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読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

『あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。他人に支配されず自由に生きる技術』安冨歩

 相変わらず迷ってばかりいる。

 そして相変わらず、「自分は自尊心が低いのではないか」と思ったりしている。自分と友人との差をみては、私になくて彼彼女らにあるものを考え込んだりしている。
「生きづらい」「自己嫌悪」というキーワードに惹かれ『あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。他人に支配されず自由に生きる技術』という本を手に取った。

プロローグ 自己嫌悪は、「自分が劣っているから」感じるわけではない
第1章 「自己嫌悪」は何を引き起こすのか?
第2章 なぜ「自己嫌悪」があると、仕事がうまくいかないのか?
第3章 「自己嫌悪」の正体とは何か?
第4章 「自愛」に向かうために、できいること

 そういえば、と思い出す。
 高校生くらいまで、私は私のことが大好きだった。それがいつの間にか「自己嫌悪」が増えていき、大学を出る前あたりには自分のことが大嫌いな人間になっており、「自分の人生は失敗だった」という言葉が頭から離れなくなった。自意識過剰な人間なのだ、私は。
 それにしても同じ自意識過剰なら、「自分大嫌い」よりも「自分大好き」の方がよかった。著者は「「自己愛」は、もはや言うまでもないかもしれませんが、「自己嫌悪」の裏返し」とはっきりと言っており、それはその通りだな、と思うのだけれど。

 この本には「立場主義」という言葉が出てくる。立場主義とはなにか。「「立場主義」とは、「立場」を守るために、なんとしても「役」を果たそうとする精神」であると著者はいう。

 そもそも、「立場」や「役」はなぜ必要なのでしょうか。

 会社員としての私。
 部長としての私。
 父としての私。

 こうした「立場」を求めるのは、自分自身に不安を感じるからです。

「自己嫌悪の引き起こす不安」から逃げる手軽な方法のひとつは、○○としての私、という枠を自分にはめ込んで、それを演じられたら、「自分のアイデンティティが確立された」と思い込むことです。

 
 枠に自分を当てはめて、思考を停止させる。社会人となり「会社員」という立場を手に入れた。少なくとも会社にいる間は、自分は「会社員」という役割を果たしていけばよい。そこに個人の生き方に対する疑問なぞ、挟み込む余地はない。
 しかしふと、社会的な立場や対人関係上の立場を離れた個人としての私を意識する瞬間がある。自分が何者であるのか分からなくなる。

 私は何が好きなのか。
 何を恐れているのか。
 何を望んでいるのか。
 私はどこへ向かっているのか。

 私は今も迷ってばかりだ。

あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。 他人に支配されず、自由に生きる技術