『昔も今も』サマセット・モーム
人生2冊目のサマセット・モームである。『昔も今も』。
1冊目はだいぶ以前のことだが東北へ行った際(宮沢賢治は好きですか? 花巻・宮沢賢治記念館に行ってきた! - 読書録 本読みの貪欲)、電車に揺られながら読んだ本である。
雪景色を見つつ、ルネサンス後期のイタリアに思いを馳せる。東和駅あたりで読了。
イタリア歴史小説
普段あまり歴史小説は読まない。そんな私でも十分に楽しむことができた。
主人公はマキアヴェリ、かの『君主論』の作者である。
物語は、彼が『君主論』を書くより前の33歳の頃の話。
仕事ではフランスとの外交を成功させ、プライベートでは口説いた女は確実に落とす、勢いのある男である。
その頃のイタリアはまだ統一国家ではなく、都市国家が互いの勢力を争っていた。
いわば日本の戦国時代。
ただし違うのは、統一された強国フランスと陸続きであること。
マキアベェリはイタリア統一を目指す若き「君主」チェーザレ・ボルジアの元に、都市国家フィレンツェより外交官として派遣される。
チェーザレはマキャべリ(フィレンツェ)に傘下に入り、傭兵を派遣するよう要請する。
マキャベェリはフィレンツェの独立・自由を守れるのか。
謀略の応酬
モームは本書を会話の妙で見せる。
策略、謀略、智力を尽くした会話が繰り広げられる。
けれどもそこには堅苦しさはない。
イタリア男といえば恋である。
外交政策で忙しいマキアヴェリも、合間を縫っては若き人妻を手に入れようとこちらも策略を張り巡らせる。
外交模様と恋模様、マキアヴェリの思惑、何を考えているか分からないずる賢い登場人物たち。
様々な意図が入り乱れ、舞台はフィナーレを迎える。
マキアヴェリは結局、自らの望んだ答えを手に入れられたのか。
それともチェーザレに踊らされていただけなのか。
ここでは言わないでおこう。
これらのやりとりはどこか喜劇的である。
まるでシェークスピアなど、翻訳物の戯曲を読んでいるのに近い読書感を覚えた。
本と読者の位置関係が、舞台と客席とのそれに近いのではないか、と思った。
私たち読者はマキアヴェリの奮闘を客席の立場から眺めることができる。
気づけば目の前では、マキアヴェリをはじめめ登場人物が右往左往している。
日本の小説にはなかなかないのではないか。
この感覚、私は好きだ。
この感覚を蔭で支える訳も秀逸。
訳者は天野隆司。
文庫書き下ろし新訳である。
もちろんこれらの活劇は、モームの人間観察力があってこそ。
人間のどうしようもなさまで生き生きと描いている。
皮肉、箴言も強烈である。
民主主義や傭兵制への皮肉などは、今の日本の政治や安全保障と比べ、思わず考えさせられてしまった。
人間や社会への時に厳しく時にユーモアあふれる目線は、実はスパイだったという作者の経歴が生きているのだろう。
ちなみに本書は作者が70歳の時に書かれたものだそう。