読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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再転職を考えはじめた。

 今の職場に転職し、早10ヶ月。なのだが、諸事情により、再度の転職を考えている。働きたくないわけではないし、むしろ一生働き続けたく思い一生勤められる職場を探しているのだが、転職活動は気が進まない。それなら今の職場で頑張れよ、と言われそうだが、将来的なことを考えると早いうちに転職する方が良いだろうとの結論に至ったため、そういうわけにもいかない。
 どうしてこうも転職活動がしたくないのかと言われると、学生時代、就職活動時にお祈りされ続けて内定がなかなか貰えなかった頃のことが一種のトラウマになっているからだろう。値踏みされ、否定されるのが怖い。社会に出て数年。学生の頃に比べると、だいぶ面の皮が厚くなった自覚があるし、採用活動の側面も見る機会があり、就職活動/採用活動はそれぞれの利害関係の一致不一致に過ぎないと理解しているのに、それでも不意に心の奥底に沈めたはずのナイーブさが顔を出す。

 転職活動に伴い、履歴書や職務経歴書を整理すると、何者でもない私自身に直面する。結局、私は特別ではなかった。そして普通に社会人を続けることも出来ず、未だに居場所を探し続けている。どこで間違ったのか、と問うことは今はやめようと思う。選択肢は、確かにあった。選んだり、選ばなかったり、流されたりした結果が現在の私である。かつての就職活動時には、「自分の人生、どこで間違ったのだろう」と、夜の研究室の進まない卒論を前にして延々と思い悩んでいたのだが、「私の人生は失敗だった」という観念が強化されただけで、結論は出なかった。だから出来るだけポジティブな言葉で人生を総括しようと思うのだが、何かを達成したと言えるようなことは何もなく、得意なことも好きなこともたいしてなく、そもそも何も言葉が出てこないことに気づく。私の人生は何だったのだろう。
 転職活動をしているとそんな無意味に等しい人生を送ってきてしまったことを、社会から断罪されている気がする。お前のような何も出来ない人間はこの社会には要らないのだ、と。
 それでも私はこの社会で生きていかなければならない。これからどうしたら良いのだろう。人生90年時代を生きる私は、残りの半世紀以上もの時間を前に呆然としてしまう。

 答えのない問いの海に溺れそうになっていることに気づき、慌てて思考シャットダウンする。現実的に、すなわち具体的に考えることを自分に課す。私が私の将来に望むものは、もはやもうほとんどない。ささやかな生活の保障である。そのための職が欲しい。そのための手段、それだけを今は考えるべきであり、人生を思い悩む時間は無駄である。
 それにしても嘆きたくなる。どうしてこうも生きていくのは大変なのだろうか。ああ。

半額惣菜と「きょうの料理」

今週のお題「最近おいしかったもの」

 今朝のこと。洗い物をしていた際、水道水に冷たいと思っている自分に気づき、ああ、秋だなと思った。日が暮れるのも早くなってきた。秋本番である。

  今週のお題「最近おいしかったもの」。
  秋には美味しいものが沢山ある。秋刀魚の塩焼きはもう3度も食べた。食後の楽しみは梨や柿といった果物たちだ。そしてお米。やっぱり新米は美味しい。
  美味しいものが溢れている秋のこの頃だが、しかし、昨晩は夫が飲み会で不在だったので、ここぞとばかりにスーパーで惣菜を買ってきた。お刺身に鶏の唐揚げに、磯辺揚げに枝豆。鶏肉もちくわも枝豆も大好物だ。結婚してから買うことが減った缶チューハイも、一緒に買った。うん、不健康。でも、この不健康そうな雰囲気も含めて、美味しい。

半額惣菜の一人暮らし


  独身の頃は、よくスーパーの惣菜を買っていた。その頃勤めていた会社は、毎日、残業だった。帰り道にスーパーに寄ると、惣菜類はだいたい半額になっていた。惣菜やカップ麺を買って帰った。
家に帰り、惣菜をつまみつつ、テレビをつけると、NHKで「きょうの料理 ビギナーズ」「きょうの料理」が放映していることが多かった。カップラーメンをすすりながら観る「きょうの料理ビギナーズ」は、体に悪いものを食べているという背徳感を一層盛り上げた。ああ、私ってなんてダメな人間なのだろう。

 もちろん毎日半額惣菜を買っていたいた訳ではない。安月給の身には半額惣菜にかかるお金も、財布には痛い。なんだかんだで三食自炊のことが多かった。職場は家から車で10分ほどだったので、昼食も家で食べることが多かった。たいていの日は、夕食の残り物を食べていた。
 夕食は冷蔵庫にあったものや、おつとめ品の野菜で作る、適当野菜炒めや適当煮込みが多かった。高校を出て一人暮らしをしてからは、田舎暮らしが多く、外食の習慣を身につけるような環境ではなく、自然と自炊をするようになっていた。自分の食べる飯くらいは、自分で料理することができた。食べるのは好きだった。自炊はそこまで苦ではなかった。しかし、自分で食べるものをつくるのと、人様に食べていただくものを作る料理はまったく別物である。自炊歴はそこそこ長くなってしまったが、料理の、腕前には自信がない。そして、そんな状態のまま結婚し、共働きの家事分担の結果、私は昼食と夕食の担当になっている。

 二人暮らしになったことで、夕食を料理することのコストパフォーマンスは向上した。一人分を作るのも二人分を作るのも、手間としてはたいして代わりはない。食材費も倍にはならない。しかし意識面は、大きく違う。やはり、作った料理を自分だけが食べるのと、食べてくれる人がいるのとでは大いにちがう。料理に使う野菜の量も増えたし、食卓に並ぶ皿数も増えたように思う。一人暮らしの時には一度も買わなかったブドウも買った。スーパーの半額惣菜に頼ってしまう日もあるが、背徳感だけではなく、ちょっとした罪悪感も感じてしまったりする(とはいえ、半額唐揚げは夫婦揃って大好きだし、刺身は定価ではほとんど買わないのだけど)。

 自分で食べる分には問題を感じなかった自分の料理の腕も不安になった。料理をしっかりと習ったことはない。家庭科の調理実習も、ほとんど記憶には残っていない。知人や親戚に野菜や魚をいただくことがあるのだが、下処理の方法が分からないことがある。分からないことごあるたびに、インターネットで検索している。たしかにその都度調べれば問題はないのだけれど、こんな状態で、いいのだろうかと思うことはある。今から思えば母親は料理上手だった。食材の下処理をテキパキとこなしていた姿が、思い浮かぶ。

ついに料理本を購入しました

 現状に対する疑問は募り、ついに初心者向けの料理本を購入した。もととと料理エッセイやレシピ本は好きで、図書館に通うたびに借りていた。しかしレシピ本を実際に参照して、料理を作ることは稀だった。どうしてだろうか。レシピ本は見て楽しむものだった。
しかし、実用本位の本を、少なくとも一冊欲しいと思った。基本的な下拵えやよくある家庭料理の方法が書かれた本を手元に置いて置きたいと考えたのだ。

NHKきょうの料理ビギナーズ」ハンドブック 基本がわかる!ハツ江の料理教室』

 そして買ったのが、「きょうの料理ビギナーズ」のムック本である。これは放送用のテキストではなく、独立した料理本として読めるようになっている。特に料理の基礎的な事柄がまとまっており、さらに一冊あたりの値段も手頃なので(レシピ本の値段はピンきりだが、初心者向けの本は1500円~2000円程度のものが多い印象。この本は1100円だった)、手元に置く一冊として購入した。「きょうの料理ビギナーズ」の月間テキストの購入も考えたが、今回は様子見することにした。とりあえず、一冊ずつ。
 以下、目次。

 1時間目 まずは基本の”き”
 2時間目 もう迷わない! 食材の下ごしらえ
 3時間目 わかれば、おいしい! 調理テク
 4時間目 人気メニューをマスター
 5時間目 ハツ江の知恵袋 たれ&ソース

 この本の特徴は、料理のレシピよりも、その前段階の下ごしらえや各レシピに共通する「焼く」や「煮る」といった調理自体に、多くのページを割いていることである。計量の仕方や、火加減水加減といった基礎的なところもしっかりと解説してある。下ごしらえの方法が多く載っているのがありがたい。知っていることも多いが、知らなかったこともあった。ちょっとした豆知識も随所に挿入されており、眺めて見ているだけでも楽しい本となっている。ちなみにハツ江とは「きょうの料理ビギナーズ」に出てくるおばあちゃんのキャラクターである。本の冒頭には「きょうの料理ビギナーズ」に出てくるキャラクターの紹介ページもある。個人的には、とし子さん(ハツ江さんの長女)が42歳(の設定)だったことに驚いた。

 それから本の中にこんな言葉があった。

 献立のすべてにチェレンジせず、一品ずつ、丁寧にレッスンしましょう。繰り返しつくって得意料理にし、レパートリーを少しずつ増やしていく、そんな気持ちが大切です。

 一品ずつ、丁寧、か。せっかく本を買ったのだ。それにどうせ料理をしないといけないのだ。楽しみながら、家族に作る料理に向き合って行きたい。

 にしてもやっぱり、スーパーの惣菜をつまみつつ食べる缶チューハイは美味しかった。ああ。

カーアクション限界突破! ジョージ・ミラー監督『マッドマックス』【映画感想】

 今更ながらマッドマックス 怒りのデス・ロードに興味を持った。水耕栽培シーンがあるらしい。『怒りのデス・ロード』は、マッドマックスシリーズの4作目ということなので、とりあえずシリーズ最初から観てみようかなと思い、一作目を鑑賞した。ちなみに映画館で『怒りのデス・ロード』を観た知人は、マッドマックスシリーズはまったく観ていなかったが普通に楽しめたとのこと。27年ぶりのシリーズ新作だそうなので、前作を観ていない観客を視野に入れた作りになっているのだろうと推測。

 しかし、せっかくなのでやはり一作目から観た。Amazonプライム・ビデオで無料で観ることが出来たのも大きい(2018年10月時点では、三作目までは無料で観られる)。

暴力が身近な近未来。マックスの世界

 『マッドマックス』は1979年に公開されたオーストリアのアクション映画である。監督はジョージ・ミラー。この作品は監督の長編デビュー作でもある。映画は「今から数年後」という文字から始まる。近未来の秩序が崩壊しつつある、無法者たちが跋扈する世界で物語は展開する。
 物語の筋は単純だ。ナイトライダーを名乗る暴走族が警官を殺した上、警察車両を奪略し、暴走した。主人公である警官マックスが、同僚らと共に追い詰めた結果、ナイトライダーは事故死してしまう。それを良く思わなかったトーカッター率いる暴走族仲間は警官たちに復讐しようとする。そのいざこざにマックスや彼の家族は巻き込まれて…という話。
 まず、冒頭のカーアクションが目を引いた。なんというか、最近の映画にはあまりない乱暴さ。CGが発達していない時代の映画なので、全て実写のアクションだ。暴力感がヒシヒシと伝わってくる。車もバイクもぶつかり、壊れまくる。特に印象的だったのが、暴走族がカップルの乗った車をボコボコにするシーン。そのボコボコ具合が半端ではなく、車って鉄の物体に過ぎないのだな、と改めて思った。最近の映画でも、車が銃撃を受けたり、爆発に巻き込まれたりする映画は多々あるが、鈍器で殴り倒される映画はあまりないのではないか。ちなみにwikipediaによると、日本語吹き替えのテレビ放送版のタイトルは『激突また激突!カーバイオレンス限界描写 マッドマックス』だそう。確かに映画をよく表した副題ではある。しかしどうなんだろう、このタイトル…私はまったく惹かれないのだけど…80年代の感覚は現代とは大きく異なっていたのかもしれない。

 一方で、マックスの「マッド度」というのは、そこまで高くないように思った。確かに、最終的にマックスが選んだ手段は脱法的であり、褒められたものではないが、その行動原理は理解できる。(一方で、暴走族たち、特にナイトライダーがどうして暴走しているのかはよく分からなかったのだけれど)。「マッドマックス」というタイトルであるが、もしかすると「マッド」な「マックス」という意味ではなく、彼を取り巻く環境=荒廃した近未来、暴力が身近にある近未来が「マッド」であるということかもしれない。ところでこの世界、近未来という設定のはずだが、そこはかとなく漂う80年代感。21世紀の目で見ると、どうしても「今から数年後」に思えない。ひと昔前のどこまでも治安の悪い街で、暴走族が暴れているという映画に感じてしまう。警察や商店、駅があり、暴走族もちゃんと服を着ているので、あくまでも現実と地続きな世界という感じがするのかもしれない。
 それが、2作目になると一変するのだが……治安の悪い街から、終末の世界へ。これぞ、ディストピア
 
 そして、この2作目がとても面白かった。いずれまた、感想を書きたい。