読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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一人暮らしと新聞。

 引っ越してから2ヶ月。新しい町にも徐々に慣れてきた。
 新生活も慣れてしまえばただの日常。新鮮な驚きも日々の煩わしさにかわる。

 そんな日常の日々でちょっと悩んでいることがある。新聞だ。
 一人暮らしの皆さん、新聞は購読していますか。

 当たり前のように購読している方、キオスクやコンビにで時々購入する方、情報収集はネット派ですという方。生活の形だけ新聞との付き合い方もあるだろう。
 現在、私は新聞を取っていない。
 それが何の問題があるのか。問題は私が新聞が好きなことである。では、購読すればよいではないか。そう、購読すればよい。しかしそこに立ちはだかるのは、悲しいかな、低所得という名の壁である。 
 学生時代は、研究室や友達同士でお金を出し合って新聞を購読していた。ちょっと高い研究に関係ある分野の専門誌も友人とお金を出し合うと月千円ほどの負担で済んだ。それを一人で出すとなると、一般紙でも月4千円。
 4千円。池澤夏樹=個人編集 日本文学全集』が買えてしまえる額だ。

 小学校高学年から新聞は読んでいた。12歳の頃どんな記事どんな思いで読んでいたかは覚えていないが、中学生のときに載っていた連載小説についてはよく覚えている。重松清『とんび』だ。それまでにも、それ以降も新聞の連載小説は読んできたが、『とんび』はともかく、面白かった。自分の中でのベスト新聞連載小説かもしれない。ほとんど毎日、ほぼすべての連載をリアルタイムで読んだ。新聞を開くのが毎日楽しみだった。タイミングも良かったのだと思う。『とんび』は突然妻と母を失った父と子の物語。反抗期だった私は、前を向き成長していく父子や二人を囲む暖かな人々の物語に何か感じるものもあったのかもしれない。
 小説を面白く読める時期に、面白い小説を読めた。これは幸運だ。ちなみに『とんび』の前に連載していた小説は渡辺淳一の『エ・アロール それがどうしたの』。老人ホームにおける性愛の物語は、当時の私にはいまいち面白さが分からなかったです・・・

とんび (角川文庫)エ・アロール-それがどうしたの

 そんなこんなで新聞に親しんで早十数年。惰性といわれようがなんだろうが、やっぱり紙で新聞を読みたいなと思うわけです。私も所詮、習慣の奴隷にすぎない。けれど、やっぱり高い。溜まる。かさばる。そもそも毎日読めるだろうか。そう思うとなかなか購読に踏み切れない。
 最近読んだ自己啓発本(竹田恒泰『日本人が一生使える勉強法』)には、新聞は複数取るのがベストだと書かれていた。そんなこと分かっている。昔々、高校でどの新聞が右よりでどの新聞が左よりかということを授業で習ったときのこと。新聞社により一つの事件でも主張は異なる。だから学校の職員室には複数の新聞社の新聞があり、教師はそれらを読み比べている、と先生は言った。高校生の私は、職場でいろんな新聞を読めるなんて羨ましいと思った。赤旗と産経を一緒に購読したら、毎日がちょっと楽しくなりそうだ。

 ちなみに上記自己啓発本では、もし一紙だけ新聞を取るのなら、一般総合誌がオススメだそう。二紙なら主張の離れているものや、一紙を一般総合誌、もう一紙を専門紙やスポーツ紙にするのが良いとのこと。スポーツ紙を勧めているところが面白いなと思った。また一紙を定期購読し、もう一紙はコンビニなどで時々購入するという方法も書いてあった。なるほど。

 さて。改めて自分のお財布と相談してみる。コンビニで購入、図書館へ行く日は図書館で読む、というスタイルに落ち着きそうな予感。

日本人が一生使える勉強法 (PHP新書)