『推し、燃ゆ』(宇佐見りん著)【読書感想】
珍しく文芸誌を買った。河出書房新社の『文藝 2020年秋号』である。河出書房新書のTwitterをフォローしており、そこで今号の特集「覚醒するシスターフッド」を知り興味を持った。「シスターフッド」という言葉は初めて知ったが、惹かれるものがあり買ってしまった。Twitterのタイムラインを眺めていたところ売れ行きも良いらしい。そういえば文藝の特集は2020年春号の『中国・SF・革命』も買おうか迷った。と思っていたら、特集だけ独立して、作品が追加され本になるらしいですね。これもTwitter情報。
シスターフッド特集は対談も収録された小説も面白かった。シスターフッドがフェミニズムの文脈から出てきた言葉であることも、簡単にではあるが理解した。またシスターフッド的な要素をもつ作品の紹介もあり、読んでみたい本が何冊かできた。脳内積読本が増えていく。
「推し」がネット炎上する話
目的だった特集以上に印象に残ったのが、冒頭に掲載されていた宇佐見りんさんの中編小説『推し、燃ゆ』であった。著者の小説を読むのは初めて。文藝賞受賞後第一作目とのことだ。
とある俳優を「推す」ことを生きがいとしている高校生の女の子を主人公とした物語である。社会不適合気味な主人公は、「推し」を「推す」ことでなんとか社会に適合している。しかしそんな自分の背骨の一部となっている「推し」がある日、ファンを殴って炎上してしまう。主人公は戸惑いながらも「推す」ことを辞めないが、「推し」の周囲も彼女を取り巻く風景も、少しずつ変貌していく。
「推しが炎上する話」と聞いたときは(Twitterによる前評判より)、もっと軽い話なのかと思っていたが、読んでみるとこれが結構重い話だった。重すぎて、また、私が主人公と歳が離れていたせいか、読後、まずはじめに思ったことは「主人公が医療か福祉に繋がりますように」ということだった。バッドエンドではなく、前向きな終わり方にも関わらず、である。普通の人の話かと思っていたのだが、もっとギリギリなところに生きている人の話だった。なので全面的に感情移入できたかと言われるとそうではないのだけれども、その極端さの中に確かに共感できるところがあり(特に、あまり向いているとは言えない飲食店のバイトを頑張っているシーンは、自分の大学時代のバイト生活が思い出された)、一気に読んでしまった。個人的には普通の人の物語が好きなので、主人公よりもずっと社会に適合し「普通」に見える(が、闇はそこそこ深そうな)主人公の姉の物語も読んでみたいなと思った。
もちろん「推し」という行為について、「文学」という文脈に沿って掘り下げられているという目新しさもあった。今では毎日のように「推し」という言葉は聞くが(今のところ現実世界でも聞いている)、私が高校生の頃には「推し」という言葉はここまで一般的ではなかったし、10年後には存在しているかどうか分からない。「祭壇」といった言葉や様々なオタクグッズも出てくる。この物語は確かに「今」の物語だ。ネット上の友人との関係の方が、現実での人間関係よりも心地よさそうなところも現代的に感じた。
しかしその一方で、主人公の「推し」への関わり方がしっかりと書かれていることによって、この物語は普遍的なものとなっているように思う。「推し」は現代に生きる個々人にとって、文字通りの「神」なのだなと思った。ちなみに主人公の「推し」へのスタンスはひたすらに「解釈する」というものだ。「推し」を解釈し、その魅力をブログで伝える彼女は、宗教学者や伝道師といったところだろうか。ちなみに主人公の「推し」への情熱が詰まったブログは大盛況らしい。ネットの底辺でこういうブログを細々と続けている身からすれば少し羨ましい。
このように現代に書かれた現代的な小説であるにも関わらず、この小説を読みながら思い浮かんだのは、なぜか倉橋由美子の『聖少女』だった。「いま、血を流してゐるところなのよ、パパ」。時代背景も、主人公を取り巻く状況も、ストーリーも全く違うのに。共通点は、子どもでも大人でもない少女が主人公であること。現実を舞台にしているはずなのに、どこか非現実的であること。それでいて読んでいると生々しい身体感覚を覚えることだろうか。
どちらも単純な大人への成長譚ではない。しかし、誰にも平等に訪れる人生の不安定な一時を、極端な形にせよ切り出して見せることで、読者の心を抉り出すという点ですごい小説であることには違いない。久しぶりに『聖少女』を読み返したくなってきた。
それにしても、文芸誌、読んでみると面白いですね。読めば読むほど、読みたい本が増える魔法の雑誌だ。