読書録 地方生活の日々と読書

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ままならない人生を生きる ジョン・ウィリアムズ『ストーナー』【読書感想】

 この小説の存在を知ったのは、数年前、インターネット上でのことだった。いくつかの読書ブログで絶賛されていたのだが、それらのオススメ文句が「地味な人生を書いた小説だが、それが良い」との主旨であり、興味を持った。ストーナーとは、その地味な人生を送った主人公の名前らしい。いつか読みたいなと思いつつも、なかなかその本に出会えず、だからといって書店に取り寄せてもらったり、インターネット通販で買ったりするほどでもなく、数年が過ぎた。

 9月の半ばに訪れた本屋でたまたま見つけたのが、この『ストーナー』だった。単行本で、白い美しいカバーがかかっていた。帯には「第1回日本翻訳大賞 読者賞」なる賞を受賞したと書かれていた。裏返して値段を見る。2800円。その日は映画を観た帰りだった。往復の交通費の2000円に映画代の1800円、それに加えての単行本の出費は少し痛い。それでも何かの縁だと思って購入した。

dokusyotyu.hatenablog.com
(↑購入した際の日記です)

 これが、正解だった。
 そして数年前に読んだ、この本のオススメ文は正確だった。たしかに何か大きな事件が起こる話ではない。主人公や脇役たちが、特別に魅力的かと言われるとそうでもない。ストーリーが奇想天外でも、描写が特別に優れているわけでもない。それでも、とても強い吸引力が、この小説にはある。

 ウィリアム・ストーナーは、一九一〇年、十九歳でミズーリ大学に入学した。その八年後、第一次世界大戦の末期に博士号を授かり、母校の専任講師の職に就いて、一九五六年に死ぬまで教壇に立ち続けた。終生、助教授より上の地位に昇ることはなく、授業を受けた学生たちの中にも、彼を鮮明に覚えている者はほとんどいなかった。

 物語はストーナーの人生を概説したこんな文章から始まる。ミズーリ州中部の貧しい農場に生まれたストーナーは、農学を学ぶために大学へ入学する。一生を農場で過ごすだろうと思っていたストーナーは、しかし、大学の必須教養科目の英文学概論の授業で、シェイクスピアに出会ってしまう。彼は英文学にのめり込み、そして人生を英文学に捧げることになる。
 私たち読者はそんなストーナーの人生を追体験する。一目惚れの後の結婚とその失敗、子供の誕生と成長、大学人としての働きと同僚との軋轢、そして教え子との愛と別れ、そして衰弱と死。
 ストーナーが生きた時代背景と私が生きる今の時代は、大きく異なっている。ストーナーが生まれたときには、過去の戦争とは南北戦争のことである。第一次世界大戦、恐慌、第二次世界大戦を彼は経験する。私にとって、それらは等しく教科書的な歴史である。そんな異なった時代背景を生きるストーナーの人生を描いたこの本が、私の人生に寄り添ってくれているように感じるのは、この物語が普遍的なものとしての人生を描いているからだろう。

 ストーナーの送った人生は地味だった。人生をかけて何かを成すこともなければ、家族に恵まれたわけでもない。しかし偶々大学で文学に出会ってしまい、そのまま文学の道で生きた人生を「普通」とは言えないだろう。いや、すべての人生はその人固有のオリジナルなもので、「普通」の人生というものはない。
 それでも私たちの人生には、共通することがある。それは、人生というものは、ままならないものである、ということである。人生はときに、その人生の主の意図しないところで大きく動くことがある。偶然の出会いが、天災が、人生を大きく変えることがある。あるいは、日々の選択の積み重ねが、いつしか大きな運命の流れとなり、思いもしなかったところに押し流されてしまうこともある。自分の思い描いた通りに生きられる人間は稀だろう。私自身も、いつも気がつけば思いもしなかった地点に立っている。五年前、十年前に描いた将来像とは、全く別の私がここにいる。あのときこうしていれば、ああしていれば、と思うことも多々ある。後悔と挫折、自分に対する失望に塗れた人生である。それでも私たちは、このままならない人生を生きなければならない。
 ストーナーも自問する。

 高潔にして、一点の曇りもない純粋な生き方を夢見ていたが、得られたのは妥協と雑多な些事に煩わされる日常だけだった。知恵を授かりながら、長い年月の果てに、それはすっかり涸れてしまった。ほかには、とストーナーは自問した。ほかに何があった?
 自分は何を期待していたのだろう?

 しかし、確かに、ストーナーはこの世界に生きたのだ。そして私も、このどうしようもない世界でままならない人生を生きているのだ。確かに、生きているのだ。物語はストーナーの死をもって終わる。傍目には挫折の連続と映るかもしれないストーナーの人生だった。そうではないのだ、ということをこの本は教えてくれる。読むと不思議と元気になれる、まだ、前を向くことができる、そう思えるような小説である。今後も何かの折にふれ、読み返したい。

ストーナー

ストーナー

2019年の家計簿購入。オレンジページ『1日3分家計簿』

 雨の日。本屋さんに行くと、棚2面に渡りずらっと家計簿が並んでいた。文房具屋の手帳コーナーと並ぶ、秋の風物詩である。もうそんな季節か、さて、今年の家計簿はどうしようかなと思う。

 毎年、家計簿の購入には迷っている。昨年は迷っている間に年が明けてしまった。年が明けるとだんだんと家計簿コーナーは縮小していく。気がついたときには選択肢がだいぶ減っていた。今年はそれは避けたい。

 この季節には、多種多様家計簿に出会うことができる。これだけ家計簿の種類があるということは、それだけ家計の在り方も様々あるのだろう、などと思ってみたりする。そして数多並ぶ家計簿をパラパラとめくってみては、続けられるだろうかと自問自答してみる。
 今までに色々な形式の家計簿を試してみた。500円未満の安いもの、1000円以上もするもの。袋分け家計簿に、節約コラムが充実しているもの。ノートに手作りしたこともあったし、スマホの家計簿アプリも試してみた。しかし基本的に、家計簿は1年に一度しか試さないので、なかなか決定打に出会えない。細かい記入を続けられた年もあれば、挫折してしまった年もあった。それでも30年近く生けていれば、自分が細かく家計簿をつけるタイプの人間ではないことは分かる。細かくつけて、色分析してみたら楽しいだろうなとも思うが、続けられなければ意味はない。家計簿はシンプルなものに限る。

 並ぶ家計簿の中から、簡単さを売りにしているものを手にとってはめくってみる。
 シンプルな家計簿といっても、そこには何種類もの種類がある。自分なりに分類してみると、表頭(家計簿の表の上部)に入るものが「日付」か「費目」かで、大きく2つに分けられる。表頭が「仕分ける項目」になっているものの方が、ページ数が少なくて安価である。表頭が「日付」になっているものは、見開き2ページで一週間分になっている。私は後者の表頭が「日付」になっている家計簿の方が好みである。なぜなら、日付を書かなくても良いから。手間は出来るだけ減らしたい。そこに着目して絞ってみたが、候補はまだ何種類かあった。そんななかから、迷いに迷って、オレンジページの『1日3分家計簿2019』を購入した。

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 決め手は、費目が「食費」「日用品」「お楽しみ・交際費」「その他」と少なく、また週の合計を書くところに「クレジットカードの支払い」という欄があることである。クレジットカードで買ったものをどのように書くべきか毎回迷っていたので、明確な欄があるのはありがたい。

 さて。家計簿は買った。あとはしっかり記入して、ちゃんと振り返り、節約に活かすだけだ。まずは今年の残りの三ヶ月の家計簿をちゃんとつけて、浪費の日々を反省したい。

自立と自炊と家族の食卓

 中学生の私は、早く大人になりたくて仕方がなかった。中学校が好きではなく、中学一年生のGW開けには、すでに一刻も早く卒業したかった。早く大人になって、実家の家を出たかった。そして一人暮らしというものをしてみたかった。自分の生活を自分で運営してみたい。高校時代は、暗黒な中学時代とは一転、とても楽しく毎日を過ごしたが、それでも早く大人になりたいという気持ちは変わらず、進路選択の際に、地元から1000キロほど離れた地方都市にある大学を選んだ。高校の友人の多くは地元の大学か、もしくは東京の大学を目指しており、私の選択は少し驚かれた。一度だけ母親から「東京の大学にしたらいいのに、そうしたら時々、様子見に行ったり掃除しに行ったり出来るのに」と言われ、私は自分の選択が正しかったことを確信した。両親のことは好きだったが、新しい生活に介入して欲しくはなかった。

 こうして18の春、私は実家を出た。

 不思議なほどホームシックにはならなかった。大学の同級生のうち半数以上は、私と同様、実家を出て通っていた。同じような境遇の友人たちと、時間を気にせず学び遊ぶのは楽しかった。実家には年に一回、帰省するかどうかだった。
 はじめての家事も苦にはならなかった。自分の身の回りの家事なんて、いくらでも手を抜くことができた。部屋が散らかっていても、誰にも怒られない。食べたいものを作り食べる。作るのが面倒くさければ、外食するなり、スーパーで惣菜を買えばよい。気楽なものだった。そしてその気楽な生活は性にあった。
 そのうち働くようになった。就職先の職場は映画館もない地方の小さな町で、借りたアパートは44平米の2DK、家賃は4万円だった。築年数はそれなりだが、内装はキレイだった。寝室にスチールラックの本棚を置いた。好きな本を並べた。仕事は大変だったが、やりがいがあった。新しい友人もできた。一年働いて貯めた貯金で中古の普通車も買った(それまでは大学の先輩に譲ってもらった軽自動車に乗っていた)。あれ、もしかして、私今、幸せなのでは、と思ったりもした。

 しかしあれほど焦がれた一人暮らしも、日常になれば、ただの生活に過ぎなくなる。そのうちに、自分のためだけに生きることーー自分のために働き、食事を作り、それを食べる生活ーーに飽きてしまい、結婚した。私は自分でも呆れるほどに飽き性である。実家を出た日から9年が経っていた。

 一人暮らしが二人暮らしになった。新しい日々は、大して変わらないようでもあり、しかし、大きく変わったようでもある。朝起きて、仕事へ行き、帰り道にスーパーに寄り、夕食をつくり、それを食べ、眠る。週に3日洗濯機を回し、週末には掃除をする。時々、布団カバーを洗ったり、季節家電を出し入れする。
 そんな毎日で、変わったことの筆頭は食事である。好きなものを作り一人で食べる生活から、作ったものを食べてもらう生活に変わった。献立、というものを意識するようになった。自炊の際は、冷蔵庫の中身を適当に炒めたり煮たりすることが多かった。大量の野菜炒めを作り、ビールを飲みながらひたすら食べる、という感じだった。もちろん今も冷蔵庫の中身で適当に作ることも多々あるが、結婚から一年ほど経ち、そればかりではダメなのではと思い始めた。もっと名前のある料理を作りたい。常備菜のレパートリーも増やしたい。そして何より、自分の家族には栄養があり、美味しいものを食べて欲しい。

 実家の母の料理は美味しかった。一汁四菜も五菜も食卓に並んでいた。実家には料理本やレシピの切り抜きを挟んだファイルが並んでいる本棚があった。母はよく、それらの本やファイルを机に広げ、一週間の献立に悩んでいた。母の苦労がようやく分かってきた。
 レシピ本を買おう、と思った。自炊は自己流だったので、出来るだけ基本的なことが載っている本を買おう。料理用のノートとファイルも用意しよう。私達の家族の食卓の形はまだ定まっていない。これから何年もかけて、日々の食事を重ねることで、形作られていくのだろう。きっと両親も手探りで、私を育てた食卓の形を作り上げていったのだろう。私達の家庭が将来どのような形になっているのかは分からない。しかしその将来の食卓が、ささやかでも幸せな場所となれるように、今出来ることを少しずつやってみよう。

#わたしの自立

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