読書録 地方生活の日々と読書

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2020年ゴールデンウィーク読書計画【読書日記】

 2020年のゴールデンウィークが始まった。とりあえず毛布を仕舞うために洗うべくコインランドリーへと車を走らせる。ここ数日車に乗りこむと暑いと思うことが増えた。すっかり春である。家族とはそろそろ扇風機を出そうかなんて話もしている。今日も天気は良い。出かけるのにはもってこいの陽気である。
 もちろんこのコロナウィルスの猛威が吹き荒れるこのご時世、どこかに出かけるということはせず、おとなしく家で過ごしている。ガソリンが安い、100円を切っているとはいうが、家と職場との往復では全然ガソリンが減らない。
 このブログを読み返してみると、去年も一昨年もゴールデンウィークは家で本を読んで過ごしていた。引きこもりの私には普段と何も変わらないゴールデンウィークである。

 さて何を読もうか。今年の読書目標はトルストイアンナ・カレーニナを読むことである。光文社古典新訳文庫で読もうと思っていたのだが、近所の本屋には置いてなく、図書館にも置いていないので手元にない。ネット書店で頼もうとも思ったがどうにも気が乗らない。そもそも我が家の本棚の在庫状況を考慮すれば、電子書籍で買うべきではあるのだが、世界的な名著と名高い本書は、「本」という現物で持っておきたい。この気持ちは見栄なのだろうか。
 とりあえず先日読み終えたプラハの墓地』(ウンベルト・エーコ著)に引き続き、少し前の早川書房のセール時に電子書籍として買った『三体』(劉慈欣著)を読んでいる。現代中国SFの大作として有名な本だ。これが面白い。今、七割ほど読んだところだが、残りも一気に読んでしまいそうだ。

 『プラハの墓地』も『三体』も人間や人間社会に対する絶望を扱っている小説である。
 『プラハの墓地』は絶望を引き起こす側の人間、自らの保身のために偏見にまみれた偽書を作る小悪人を主人公にして、社会の内側から絶望的な社会を生み出すメカニズムを書き表した一冊である。対して『三体』は、もう少しわかりやすく、社会に絶望した登場人物の目線から社会を書き出した小説である。
 絶望というものは小説の題材として適しているのだろうと思う。
 救いようのない物語というものは、意外と世の中にたくさんあるのだろう。私はあまり読まないのだが、ホラーやスプラッタ小説の醍醐味は、その救いのなさにあるのではないか。人間は本性として救いようのない物語を求めているのかもしれない。それは現実の世界が「救い」というものを用意していないからだろう。もちろん、世界には「絶望」というものも存在しない。ただ勝手に人間が、世界の事象に対し、絶望を見出してしまうのだ。そして現実として感じてしまう「絶望」を中和してくれるものは、「救い」なのではなく、フィクションの「絶望」なのかもしれない。

 フィクションとしての絶望を堪能したのちは、絶望にまみれた現代社会の根源を探るべくノンフィクションを一冊読もうと思っている『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』(ジェームズ・C・スコット)である。出版された当初から気になっていた一冊であるが、ついに我慢しきれず購入。。自分への誕生日プレゼントとして、購入した。3800円。安いのか、高いのかよく分からない値段だ。しかし、ともかく、楽しみ。
 世の中には面白そうな本が溢れている。絶望するには早すぎる。未読の本を前にして、はやる心を押さえながら、そんなことを思っている。

dokusyotyu.hatenablog.com
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