読書録 地方生活の日々と読書

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谷川俊太郎氏の声を聞く 『ボクらの時代 自由になる技術 80歳詩人の言葉を聞く』

テレビを持っていないので、なかなかテレビ番組を観賞する機会がない。
友人の家に泊まったテレビをつけると「ボクらの時代」という番組が放送されていたことがある。
あらゆるジャンルで活躍する著名人3人が、落ち着いた雰囲気で談話するという番組だ。
その「ボクらの時代」のノベライズを見つけ、読んでみた。
その日のゲストは谷川俊太郎箭内道彦宮藤官九郎
詩人、コピーライター、脚本家。
世間からはクリエイティブと称される人々である。
本の題名も『ボクらの時代 自由になる技術 80歳詩人の言葉を聞く』である。

1 書く――自分を消して器を大きくする。
2 お金――書くことでくっていきたい
3 感じ方――美味しい詩、まずい詩
4 震災――意識下の影響
5 母――無条件に愛されること
6 小さい頃――十五歳で一度人生は終わる
7 恋――愛したけど、恋はしていない
8 表現――左脳でわざと関節を外していく
9 文字――僕の脚本はゴシックにしてください
10 死――ゼロの気持ちへの好奇心
〈特別収録〉みみをすます
あとがき

中身は3人の会話形式となっている。読みやすい。
そして最後に谷川俊太郎作の詩『みみをすます』が収録されている。
会話は谷川俊太郎に話を聞く、といった場面が多い。
詩人の生活や詩作の様子が垣間見え面白い。
作詞のときは曲ができた後に歌詞をつけることが多い、とか、詩の依頼は何字×何行で受ける、など。
詩人も資本主義社会の一員であることには変わりがないというのは、ちょっとした発見だった。

ところで私は詩が分からない。

谷川俊太郎の詩を初めて読んだのはいつだろう。
たぶん、小学校へあがる前。
絵本か何かで読んだのがはじめだろう。
小学校でも読んだ。
教科書に詩が載っていた気がする。
国語の時間か、道徳の時間か、はたまた、音楽の時間か。
あらためて谷川俊太郎氏が、まさしく、国民詩人であることを実感した。

幼い頃から詩には触れているはずなのに、私は詩が分からない。
そんな私を励ます言葉もあった。

谷川 だから詩っていうのは、本当は、わかる/わからないが基準じゃないんです。おいしいかまずいかなんです。だからなんとなくおいしければそれは良い詩なんですよ。   (p36)

でも私は味音痴でもある。
それでも、ひらがなで構成された彼の詩の字面は見ていて面白い。
意味のない連なり。
そしてこのようなことばの在り方としての詩を見ていると、詩の翻訳は根本的に不可能なのではないかとの思いが湧きあがる。
意味は翻訳できる。
文字自体は、文字の形や文字の連なりによる情緒は、翻訳できないのではないか。
母国語の詩を味わうことができる喜び。
外国語の詩を理解しかできないことの悲しみ。
ゲーテファウストを読んだことがあるが、詩の部分を味わうどころか理解することもできず、飛ばして読んだことを思い出した。
「海外の詩なんて分かるわけないじゃん」と開き直った幼い自分は、ある意味間違っていなかったのだろう。
そういえば、ダンテ『地獄篇』も同様の意味でキツかった。こちらは、詩的な部分を読み飛ばすと読むところがなくなってしまうので、頑張って字を追った覚えがある。

そんな味音痴な私でも好きな詩はいくつかある。
谷川俊太郎の詩では『二十億光年の孤独』が好きだ。
でも、というか、やはり、というか、詩に込められた概念や意味の方が好きなのかなとも思う。
音の響きや文字の形の面白さだけで、詩を味わえる子供が少し、羨ましい。
そんなことを思いながら、最後に収録されている『みみをすます』という詩を読んだ。
ひらがなだけの詩だ。
何かの主張がある詩ではない。
でも、だから、ゆっくりと字を追った。
効率や素早さを求める自分を抑え、ゆっくりと読んだ。
まるで、詩に耳を澄ますように。
詩の中から湧きあがる音を探すように。

私は詩が分からない。
しかしもしかしたら、味わうことならできるかもしれない。

読書録

『ボクらの時代 自由になる技術 80歳詩人のことばを聞く』
谷川俊太郎
箭内道彦
宮藤官九郎
出版社:扶桑社
出版年:2012年

ボクらの時代 自由になる技術 80歳詩人の言葉を聞く