読書録 本読みの貪欲

地方在住三十路女の読書日記。趣味が読書と言えるようになりたい。本のほかには犬と魚が好き。

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『プラハの墓地』ウンベルト・エーコ【読書感想】

 ウンベルト・エーコ著『プラハの墓地』を読みました。

 ウンベルト・エーコといえば薔薇の名前で有名なイタリア人作家。著者紹介では「記号論学者」という紹介がされることが多いが、私は彼の学術的な功績を知らない。ボローニャ大学の名誉教授であったそうだ。2016年に亡くなっている。多くの著書が日本語にも訳されているが、私が読んだことがあるのは『薔薇の名前』のみであった。それも、下巻を三分の二ほど読んだところで挫折してしまったので、何も語れない。そこまで読んだのなら、最後まで読めばよかったのにと自分でも思う。
 挫折経験のある著者の本を読むときは、少し身構えてしまう。この本もそうであった。最後までちゃんと読み通せるだろうか。しかしせっかくの長期休暇だ。苦手意識のある本、長い本を読むのにはもってこいの日和である。

 覚悟を決めて、読み始める。パリの裏町の長々とした描写にさっそく挫かれそうになる。路地を歩くように読み進めると、一件の小道具屋に行きつく。店内に入る。雑多なものが置かれている。エナメルが剥がれた振り子時計、色の褪せたクッション、割れた陶器の子天使が付いた花瓶台、などなど。さらに店内を進む。ドアを通り抜け、階段を上がる。すると広い客間に出る。窓際に置かれたテーブルに向かい、一人の老人が腰かけている。

 肩越しに覗き込んでみると、老人は何か書きだそうとしているようで、私たちはこれからそれを読んでいくことになる。〈語り手〉は〈読み手〉を退屈させないように、時にそれを要約するだろう。

 こうして物語は〈語り手〉による導きのもと始まっていく。私たち〈読み手〉は、この〈語り手〉と共に、この老人が書き出した日記を読み進めることになる。

 老人の名をシモニーニという。日記を読みだしてすぐに、この老人シモニーニの「憎悪」に圧倒される。彼はユダヤ人をはじめ、ドイツ人、フランス人、イタリア人、イエズス会士、フリーメイソン共産主義者、女たちを憎んでいる。自分以外みんなクズ、とでもいうような書きぶりに嫌悪感を覚えた。さらに読み進める。するとこの老人が混乱の真っただ中にあることを私たち〈読み手〉は知る。どうやらこの老人、記憶に混乱があるようで、一昨日の記憶が丸一日ないらしい。そして何故か部屋には彼が憎んでいる聖職者の僧服と栗色の毛のかつらがあった。シモニーニは「自分が誰だかはっきりしない感覚」に襲われていた。
 シモニーニは自分が誰かということを探る(思い出す)ために、日記を書き、それを私たち〈読み手〉と〈語り手〉が読んでいるのだ。
 私たちはシモニーニの人生を追体験し、彼が何者で、何をしてきたのかを解き明かす。
 シモニーニの記憶を探る旅は一筋縄ではいかない。もう一人、日記の書き手が現れるのだ。ダッラ・ピッコラ神父。シモニーニの記憶が不在のときに現れるダッラ・ピッコラ神父とは何者か。シモニーニの第二の人格なのか。彼は時にシモニーニの記憶を否定し、シモニーニの記憶にない事柄を日記に書き記していく。

人間社会に絶望できる娯楽小説

 読み進めてすぐに、主人公シモニーニがどうしようもない悪党であることがわかる。ではこの本はピカレスク・ロマンなのかといえば、そんな読後感ではない。ピカレスクロマンの主人公に備わっているべき漢気や責任感、仲間意識というものがシモニーニには徹底的に欠けている。それでもこの本は抜群に面白い。一晩で読んでしまうような娯楽性がある本ではないが、挫折しそうだったのは冒頭部のみで、その後は毎日少しずつ飽きずに読むことができた。
 シモニーニには天賦の才があった。他人の書体を真似、偽書をつくる才である。彼は偽の契約書や証明書をつくることを商売としていたが、やがて政治的な陰謀に巻き込まれていくことになる。時は19世紀。彼の生まれたイタリアや後に過ごすこととなるフランスでは、革命の嵐が吹き荒れ、陰謀やら政治工作やらが水面化で繰り広げられていた。シモニーニはそんな魑魅魍魎が跋扈する世界を、偽書づくりの才能と倫理観の欠如という武器を持って、生き抜いていく。

 そしてシモニーニの人生は、「シオン賢者の議定書」と呼ばれる史上最悪の偽書(捏造と判明後もナチのホロコーストの根拠とされ、一部ではいまだに読み継がれているという反ユダヤ主義の書)の創作につながっていく。 

 この本は歴史小説である。主人公シモニーニ以外の人物のほとんどが実在の人物で、その言動も歴史資料に即したものであるらしい。背景知識がなさ過ぎて読みづらいところもあったので、読後、世界史の本(『もういちど読む山川世界史』)を読んだのだが、その中に『プラハの墓地』に出てきた登場人物たちの名前がしっかりと書かれていて、少し感動した。
 著者は歴史小説であることを存分に意識し、細心の注意力を持ってこの小説を構成したという。しかし私は一種のミステリーや、スパイ小説としてこの本を読んだ。娯楽小説として読んだ。それでも十分に面白い。人間社会に対するアイロニーにあふれている。陰謀というものがどのようなものか、暴動というものがどのように引き起こされるのか、そんな現代の社会を見るために有用な視点も盛り込まれている。シモニーニに偽書づくりを依頼したロシア人の顧客は言った。

民衆に希望を与えるために敵が必要なのです。愛国主義は卑怯者の最後の隠れ家だと誰かが言いました。道義心のない人ほどたいてい旗印をまとい、混血児はきまって自分の血統は純粋だと主張します。貧しい人々に残された最後のよりどころが国民意識なのです。そして国民のひとりであるという意識は、憎しみの上に、つまり自分と同じでない人間に対する憎しみの上に成り立ちます。市民の情熱として憎しみを育てる必要があります。敵は民衆の友人です。自分が貧しい理由を説明するために、いつも憎む相手がいなければなりません。

 為政者たちは、人々の弱さや愚かさに付け込んで民衆をコントロールしていたのだ、ということが印象的な一文だ。このような皮肉がこの小説には随所に埋まっている。そして「史上最悪の偽書」がイデオロギーや理想のためではなく、単なる金儲けと保身のために書かれたという「フィクション」はいかにもありそうで、そしてそんな小悪党の小遣い稼ぎによって、多くの人が扇動されて、人々が憎みあっているのだとしたら、ほんと人間社会ってなんなんだろうなという気持ちになった。
 面白い小説だけれども、『プラハの墓地』を読むと、人間や人間社会に対して、軽く絶望できます。おすすめ。