生活を送るようになるまでの半生が、二章目には理緒が生まれてから同棲していた男の部屋から自立するまでの半生が、淡々とした筆致で描かれている。そして三章目でようやく二人は出会うのだ。
 この物語は二人の関係性だけではなく、二人の人生自体にスポットを当てている。二人の人生はそれぞれ語られるのに相応しい。生まれた瞬間に捨てられ親を知らない孤児として育った那智と、水商売に生きる母親と遊び人の父親にそれぞれから捨てられた過去を持つ理緒。男の人生を狂わせ男に人生を狂わされ、ついには結婚し子どもを成した那智と、同性愛者というセクシャリティーを持ちつつ男と同棲した理緒。二人はそれぞれ過酷な子ども時代をサバイブし、愛を探すように多くの男女とつきあい、人生の荒波に飲み込まれていた。
 同じような出生の秘密を抱えながらも二人の感情の発露は正反対だった。何もかも内に抱え込む那智と、表現と共に生きる理緒。
 そんな二人がひょんなことから出会ってしまう。那智は33歳、理緒は35歳だった。

 理緒が会釈して声をかけると、水沢那智は娘を抱き上げながらゆっくりと理緒を振り向いた。理緒の鎖骨に骨のペンダントが光っていた。二人は同時に見つめあった。

 運命の出会いだった。物語の前半三分の二、それぞれの人生の物語は、すべてこの出会いの瞬間のための伏線だったのだ。二人は当たり前のように惹かれあう。生まれながらにして欠けていたものを埋めるように。損なわれた子ども時代を生きなおすかのように。
 それは恋なんて簡単に呼べるようなものではないように思う。もう一人の自分自身に出会ったかのように、二人の仲は縮まっていく。もちろん二人の特別な関係は、外から見ればただの不倫にすぎない。彼女たちの未来は暗い。それでも二人の関係は特別であった。
 
 この二人の関係は果たして恋愛なのだろうか。
 恋愛小説というものは、読者自身に恋愛感情を疑似体験させるという効用があると思う。しかしこの小説は安易な疑似体験を拒絶する。この物語は普遍的な恋愛を描く「恋愛小説」ではないのだ。あくまで特別な人間である「那智」と「理緒」という二人を描いた小説なのだ。二人だからこそ生まれた関係性を描いた物語なのだ。非普遍的な物語を前に、凡庸な人生を送る私は、ただ彼女たちの今後の人生の幸せを祈るしかなかった。
 
 ところで二人の母親は同じ「喜和子」という名前だった。もしかして二人は異父姉妹なのでは、などとも思ったりしながら読んだ。背徳感にぞくぞくした。

 著者の本を読むのはこれがはじめて。他の本も読んでみたい。特に山本周五郎賞受賞作である『白い薔薇の淵まで』が気になっている。


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