読書録 地方生活の日々と読書

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ディストピア小説を読む 『消滅世界』村田沙耶香著【読書感想】

 村田沙耶香著『消滅世界』を読んだ。何が消滅した世界の小説なのか。帯にはこうある。

世界から家族、セックス、結婚…が消える

 舞台は人工授精技術が進み、セックスではなく人工授精技術で子供を生むことが普通になった、パラレルワールドな日本(近未来の日本を書いたSF小説、と思いながら読んでいたが、平行世界とのこと。小説中の「戦争」を第二次世界大戦ではなくて、第三次世界大戦(?)か何かだと誤読してた…)。

そこでは、夫婦間の性行為は「近親相姦」とタブー視され、「両親が愛し合った末」に生まれた雨音は、母親に嫌悪を抱いていた。(裏表紙より)

 「交尾」で繁殖する人間がほとんどいなくなった世界。夫婦間でセックスすることがなくなった世界。そこでは夫婦のあり方が変わる。例えば婚外恋愛は普通のことであり、夫婦とそれぞれの恋人4人で出かけたりする。セックスをしたことがない既婚者も増えている。結婚の意義も薄れており、未婚化も進んでいる。結婚せずに子供を持つという選択肢が現実的なものとしてそこにある。そもそも若い世代では、恋愛自体も時代遅れなものとなっている。

 そんなSFな世界を生きる一人の女の話である。
 これが面白い。主人公の雨音は、こんな世界において、恋愛してセックスをする女であった。婚活し、結婚もする。そして世界の常識と、自分の生き方がズレていないか、自分の人生が「正常」かどうかを、常に気にしながら生きている。彼女の生きる世界では、「家族」という絶対的に思われているような「常識」が、変化の真っ最中である。社会全体で子育てをするということで、子供は施設で育て、すべての市民が、すべての「子供ちゃん」の「おかあさん」となる実験都市もできた。

 ディストピア小説、と思いながら読んだが、著者のインタビュー(週間読書人ウェブ「村田沙耶香インタビュー たやすく変わりゆく世界のいびつで純粋な人を描く 『消滅世界』(河出書房新社)刊行を機に」)によるとユートピア小説らしい。確かに家族の形の多様性が増した世界、という意味でそこはユートピアである。結婚や恋愛で悩んでいる人にとっては、生きやすい世界だろう。しかしその世界は、自分がどんな「家族」を築くのか、選択を迫られる世界でもある。
 もし私がこの世界に生きていたらーー結婚をしなくても良い世界に生きていたらーー結婚していただろうか。家族を作っていただろうか。今でさえ、何で結婚したのだろう、とふと疑問に思うことがある。経済的に安定するから、子供がほしいから、といった理由は思い浮かぶが、では、経済的に不安がなければ、結婚しなくても子供を産み育てることが普通の世界だったら、私は夫と結婚しただろうか。
 私たちの生きる現代社会も、家族や結婚の形は常に変化している。読後、映画犬神家の一族を観たのだが、そこに描かれた戦後の日本の家族のあり方と現在の家族のあり方の違いに驚いた。私たちの世界の「正常」も常に変化しているのだ。良いことなのか、悪いことなのかは分からない。しかし変化するものとして、そこにあるのだ。

 村田沙耶香さんの本を読んだのはコンビニ人間に次いでまだ二冊目である。両者ともに、「正常」と「異常」の間で困惑し、それでも意志を持って自分の人生を生きていく女性を描いたものであった。そしてその結果のオチの異様さを含め、独特の魅力をもつ小説たちである。他の作品も読んでみたい。

dokusyotyu.hatenablog.com

消滅世界 (河出文庫)

消滅世界 (河出文庫)

三宅唱監督『きみの鳥は歌える』【映画感想】

三連休の初日。映画『きみの鳥は歌える』を観るために、久しぶりに電車に乗った。住んでいる町では上映していなかったので、大阪まで足を伸ばしたのだ。シネマート心斎橋。観光客で溢れかえる商店街を抜け、ビルの上にある映画館に入る。

本作は、函館の小さな映画館シネマアイリスから生まれた佐藤泰志原作映画の4作品目だ。シネマアイリスには、何度か行ったことがあるが、本当に小さな映画館だ。普通のアパートの一階にあり、見た目は全く映画館っぽくない。初めて入ったときは本当に入っていいものかどうか、ドキドキした。また機会があれば行きたい。函館、遠いなあ…

さて。映画の舞台は現代の函館。映画のチラシにはこうある。

函館郊外の書店で働く「僕」と一緒に暮らす失業中の静雄。「僕」と同じ書店で働く佐知子が加わり、3人は、夜通し酒を飲み、踊り、笑いあう。だが微妙なバランスのなかで成り立つ彼らの幸福な日々は、いつも終わりの予感と共にあった。

映画はこの文句の通りの内容であった。微妙なバランスの上に成り立つ三角関係。しかし物語には「告白して付き合う」といった形式を踏んだ恋愛は全面には出てこない。それでも3人の力学は物語が進むにつれて、少しずつ変化していき、そして結末を迎える。

物語全面を通して、劇的なイベントは起きない。ささいな、どこにでもあるようなエピソードが重なっていくだけの映画である。しかし、気がつけばこの映画に引き込まれていた。
それは役者の演技の賜物であり、カメラは彼らの表情をこれでもかというくらい大写しにする。その近さは、その場にいて彼らをすぐそばで見ているかのようであった。まるで、一人称の小説を読んでいるかのような映画体験であった。特に、3人がクラブで遊ぶシーンの長回しでは「僕」の目として、友人らを見ているかのように思えた。

すごい「体験」だった。
この体験は、映画でしかできないこと、の、ひとつの答えではないかとも思った。

好きなシーンは3人で宅飲みするシーンと、上記のクラブで遊ぶシーン。本当にどこにでもいる若者が、精一杯に今を楽しんでいるシーンだ。これが本当に楽しそうで。夜通し遊べる体力のあった自分自身の学生時代を思い出した。わたしにも、この瞬間が永遠に続けばいいのに、と思えた時が、確かにあった。

映画は1時間46分で終わってしまった。しかし映画の中の3人の物語は終わらない。今後3人の関係はどうなって行くのだろうか。それもすごく気になっている。

原作は未読。河出書房から文庫が出ているので今度買おうと思う。

↓以前観た&読んだ『そこのみにて光輝く
dokusyotyu.hatenablog.com

関西人ですが『東京防災』買いました

今週のお題「わが家の防災対策」

先日の台風はすごかった。台風通過日は、仕事を早退して、雨戸を締め切った部屋に籠っていた。

お昼過ぎ。風は一層強くなり、部屋が揺れた。雨戸には何か重いものが当たる音が幾度かし、外の様子が気になったものの雨戸を開ける訳にもいかず、集中できないままに小説を開いていた。
と、いきなり、目の前が真っ暗になった。停電。真っ暗というのは比喩ではない。雨戸を閉めきった部屋には光源がない。風の音が唸る部屋の中、懐中電灯を探す。つける。懐中電灯は強力なLEDライトのはずだったのだけれど、その光は台風の中、とてつもなく心細かった。
さて、どうしようか。停電になると本すら読めないのだ。何故か電子書籍であるキンドルも不調で使えない。とりあえず、水道が止まっていないことを確認し、ガスの元栓をきった。本当であれば、停電した時点でブレーカーを落とすべきだったのだけれど、当時はその知識はなかった。
外部の情報が気になった。停電の前は、テレビで台風のニュースを流しっぱなしにしていた。情報を得たところで、台風が去る訳ではない。それでも情報から遮断されると、不安だった。普段どれほど「情報があること」に依存しているのか身に染みた。部屋にはラジオがなかった。

夕方。台風が去った。雨が止み、風が収まった。停電は回復していない。少し不安だったが、雨戸を開けた。外は明るかった。隣の家の壁が飛んで無くなっていた。近所の人の声が聞こえた。フロントガラスが割れた、屋根が飛んだ、猫がいなくなった。露天の駐車場に止めていた車を見にいった。何やら固く四角い物が当たったらしく、車の屋根が凹んでいた。夜、職場に留まっていた上司からガラス屋根が落ちた、シャッターが壊れた、という連絡がきた。それでも被害といえる被害はそのくらいで、身内や知り合いの怪我もなかったのは幸いだった。停電は結局その日は回復しなかった。私たち夫婦は一晩の停電にも耐えられず、車で30分ほどの距離にある、停電しなかった義実家宅にお世話になった。

そして台風が過ぎたと思ったら北海道で大地震だ。いやでも災害に対する意識が上がっていた。

そんな折り、普段仕事帰りによく寄る本屋で見つけたのが『東京防災』だ。この本の存在はインターネットを通して知っていた。さすが東京はすごいなあ、全戸配布かと思ったのを覚えている。
それが普通に関西の田舎町の本屋に並んでいるとは。『東京防災』は、A5サイズの黄色い冊子であった。「小」冊子ではない、冊子だ。300ページ以上もある。値段を見ると140円。パラパラと捲ると、『東京防災』のタイトルに反して東京以外でも役に立ちそうである。思わず、購入。


↑厚い!

家に帰って、改めて読んで驚いた。とにかく詳しい。「大震災シュミレーション」といういざ地震が起きた時にどのように身を守るべきなのかということから、食器やハエ取り器の作り方、ロープの結び方といったその後のサバイバルに役立つ知識、さらにその後の生活再建に向けての行政手続きの方法まで、しっかりと書かれている。災害自体も大地震だけではなく、大雨暴風や火山噴火といった天災やテロ・武力攻撃、感染症について記述されている。

もちろんこの本に書いてあるような防災対策は、インターネットで調べると簡単に知ることができるだろう。しかし災害時には、情報、とくに信頼できる確かな情報は、何にしても貴重であることが、先の台風を通して身に染みた。インターネットから隔離された際、この冊子は何にもまして、お守り代わりになってくれるだろう。

防災・減災の第一歩は、まずは知ることだ。この本を家族で読み込もう。備蓄品を見直そう。地域のハザードマップを確認しよう。それからラジオとソーラーパネル式のモバイルバッテリーを買おう。
いずれ私の住む町は、東南海地震でめちゃくちゃになるだろう。その時に生き残るために、できることをやっていこう。