読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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2019年2月読書まとめ 読書メーターより

 2019年2月は久々に集中して本を読んだ。学生時代と同じくらい読んだのではないかとさえ思う。小説を中心に、積読本や読みかけ途中の本なども順調に読了することができた。このブログも自分にしては結構更新したと思う。
 私は趣味のない人間であり、そのことをコンプレックスにも思っているのだけれども、このペースで本を読んでいるのならもはや「趣味=読書」と胸を張って言っても良いのではないか、ということも考えた。子供の頃は「趣味は読書です」と堂々と言うことが出来たのに、今やその言葉を発言する際には言い訳をしているかのような後ろめたさ、恥ずかしさが伴っている。読書の世界は広大で、私はまだ広い読書の海について何も知らない。私は本は基本的には何でも読むが、裏を返せば、こだわりがない、専門がないということである。趣味に特有の熱狂を、私は本に対して持っていないのである。それでも私は時間があれば本を読む。これまでそうしてきたように、これからもずっと。

2月の読書メーター
読んだ本の数:13
読んだページ数:4335
ナイス数:41

タタール人の砂漠 (岩波文庫)タタール人の砂漠 (岩波文庫)感想
人生と時の流れの早さについての小説。
読了日:02月03日 著者:ブッツァーティ
国境の南、太陽の西 (講談社文庫)国境の南、太陽の西 (講談社文庫)感想
村上春樹の中編小説。自分の一部が欠けている気がしている主人公と、その欠けている部分を埋めてくれるような気がする小学校時代の同級生。偶然か必然か、大人になってからの再開と37歳の精神的不倫。
読了日:02月05日 著者:村上 春樹
禁断のレシピ禁断のレシピ感想
圧倒的カロリー、そして、重量感。食べたら美味しいのだろうなと想像しながら楽しむ本。間に挟まれるちょっとしたエッセイが楽しい。
読了日:02月06日 著者:枝元 なほみ,多賀 正子
人形(ひとがた) (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)人形(ひとがた) (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)感想
早川ポケミスの一冊。サスペンス小説なのだけど、怖い。舞台は犯罪歴のある患者を収容する精神医療施設。どこからともなく流れてくる幽霊話。不審な患者の死。そして嘘。誰もが嘘をついている。怖い。けれども俗に言うように、幽霊よりも怖いのは生きている人間である。そんな一冊。
読了日:02月07日 著者:モー・ヘイダー
桜宵 (講談社文庫)桜宵 (講談社文庫)感想
香菜里屋シリーズ2冊目。やっぱり面白い。
読了日:02月10日 著者:北森 鴻
有田川 (講談社文芸文庫)有田川 (講談社文芸文庫)感想
主人公千代の一代記。一人の人間の生涯を追った一代記が好きだが、そのなかでもこの物語は不思議な魅力があり、一気に読了。一方で、学生の頃に読んでたら、この本の魅力に気づかなかったのではないか、とも思った。歳をとってから読むと、また別の魅力が見つかりそうな気もする。長く付き合っていける物語だ。著者の他の本も読んでみたい。
読了日:02月14日 著者:有吉 佐和子
花の下にて春死なむ (講談社文庫)花の下にて春死なむ (講談社文庫)感想
北森鴻さんの香菜里屋シリーズ一作目。再々読だが面白い。ミステリ短編集。
読了日:02月15日 著者:北森 鴻
帰還兵はなぜ自殺するのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)帰還兵はなぜ自殺するのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)感想
戦争にて心を壊されてしまった帰還兵たちのその後に迫ったノンフィクション。兵士本人だけではなく、兵士の家族たちも、やりきれない日常を送っているという現実が胸に迫る。国同士の戦争が終わっても、彼らの戦争は終わらないのだ。
読了日:02月15日 著者:デイヴィッド・フィンケル
アメリカ死にかけ物語アメリカ死にかけ物語感想
昨年より少しずつ読み進めて読了。陽の当たらない場所に生きる人々にスポットを当てたノンフィクション。普段メディアでは取り上げられないアメリカの素顔のひとつが、リアリティを持って立ち上がってくる。今の私には、アメリカという国も、この本も、どのように評価して良いのか分からない。この世には、理想郷などきっとないのだろう。しかし私たちは、この世で生きていかなければならない。
読了日:02月16日 著者:リン・ディン
幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)感想
有名SF小説。地球にやってきたオーバーロードホモ・サピエンスの未来についての物語。
読了日:02月16日 著者:クラーク
歯と爪 (創元推理文庫 163-2)歯と爪 (創元推理文庫 163-2)感想
1955年に書かれたミステリ小説。
読了日:02月17日 著者:ビル S.バリンジャー
引き潮引き潮感想
海洋小説。『宝島』の著者スティーブンソンとその義息である方の書いた物語なので、子供向けなのかなとも思ったが、そんなことなかった。迫り来る危機を勇気と知恵を持って解決するという物語ではなく、登場人物たちの心理と、状況によって変わりゆく微妙な人間関係に重点を置いた作品。250ページほどの短い作品ということもあり、あっという間に読了してしまった。面白い。
読了日:02月19日 著者:R・L・スティーヴンスン,L・オズボーン
螢坂 (講談社文庫)螢坂 (講談社文庫)感想
香菜里屋シリーズ3作目。ビアバーを舞台にした短編集。シリーズの中で一番面白いと思う。
読了日:02月25日 著者:北森 鴻

読書メーター

サカナイフSAKAKNIFE (TAPP Craft)購入。ハマチ相手に使ってみた。

サカナイフSAKANIFE(TAPP Craft)購入!

 初心者でも簡単に捌けるという噂のサカナイフSAKANIFE(TAPP Craft)を購入した。
 


 魚用にはマキリ包丁と出刃包丁を持っていたが、小アジやイワシを捌くのに出刃包丁では大きすぎて取り回しがしにくいと感じていた。そのため刃渡り10~12センチ程度の小出刃を追加で買おうかどうか悩んでいた。新たに包丁を増やすほど、魚を捌くかといえばそうでもない。しかし知人の家で小出刃包丁を借りアジを捌く機会があり、適したサイズの包丁を使うことの利点は身にしみていた。
 そんな折に、職場で購読していた水産系の新聞にこのサカナイフのことが掲載されており興味を持った。サカナイフの刃渡りは約10cm、ちょうど小出刃と同じくらいのサイズである。

 サカナイフとは、クラウドファンディングMakuakeにて誰でも簡単に魚を捌けるようになることを目標に開発された、まさしく魚に特化したナイフである。その形状は、いわゆる包丁とは大きく異なる。ぎざぎざのノコギリ状の歯がついていたり、J字状に先端部が尖っていたり。鱗落とし、頭部の切断、三枚おろしまで一本でできるようになっている。刃渡りは短いものの、大型の魚を捌くのにも使用できるという優れものである。刃には、H-1鋼という海水を使用しても錆びにくい材質を使用しているそうだ。そういえばホームセンターで買った安物のマキリは、何度か酷く錆びさせてしまったことがあった。魚用の包丁が錆びにくいというのはとてもありがたい。
 値段は専用のシャープナー、説明DVD付きで15000円ほど。決して安くはない。15000円あれば、家庭用包丁であれば、そこそこ良いものが購入できる額だ。

 しばらく考えた末にサカナイフを購入した。決め手となったのは、このサカナイフが両刃であり両利きに対応していること。夫が左利きであり、結婚前から私が持っていたマキリと出刃は私専用となっていたからだ。合わせて専用ホルダーも購入。調理器具を入れている引き出しに収納することを考えてのことである。
 数日後、サカナイフが我が家にやってきた。

箱がかわいい。

サカナイフとホルダー。

ホルダーを外す。独特の形状の刃。



魚を捌く機会

 さっそく使ってみたいが、改めて考えると、魚を捌く機会って普通に生活しているとなかなかない。総務省の家計調査によると2世帯以上の家庭の生鮮魚介類に対する年間支出額は43600円、24.8kgだそうだ(2017年)。ひと月あたりに直すと、3633円と2.1kg。額だけでいえば、我が家は平均と同じくらいは支出している。重量はよくわからない。それでもその中で丸魚を買う機会は月に一二度程度であるし、丸魚を買うほとんどの場合は買った店で内蔵をとって三枚におろしてもらう。捌く場合は、釣り好きの知人から釣果の一部を分けてもらうときや、漁協の朝市で安く魚を手に入れたときくらいだろうか。
 私は魚を捌くのが上手くない。上手くなりたいなという気持ちはある。しかし実際に捌く機会がなければ上手くなることはないだろう。そしてその機会は自分で作らない限り、やってこない。
 現実問題としては、共働きの夕食に丸魚を捌いて調理するのは難しい。なので、まずは休日に、魚を捌く機会を少しずつ増やしてみようと思う。恵まれていることに、車で行ける範囲にあるいくつかの漁協では土日に朝市が行われる。近所の産直市場でも、捕れたての魚がおいてある。丸のままの魚が沢山おいてある安売りスーパーも見つけた。捌いた後の片付けが億劫であるという問題はあるものの、そこもどうにか工夫しよう。月曜日がゴミの日だから、日曜日に下ろせば次の日すぐに回収される。

ハマチを捌く

 購入からおよそ一週間。ようやくサカナイフの出番がやってきた。近所の産直市場に釣りたてのハマチ(ブリの子供)が売っていたのだ。40センチくらいある。ただし情けないことに、売り場のお兄さんの「下ろしましょうか」の声につい「じゃあエラとお腹だけとってください」と答えてしまったため、一から捌く機会はまた次にお預けだ。
 

1kgほどのハマチ(小型のブリ)。

家で魚を捌くときに個人的に何がめんどくさいかといえば、1に小骨取り、2にウロコ取り、3にエラはずし、なので、そのうちの2と3を無料でやってもらえるならそれに越したことはない。内蔵もついていると悪くなるし。
 お兄さんはさすがに慣れた手付きであっという間にハマチを処理してくれた。かっこいい。

 さて、ここからがサカナイフの出番である。

動画を見てイメトレしていたにも関わらず、実際の魚を前にすると、どうするんだっけと戸惑った。付属の説明書を広げながらサカナイフを動かしてみる。トレースラインを引くJ字状の刃の使い方が一番戸惑ったが、しかし見よう見まね使ってみると、とても気持ちがよく線が引けた。他の刃もよく研げており、気持ち良く使えた。頭も落としたが、軽い力で切断できて驚いた。
そしてなんとか三枚に下ろしてみた。

結果がこちら。サカナイフを使えば誰でも簡単に捌けるとは言っても、初心者がいきなり綺麗に魚を捌けるというものではなさそうだ。要練習。もっと数をこなしてみたい。

しかし綺麗とはいえないが、自宅で家族で食べるには十分だ。半身を刺身となめろうにして食べた。残り半身はアラと共に炊こうと思う。

まだ1匹しか捌いていないので、サカナイフの購入が私のQOLを上げたのかどうかは分からない。しかし高い買い物をしたのだ。これを良い機会とし、魚料理の経験値を積んでいきたい。

人類のその先へ 『幼年期の終わり』(クラーク著)【読書感想】

 SF小説の金字塔のひとつ幼年期の終わり』(クラーク著)を読みました。言わずと知れた超有名作で、SF初心者の私もタイトルはずっと以前から知っていた。今年の年頭に有名なSF小説『星を継ぐもの』(ジェイムズ・P・ホーガン著)を読んだところ非常に面白かったので、同じくらい有名である本作を手にとったのである。
 著者はイギリスのSF小説アーサー・C・クラーク。映画でも知られる2001年宇宙の旅の著者でもある。私は今回、池田真紀子さんの訳による光文社古典新訳文庫にて読んだ。この小説自体は、1953年に発表されたものであるが、冒頭部分は1990年に著者自身の手により書き直されている。光文社古典新訳版では、こちらの1990年に書き直された新版を底本にしているとのこと。また本書の「まえがき」には書き直し部分についての著者自身の見解が示されており興味深い。

今日の読者の大部分が、一九五三年八月二十四日にバランタイン社から初版が刊行された当時、まだ生まれていなかったに違いない。初の地球衛星が打ち上げられたのはそれから四年後だが、誰より楽観的な天文ファンでも、まさかそれほど早く実現するとは夢にも思っていなかった。二十一世紀を迎えるまでに現実になれば万々歳くらいに考えていたのだ。

しかし、アームストロングとオールドリンが「静かの海」に降り立ち、アメリカがソ連との宇宙開発ーー『幼年期の終わり』のオリジナルの第一章はこれをモチーフにしていたーーに勝利をおさめたとき、この本の刊行からはすでに十六年が経過していた。そこで私は、物語の舞台を次世紀に移すことに決めた。

 我々はSFの想像力を越えた未来を生きているのだ。
 だからといってこの物語の魅力は全く色あせていない。実際に、二章から先は「初版当時の『幼年期の終わり』のままである」が、そこに描かれた世界を私は夢中で読んだ。


 ある日、地球の主要都市上空に宇宙船が突如現れたところから物語は始まる。宇宙船の主たちであるオーバーロードたちの狙いは何か。そして宇宙には自分たち以外の種族ーーしかも自分たち人類よりも高度な知性と能力をもつ種族ーーが存在することを知った人類はどこへ向かうのか。

 本全体は三つの部で構成されている。オーバーロードたちが出現したすぐあとの世界を舞台にした第一部「地球とオーバーロードたち」。その五十年後、オーバーロードたちによる支配が完了した第二部「黄金時代」。さらにその後、人類たちが新たなステージへと進みだす様子を描き出した第三部「最後の世代」。
 個人的には、オーバーロードに支配されたあと、彼らの高度な管理能力によりユートピア的世界を享受することになった人類社会を描く第二部を特に面白く読んだ。最近、ユートピア小説やディストピア小説をいくつか読んでいるのだけれども、本書で描かれるユートピアはなかなか居心地が良さそうである。平和で差別のない世界、自ら望まない労働から解放された世界。
 しかしこの物語の主眼は、現在地球上において、あたかも絶対的な支配者のように振る舞っている人類が、宇宙全体からみれば能力が高いとはいえない一つの種族に過ぎなかったという転換にあると思う。この宇宙全体からすれば、人類はちっぽけな存在に過ぎない。その事実をこの小説は戯画的に示しているようにも思える。
 それから人類の向かう未来はどこにあるのかという問いに、SF的な想像力をもって著者が提示した答えがなかなかに凄まじい。この答えが示される第三部後半は、それまでの部分とは少しテイストが異なる。幻想的なイメージが全面的に溢れ、第三部のタイトル通り現在の人類としては「最後の世代」になった人々、そして地球自身の行く末を描き出している。
 
 後読感はとても不思議なものであった。個人の自意識を越えたところに存在するかもしれない、種族の夢、種族の悲しみというものについて漠然と思いを馳せた。私は人類というひとつの種族の末裔である。この世に生まれてしまった悲しみというものは、個人だけではなく、人類全体として受け止めなければいけないものなのかもしれない。

 この本を読みながら、以前に読んだミシェル・エルベック『ある島の可能性ウラジーミル・ソローキン『23000』を連想した。これらも人類のその先を描いた物語である。いずれまた読み返したい。

dokusyotyu.hatenablog.com
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幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)