読書録 本読みの貪欲

地方在住三十路女の読書日記。趣味が読書と言えるようになりたい。本のほかには犬と魚が好き。

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共働きに救いはあるか?『夫婦幻想--子あり、子なし、子の成長後』(奥田祥子著)

「妻は変わってしまった」「夫に絶望した」--。取材対象者の多くが口にした言葉からは、目の前の現実から目を背け、「幻想」の中にだけにしか夫婦像を描けない男女の悲哀を感じずにはいられなかった。と同時に、苦悩し、憤りながら、それでもなお、夫婦にかけがえのない関係性を求め続ける人間の性に、私は幾度と無く激しく心揺さぶられたのである。 (p9「はじめに」より)

ちくま新書の1冊、奥田祥子著『夫婦幻想--子あり、子なし、子の成長後』を読んだ。新書だがこの本は学術的な本ではない。エッセイでもない。

 本書は、男女一人ひとりについて、最長で20年にわたって継続的に取材を重ねたルポルタージュである。長期間、何度も取材を繰り返し、インタビューデータを分析してテーマごとに類型化した上でそれぞれ典型的な事例を紹介している。定点観測であることに加え、掲載している3分の1は、同じ夫婦の妻と夫に個別に、または夫婦一緒にインタビューを続けてきた事例であることも特徴的だ。 (p10)


 そう、この本はルポルタージュなのである。私のような市井の人々の人生についてのノンフィクションである。しかも著者は各夫婦に対し長期間にわたって取材しているので、ある夫婦の新婚時代から子供が大きくなるまでといった、長い期間の夫婦互いの感情の遍歴を追って記述されている。異色のルポルタージュだ。
 取り上げられている事例数は決して多くはないが、それぞれの夫婦が過ごしてきた年月に丁寧に寄り添うように書かれている。統計処理で相対化されていない生の人生が、ここにはある。

 私はどこか縋るような気持ちでこの本を手に取った。

 結婚して2年が経った。まだ2年、もう2年。私は昔から、将来に対する漠然とした不安がある。就職しても、結婚しても不安は消えない。不安をあえて言語化すると—子供が欲しいが授かれるだろうか、子育てと仕事の両立が出来るだろうか、遠方で暮らす両親の今後の生活は大丈夫だろうか、地方民だが家は賃貸か買うべきか、夫に転勤はないだろうか、いつまで健康に働けるだろうか、50年後の老後の生活はどうなるのたろうか、夫とはこれからも仲良く暮らしていけるだろうか--
 言語化したところで悩みは尽きないし、未来予知が不可能な以上、悩んでも仕方がないことで悩んでいる。悩んでも仕方がないことで悩んでいるのは、私の、私の家族の将来の姿がどう頑張ってもイメージできないからだ。
 それでもどこかに救いはないだろうか、と思う。救い、いや、正解というべきか。誰かに正しい人生のレールを教えてほしい。私たち夫婦は今後も共働きを続けていくつもりであるが、それが正しいことであると誰かに言ってほしい。現代の自由は、ときどき重い。

 夫婦のあるべき姿、私が、私たち夫婦がとるべき夫婦の形を求めて、この本を開いた。
しかし、夫婦のあるべき姿というものは勿論どこにもない。幻想だ。この本に取り上げられた夫婦を追うだけだけでも、世の中にはさまざまな夫婦の形があることが読み取れる。入籍の有無、妻の仕事の有無、子供の有無--夫婦と一言でいっても、その内幕は多様である。そこに正解不正解はない。それぞれの夫婦はそれぞれに問題を抱えており、苦悩し、それでも時を味方に前に進んでいる。時には「卒婚」という選択肢も視野に入れながら。

 この本にはあるべき夫婦の姿も、コスパの良い、正しい人生の送り方も書いていない。けれども読み進めるうちに、この本の暗中模索しながらも前に進んでいこうとしている人びとの、夫婦の姿に勇気づけられた。共に前に進んでいくきっかけとなったのが、夫婦のコミュニケーションであるケースが多いことにも気がついた。夫婦は他人である。分かり合うには、共に進んでいくには会話を重ねるしかないのだ。

 自分自身の生活を振り返る。会話は足りているだろうか。ちゃんと自分の感情や考えを夫に伝えているだろうか。言っても無駄だと諦めていないだろうか。諦められてはいないだろうか。
 私たちはこれからも正解のない人生を、歩いていかなければならないのだから。

はじめに
第1章 「活躍」妻と「イクメン」夫の冷戦
第2章 大黒柱と内助の功という虚像
第3章(恋人夫婦)の憂鬱
第4章羽ばたく妻と立ちすくむ夫
第5章(幻想を超えて
あとがき
参考文献

夫婦幻想 (ちくま新書)

夫婦幻想 (ちくま新書)