読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

『~果てしない孤独~独身・無職者のリアル』 関水徹平・藤原宏美

スネップ、という言葉がある。というか近年開発された。本書は、そのまだ新しい概念「スネップ(孤立無業者)」を、実例を交えて解説、紹介する本である。

スネップ(SNEP)とは、経済学者の玄田有史教授が提唱した言葉で、文字通りには、孤立した(Solitary)、無業の(Non-Enplyed)人々(Persons)を指します。より詳しくは「20~59歳の、結婚したことがなく、学生でもなく、家族以外の人付き合いがない、孤立状態にある無業者」と定義されます。   (p12)

スネップという言葉、はじめて聞いた際は「また、新しい言葉を作って……」と思った。
新しい概念・言葉を作ればいいってもんでもないだろう、新しい言葉を作って有名になりたいだけじゃないの、と。
同じような疑問を持つ人も多いのだろう。
冒頭部にこのような言葉がある。

多くの人は「また新しいネガティブなカタカナ語が現れたか」といった印象を抱くのではないでしょうか。ですが、どの言葉も各時代で必要に迫られて生まれてきた言葉です。   (p3)

著者らは、社会全体で考えてはいかなければいけない問題、と主張する。
それはそうだ。年金を払えないスネップたちは、いずれ生活保護に頼らざる得なくなるだろう。
労働人口が減少する日本で、150万人以上もの労働力が眠っているのはもったいない。
それにミクロな視点で見ると、現在社会に生きる私たちは、誰もがスネップ状態に陥ってしまう可能性があるのだ。

はじめに
第一章 スネップの登場とその社会的背景(関水撤平)
第二章 スネップ・潜在的スネップの現実(藤原宏美)
第三章 コミュニケーションと孤立(関水撤平)
第四章 15年のひきこもり支援から見たスネップ問題(藤原宏美)
あとがきにかえて

スネップな人生

最も読み応えがあるのは、実際のスネップ状態の人を取材した第二章である。
四人の人々の人生が描かれており、スネップと一言で言っても様々な背景があることが分かる。

ケース①一つの仕事だけでは生きていけなくなる時代

ケース①は、スネップ予備軍として49歳の男性を取り上げる。文学部の博士過程在籍後、私立中高一貫校の国語教師となるが、ストレスにより退職。その後、予備校教師として働くが、加齢と共に、任されるコマ数が減り、現在は家庭教師との二足のわらじで生活している。両親は他界、一人っ子できょうだいはいない、友人もいないという。

ケース②職場のパワハラにより退職。実家に帰っても居場所がなかった

ケース②は47歳の女性。22年間勤めていた職場のパワハラにより躁鬱病を発症。北海道の実家に帰るが、両親の理解が得られず、家族の中でも孤立している。現在は一年間契約の嘱託職員として役場で働く。来年以降の見通しは立たない。

ケース③耐えられるのは友人のつながりと貯金があるから

ケース③は毛色が違う。49歳の男性は五年間ほど失業中だが、孤立していない。週に一度のスポーツサークルと、地元の友人とのつながりがあるのだ。両親と兄姉ともつながりがある。ブラック企業で勤めていた際の貯蓄2000万円を切り崩しつつ生活をしている。優雅な生活、とも見えなくもない。

ケース④公務員試験浪人から引きこもりに

ケース④の37歳の男性は典型的なスネップである。真面目な彼は、昔からコミュニケーションが得意ではなかった。民間企業では苦労するだろうと思い、猛勉強の末公務員試験を受けるが、面接で不合格。翌年、翌々年…と試験を受けるが、結局6年連続不合格の末、引きこもってしまう。一念発起し32歳で初就職を果たすが、同僚とのコミュニケーションがうまくとれず退職、二年半で再び引きこもりに。しかし彼からは焦りを感じられない。諦めの境地だろうか。

学校・企業・家庭の三位一体が崩れるなかで

本書には、学校・企業・家庭の三位一体という言葉が出てくる。
戦後、半農業国だった日本が経済大国になるにつれ、我々を半強制的に続いていた地縁・血縁が社縁に飲みこまれた。
経済成長が続くうちはそれでもよかった。

人びとは、「安定した生活」という共通の目的のために、「正社員=夫」「主婦=妻」「生徒=子ども」という役割を、おたがいに演じ合い、学校・企業・家族の三位一体というしくみをつくり上げていたのです。   (p117)

しかし社縁は脆い。現在、安定した企業に入って安定した人生を送るなんて、幻のようなものだ。
社縁は解体し、個人化が進んだ世界に私たちは生きている。
しかし、というか、だから、というか、個別化が進むからこそ、私たちは幻の安定をつかもうと右往左往する。
「就活」に、「婚活」に、私たちは必死になる。
誰もが安定した生活を得られないから、だからこそ椅子取りゲームに必死になるのだ。
ようやくやく座った椅子が、砂でできていても、座れないよりマシである。
何故ならそこには、つながりがあるから。
個別化が進むにつれ、つながりの重要性はますます大きくなった。
以前は個人が努力せずとも地縁・血縁・社縁によって人と人とはつながれていた。
今はそのつながりを個々人で作らなければならない。
そうしなければ、何かあった時、例えばある日突然病気になり会社を辞めざるおえなくなった時、個人化した個人はあっという間に孤立してしまう。

そこで第4章では、ひきこもり支援としてつながりを作るサポート事業の紹介をしている。
人とのつながりが生きる意欲に繋がる。
そして生きる意欲が勤労意欲に繋がるのだ。

スネップ時代の生存戦略

本書を斜め後ろから穿ってみると、この時代に個人がとるべき戦略が透けて見える。
もちろん著者らの狙いはそこではないだろう。
以下、私が勝手に考えたことである。

まず前提として、人は誰もがスネップ、孤立無業に陥る可能性がある。
そして孤立無業は生きる意欲を削ぎ、あまり望ましい状況ではない(議論の余地はあるが)。
とすれば個人としては、孤立無業になる可能性を減らすような戦略をとるべきである。

すると結局は「安定したアットホームな会社に入り、結婚をし両親義両親とも仲良く過ごし、ご近所付き合いや学友を大切にしつつ、社会人サークルやボランティアなどで社外の人との交流を作る。いつ首を切られてもよいように貯蓄をし、病気・怪我の可能性を考慮し年金は払い、慎ましく暮らす」という前時代的というか、無難というか、無茶な方針が見えてくる。さらに付け加えると「ご近所のニート・スネップさんとも仲良くしましょう」、か。
うーん。よく分からない。
人と付き合うよりかは本を読んでいたい自分には無理な気がする。
私を含めスネップ予備軍は、今の社会にいくらでもいるのだろう。

読書録

『~果てしない孤独~独身・無職者のリアル』
著者:関水徹平・藤原宏美
出版社:扶桑社
出版年:2013年

久しぶりに読んだ扶桑社の新書。
見開いた時の右ページ一番左の行と左ページの一番右の行の間が、他社の新書に比べて狭い気がしたが、どうなのだろう。気のせいか?

独身・無職者のリアル?果てしない孤独?