読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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自立と自炊と家族の食卓

 中学生の私は、早く大人になりたくて仕方がなかった。中学校が好きではなく、中学一年生のGW開けには、すでに一刻も早く卒業したかった。早く大人になって、実家の家を出たかった。そして一人暮らしというものをしてみたかった。自分の生活を自分で運営してみたい。高校時代は、暗黒な中学時代とは一転、とても楽しく毎日を過ごしたが、それでも早く大人になりたいという気持ちは変わらず、進路選択の際に、地元から1000キロほど離れた地方都市にある大学を選んだ。高校の友人の多くは地元の大学か、もしくは東京の大学を目指しており、私の選択は少し驚かれた。一度だけ母親から「東京の大学にしたらいいのに、そうしたら時々、様子見に行ったり掃除しに行ったり出来るのに」と言われ、私は自分の選択が正しかったことを確信した。両親のことは好きだったが、新しい生活に介入して欲しくはなかった。

 こうして18の春、私は実家を出た。

 不思議なほどホームシックにはならなかった。大学の同級生のうち半数以上は、私と同様、実家を出て通っていた。同じような境遇の友人たちと、時間を気にせず学び遊ぶのは楽しかった。実家には年に一回、帰省するかどうかだった。
 はじめての家事も苦にはならなかった。自分の身の回りの家事なんて、いくらでも手を抜くことができた。部屋が散らかっていても、誰にも怒られない。食べたいものを作り食べる。作るのが面倒くさければ、外食するなり、スーパーで惣菜を買えばよい。気楽なものだった。そしてその気楽な生活は性にあった。
 そのうち働くようになった。就職先の職場は映画館もない地方の小さな町で、借りたアパートは44平米の2DK、家賃は4万円だった。築年数はそれなりだが、内装はキレイだった。寝室にスチールラックの本棚を置いた。好きな本を並べた。仕事は大変だったが、やりがいがあった。新しい友人もできた。一年働いて貯めた貯金で中古の普通車も買った(それまでは大学の先輩に譲ってもらった軽自動車に乗っていた)。あれ、もしかして、私今、幸せなのでは、と思ったりもした。

 しかしあれほど焦がれた一人暮らしも、日常になれば、ただの生活に過ぎなくなる。そのうちに、自分のためだけに生きることーー自分のために働き、食事を作り、それを食べる生活ーーに飽きてしまい、結婚した。私は自分でも呆れるほどに飽き性である。実家を出た日から9年が経っていた。

 一人暮らしが二人暮らしになった。新しい日々は、大して変わらないようでもあり、しかし、大きく変わったようでもある。朝起きて、仕事へ行き、帰り道にスーパーに寄り、夕食をつくり、それを食べ、眠る。週に3日洗濯機を回し、週末には掃除をする。時々、布団カバーを洗ったり、季節家電を出し入れする。
 そんな毎日で、変わったことの筆頭は食事である。好きなものを作り一人で食べる生活から、作ったものを食べてもらう生活に変わった。献立、というものを意識するようになった。自炊の際は、冷蔵庫の中身を適当に炒めたり煮たりすることが多かった。大量の野菜炒めを作り、ビールを飲みながらひたすら食べる、という感じだった。もちろん今も冷蔵庫の中身で適当に作ることも多々あるが、結婚から一年ほど経ち、そればかりではダメなのではと思い始めた。もっと名前のある料理を作りたい。常備菜のレパートリーも増やしたい。そして何より、自分の家族には栄養があり、美味しいものを食べて欲しい。

 実家の母の料理は美味しかった。一汁四菜も五菜も食卓に並んでいた。実家には料理本やレシピの切り抜きを挟んだファイルが並んでいる本棚があった。母はよく、それらの本やファイルを机に広げ、一週間の献立に悩んでいた。母の苦労がようやく分かってきた。
 レシピ本を買おう、と思った。自炊は自己流だったので、出来るだけ基本的なことが載っている本を買おう。料理用のノートとファイルも用意しよう。私達の家族の食卓の形はまだ定まっていない。これから何年もかけて、日々の食事を重ねることで、形作られていくのだろう。きっと両親も手探りで、私を育てた食卓の形を作り上げていったのだろう。私達の家庭が将来どのような形になっているのかは分からない。しかしその将来の食卓が、ささやかでも幸せな場所となれるように、今出来ることを少しずつやってみよう。

#わたしの自立

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