読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

別に検索したくはないけれど。東浩紀『弱いつながり 検索ワードを探す旅』

読んだ。面白かった。いろいろ考えた。
部分的には納得できることばかり。
ただし、全体を見た時、アレと思うところがある。目次は以下。

0 はじめに 強いネットと弱いリアル
1 旅に出る 台湾/インド
2 観光客になる 福島
3 モノに触れる アウシュヴィッツ
4 欲望を作る チェルノブイリ
5 憐れみを感じる 韓国
6 コピーを恐れない バンコク
7 老いに抵抗する 東京
8 ボーナストラック 観光客の五つの心得
9 おわりに 旅とイメージ

ネット期待世代の挫折

インターネットの告発からこの本ははじまる。

ネットは階級を固定する道具です。「階級」という言葉が強すぎるなら、あなたの「所属」と言ってもいい。世代、会社、趣味……なんでもいいですが、ひとが所属するコミュニティのなかの人間関係をより深め、固定し、そこから逃げ出せなくするメディアがネットです。

よくある、とまでは言わないが、目新しい主張ではない。
インターネットは社会を変えることだけではなく、人生を変えることを期待され、世に生まれてきた。
しかしインターネットにはそれだけの力はなかった。それだけの話だ。
著者は「旅」をすること、実際に身体を移動させ、別の環境に身を晒すことを勧める。
何のために?
世界を、人生を変えるために。
そしてその結果として、今までとは別の検索ワードをグーグルさんに打ち込めるようになる!やったね!となる。
無駄に図示すると……

強いつながりの世界→旅することで環境を変える=弱いつながりをつくる→新たな欲望の発生=世界の変化=人生の変化→別の検索ワードを得られる

つまり、ただインターネットを使っているだけでは人生は変わりませんよ、ということだ。
当たり前だ。道具なんかに人生が変えられるか。
人生を変えることができるのはインターネットではなく、検索ワードを打ち込む人間であるはずだ。

でも、だから何、とも思ってしまうのだ。検索ワードを変える必要性をそもそもあまり感じない。

では何故このような本が世に出たのか。

それはやはり、インターネットに期待していた人々がいたからだろう。
希望が砕かれ、困惑している人々がいるからだろう。想像だけど。

ネットに期待しない世代。

ネット期待世代とネット当たり前の世代を考えてみる。
著者はネット期待世代の人間だろうと思う。
そしてゆとりな私はネット当たり前世代である。物心ついたとき、とは言わないが、自我が発達する中学生のころにはすでにインターネットで友人とコミュニケートしていた。インターネットに対し、特別な期待はない。ネットもテレビと同じように捉えている。

ネット期待世代の人もテレビが人生を変えてくれるなどとは期待をしていないと思う。
確かにテレビは娯楽としては素晴らしいし、報道番組から得られることも多い。
「同じチャンネルや番組ばかりみていると、得られる情報も偏ってしまう」という主張もあるだろう。
それでも見続けるのは、そのチャンネルなり番組にある程度満足しているからだ。
「テレビにはもっといろいろな番組があり、使いようによっては、もっと大きな満足を得られますよ。別のチャンネルを見るには、別の欲望が必要。そのためにはまず、実際に旅して環境を変え、モノに触れましょう」
たまたま観光旅行に行った先の釣り堀で釣りをし、それがきっかけとなって今まで見ていなかった「釣り番組」を見ることになるかもしれない。世界は、人生は変わった。確かにそうだ。

ところで、テレビ云々のくだりは必要か?
著書のなかのインターネット云々のくだりは必要か?

テレビやネットがなくとも、人生なんて、変わる時は変わる。日常生活のなかにだって偶然は満ちている。能動的に変えたきゃ、確かに旅することにも、利があるだろう。そこは否定しない。モノと言葉のくだりなど、とても面白かった。デリダの著作を読んでみたくなったぐらい。
インターネット云々がなくともよい本なのに「検索ワード」に拘っている部分が、インターネットに期待していたことの裏返しに思えてならない。

でも、それで、根本的な解決になるのか。

根本的な問題、とは本書の言葉を借りれば

ここにこそ、人間を苦しめる大きな矛盾があります。ぼくたちひとりひとりは、外側から見れば単なる環境の産物にすぎない。それなのに、内側からはみな「かけがえのない自分」だと感じてしまう。

ことである。
その矛盾を乗り越える、あるいは、乗り越えたようなふりをするためには「環境を意図的に変える」ことが重要であるという。

私の疑問は実はこの「はじめに」のなかの、この部分にある。

この矛盾は、乗り越えられるものなのだろうか。

できない、と私は感じる。
忘れた振りはできても、忘れることはできない。少なくとも私は。
では、どうするべきか。

諦め、受け入れるしかない。
無価値な自分を、憐れむしかない。

これが私の結論である。
環境をいくら変えてみたところで、偶然に積極的に身を任したところで、人間の無価値さは克服できないと思う。環境を自覚的に変えた人間が、人間的に豊かだとも思わない。代わりはいくらでもいる、「外側から見れば単なる環境

の産物にしかすぎない」自分の人生を、どう意味づけし、どのように生きるべきなのか、ということが私の人生の課題なので、著者とは価値観が違うのだろう。
あと個人的には、人生の意味、といったものは「関係性」や「つながり」のなかにあるのではないかという直感があるのだが、これはまた別の話。

最終的な目標(矛盾を克服すべき)への違和感はともかく、本書は面白かった。
エッセイなのでさらりと読めるのも良い。道中で読んでいたが、さらりと読めすぎて、道程の四分の一ぐらいの暇つぶしにしかならなかったけど。

読書録

『弱いつながり 検索ワードを探す旅』
著者:東浩紀
出版社:幻冬舎
出版年:2014年

弱いつながり 検索ワードを探す旅